勝間和代さんの新ブログは、使える情報が多くて助かる

FPのキャリアに突入してすぐ、顧客探し、ぶっちゃけていってしまえばセールスと言う世界に直面しました。それまでやってきた大学の講師、コンサル、アナリスト、とはまるで違うスキルを要求されるわけですよね。

最初は友達や不動産投資がらみの知り合いとかに、ビジネスをもらいましたが、それだけでは足りない。で、セールストレーニングという名の自己啓発ビジネス世界のお客さんになっていったわけです。

 

アメリカでは、不景気になるとすぐ首をきられますから、一生に一度はセールスにトライするはめになる人って結構います。当然のことながらアメリカは自己啓発ビジネスの本場、そのうえセールスがらみの仕事はコミッション100%が普通ですから、成功者たちの稼ぎだかって半端じゃありません。

私の最初にボスは、成功している割にはこうバランス感覚のあるひとでしたが、それでも自己啓発系のベストセラーとか一通り読んでいました。でも、正直アメリカの其の手の本は私にはちょっと疲れる。大体アメリカ人並みの、それもセールスで稼ごうとしているひとたちに比べて余りにも”金持ち願望’が低すぎる。

 

そうこうするうちに、たしかダイヤモンドオンラインで勝間和代さんと小暮弾さんの対談を見つけ、しばらくは結構かつまーしてました。

公認Facebookにも登録していましたし。彼女の会計の本もかいましたよ。彼女の会計の本はいまでもおすすめです。(MBAでアメリカの会計の基礎はやったのですが、妹たちが継いだ親父の会社のFRを読まなくてはならない羽目になったとき、とても助かりました。)結局、彼女の2つの限界に気が付いて離れました。

彼女の本は情報源としては、とても役立ちます。MB16PersonalityとかStrength Finderとか彼女の本から、ピックアップしたもの。こういう類型って現実世界では、実はけっこう使えます。

ただ、自分の悪い習慣を絶ち、よい習慣を身に着けたいとか思っているのですから、彼女の本は役にたちません。

彼女自身が成功した最大の理由は人並みはずれたの実行力なのです。結構いい人なのだと思います。ただ彼女には自覚はないでしょう。ですから普通の実行力の持ち主がカツマーを目指すとバーンアウトしてしまうのだと思います。

さて、もうひとつの理由はかなり個人的です。私はいわゆるエンジニアタイプが苦手です。エンジニアがビジネスにとって大事なのはわかります。それぞれの専門のなかでとてもすごれたひとって尊敬にあたいするのがわかります。でもだめ。

実は最初にアメリカに来た理由は数学をやりたかったので、で大学院にいたころに知った、引退したエンジニという類型ジョークというのがあるのです。

 

数学の古典的な問題のひとつに、任意の角の三分割というのがあります、数学科のせいとにとっては学部レベルの代数でならうガロア理論というのですでに答えがでています。で数学的な答えはNO.

ところが引退したエンジニアの誰かが毎年かならず任意の角の三分割法を発見したと数学者にいってくると言う落ち。簡単にいってしまえば、自分の想像がつかないものにたいする、想像力がない。それが、私が思うエンジニアタイプ。アメリカの場合、科学者はリベラル、エンジニアは保守というクリシェがあるぐらいですから。

勝間和代さんの場合、それに気が付いたのは、彼女が’料理’に凝っているときでした。其の後彼女の”やせる’と言う本の内容になっていった、Facebookのポストに料理写真がらみのポストが続いた時があったのです。

最初のきっかけは彼女のキンピラごぼうの写真でした。とにかくふとすぎてキンピラに見えない。で、深く考えずにコメントしたのです。栄養という点でそれはそれでいいけどキンピラと呼ぶのはやめて欲しいという趣旨だったと思います。

そのあと、彼女の’もう料理は極めたから’習うことなくなったというポストがあったので、私はついむきになって、色々なエスニック料理の名前を網羅したポストをあげたのです。彼女の考える正しい料理だけが、料理ではないと思いましたから。で、そのあとしばらく離れていたらUnLikeされました。たぶんスタッフのビジネス判断だと思います。まあ、しばらくは腹立ててましたしね。

なにかのはずみでこの私のエンジニアタイプ嫌いということに気が付いて、腑に落ちました。

でも、本を買ったこと自体は後悔してません。ああいう時期があって、いまがあるし、彼女の本は資料としていまだ時々役立ってます。もし彼女のセミナーに参加できるのでしたら、本を何冊も買うよりも効果があるかもしれません。優秀なコンサルタイプだと思うし。

丁寧な生活という呪い

以前、アメリカ人にびっくりされることがありましたよ。

 

仕事がらみで、夜Social Eventにでかけることがたまにおきます。

私はあまり考えもせず、家族の夕ご飯は早く、大体5時半から6時ぐらい。Eventがはじまるのは7時ごろ、私としては当然家族にご飯をたべさせてから出かけるわけです。

 

だいたい日本人の啓発書みたいなものを読んでいても、いそがしいなかどうやって家族にご飯をたべさせるかと言う点だけは譲れない、そういうのがワーママの掟みたいな感じです。

だから、なにげに話していて私が家族にご飯を作ってから出てくるといって、もう死ぬほど驚かれて、こちらが逆にびっくりしました。

 

だって聖人か奴隷かという反応だったのですよ。

 

私にして見れば、段取り(何を作るか朝のうちに考えて、たとえば冷凍してある肉とか食材を解凍しておく。)さえきちっとしておけばそんなに時間がかかるわけではありません。

 

と、ずっとおもってきたわけでしたが、最近少しずつですがやはりこれではまずいのではないかと思うようになりました。

 

だって、そこまできちっと段取りできるようになるまでには、子供のころからかなりあれこれ訓練されてきてるわけです。日本人女性は、長い間まめであることを強要されてきたわけでしょう。

アメリカ人のとくに女性を見ているととにかくがさつで、あまりまめではない。女子力ひくいなあとか、つい批判的に見てしまいますが。

 

でも、その結果がこれですよ、日本って調査対象の144か国のうち、男女の社会的平等という評価でなんと

 

114位ですよ。

 

私たちまめすぎ、

 

丁寧な生活なんてのは、はっきり言って呪いです。

 

自分のことはなるたけ自分でしてもらいましょう。

 

これはもう若いうちから、そしてあなたの周りからすぐ始めないとだめ。

 

たしかに、ある程度悠々自適になって、本当に時間的に余裕があるのならいいです。それはなんでもお金を払ってプロに外注するアメリカよりずっと幸せです。

段取りはたてつつまめに家事をこなすのは、確かに脳にも、身体にもいいです。
私は仕事や勉強がいきずまると、ちょこちょこ洗濯機をまわしたり、洗い物をしたり、ちょっときになるところの部分掃除をします。

 

が、忙しいときは手抜きに次ぐ手抜き。

 

家がやたら広くて、以前に家の訳半分の掃除を月に一度お願いしていた人がいなくなって、何人か試しましたが高すぎて、しかもこちらがお願いしたようにはやってもらえず、今のところ掃除は自分でできるときだけ。

 

だから汚いときは汚いです。

 

でもね、すべてがうまくいっているわけではありませんが、私の家事が滞って文句を言う人間は我が家にはいません。あと、最近は掃除や洗濯、娘に手伝わせ始めたし。

 

仕事と、自分のやりたいことがどんどん増え、まあ家のことは後回し。何一つ困りません。

 

あ、もうひとつ、家事を減らすいちばんいいほうは、ともかくものを減らす。

 

間違っても、いろいろ整理整頓して、収納を工夫なんて道は選ばないように。結果的にさらにあれこれメンテしなくてはならない対象が増えるだけですから。

 

丁寧な生活なんてくそくらえ、自分が楽しい、そしてあなたの大事な人と一緒に楽しめることのほうがずっと大事です。

 

セレブな世界で現実逃避したい時、サガンの中編小説は超お勧め、映画’別離’原作 ’熱い恋’で、サガン

実はサガンの小説ってだいすきなのです。

 

あ、今の若い人はサガンといっても知らないか。昭和の仏蘭西好みが考える、おフランスてきカルチャーの魅力をそのまま体現したような小説家です。

彼女ももう死んじゃったのよね。

彼女の小説は、ごく一部を除いて、文庫本で150ページ弱。日本人にとってものすごく幸福の偶然は、サガン前作を翻訳している、朝吹登美子さんという仏文学者。

 

いつかフランス語でも読んでみたいけど、まあ彼女の邦訳がすごくいいからあの空気はしっかり伝わっていますよね。ご本人含めて、とにかく元祖セレブの世界が描かれ、でもご本人はたぶん仏蘭西戦後最大のグローバルなベストセラー作家として、お金にもスキャンダルにも事欠かなかったけど、最後は割とひっそりと無くなりました。

 

でも、こういうのってやはり、心のどこかであこがれてしまう。

 

いまとなっては本当に今まで買った本の50分の一ぐらいになってしまった小さな本棚で、いまだ一角を占めています。とにかく薄いからまあ、10冊以上あってもそんなに場所をとらない。

 

あまり長くないので、なにか苦くて甘くてせつない、でも日本離れした恋愛小説を読みたくなる時のために、たぶんこれからもそこに居座ると思います。

 

そのサガンお約束の中篇小説のひとつをご紹介。でも、本そのものではなく映画化されたもの。邦題は’別離’。小説のタイトルは‘熱い恋’。

 

これ私にセレブと単なるお金持ちの違い、そしてお金で買えるものの本質について教えてくれた映画なのです。

 

もちろん若き日のカトリーヌ・ドヌーヴがとてもきれいだったのも大きいのですが、

お話は筋だけだともうどうでもいいくらいなもんです。

ずっと年上の恋人と同棲する彼女と、同じくずっと年上の恋人がいる若い男と会って恋に落ちる。年上の恋人の保護を飛び出して若い男と同棲を始めるが、妊娠、中絶、そして生活のために働くことができず、結局、もとの恋人のもとにもどりやがて結婚する。

 

でもちろん映画のあらすじとか読むとぜいたくと怠惰な生活になれただめなルシールっていう表現になるのですが、私の印象は別でした。

ルシールって怠惰というよりまだ社会適応できていない子供って感じなのです。で、子供って親のもと離れて生きてはいけないでしょう。ルシールって感覚的でまるで子供のように無心に瞬間を楽しむことをしっています。

このひと明らかに贅沢そのものに興味はない。シャルル(年上)の恋人に室内楽の夕べに誘われ、誰々ちゃんのお誕生日かいにどの服着ればいいのというのりで、おいてきたはずの高価なドレスに手をかけるところとか、あ、子供がちょっときれいなものに釣られてと言う感じなのです。

ルシールってほとんど市場論理による欲望の喚起に犯されていないひとだってことなのですが。

お金があれば、雨の日にバスに乗らなくてすむ。

お金があればゆっくりランチが取れる。

お金があればいやな人と顔を合わせないで住む。

だいたい仕事がいやなのは、仕事そのものでなく仕事で無理強いされる人間関係その他もろもろのことがたまらなくつらかったりするのです。

もちろん3K労働は確かに存在しますが。

いわゆるぜいたく品はお金で買うものですが、お金で買える’もの’ではない。

お金で買える一番大事なものは自分や自分の愛する人を守る力。

 

ただ、守られている限り大人にはなれない。

ところで、子供に教育をあたえることは、ちょっと違います。教育は基本的には投資です。其の話はまた別の機会に。

 

で、なぜこういう小説にひかれてしまうかといえば、結局私は、お金を稼ぐということについていまだに自分のなかで折り合いがついていないのだと思います。

よく、お金とは自分が差し出す価値で人が幸せになったその対価だと。それはそうだと思いますよ。

 

でも、そういう何かがない人はどうするのでしょうか。で、そういう人は3k労働するしかないわけ?!

 

働いて向上することはそんなに、明白にただしいのか。

 

あの頃のセレブって、資産の規模をみると、今の超格差をつくりあげた富豪たちの富に比べると、ずいぶん可愛らしいものです。

 

いつも、Lifehack,生産性向上と、それなりにはりきっているわたしですが、そういうポジションから離れるのは、やはり気分転換でよいものです。

汚超腐人と呼ばれたい その4 Animeにはまるとなぜ萌えやすいか

昔々、私はアニメを馬鹿にしてました。そもそも、元祖オタクって、基本リアルの女嫌いで、なんか変態ぽくって、メカアニメって人間がダサい。女の子も男の子も全然かわいくないし。

まあ、私が日本にいた80年代前半までの話ですから。

それがなんという′進歩’!!

いつの間にかこんなに可愛くなって。

まあ、厳密にいうと、せっせとDVDを買っていた頃って、基本お話としての評判が一番の評価基準になってましたから、それこそもはや古典となってしまった、カーボーイビーバップをはじめとして、OVA,シリーズあわせての攻殻機動隊とかが、ゴールデンスタンダードで、割とオリジナルのSFぽい話が多かったと思います。

よく考えてみると、このころ、つまり21世紀の最初の10年ぐらいのアニメって、少なくともオタク女子にとってそんなに萌える要素が多くなかった気がします。

まあ、日本で見ていたわけではないので多少の時間的ずれがありますが。

 

それがいつの間にか、ラノベやら漫画が原作のアニメが増え、いつの間にかとにかく男の子キャラに可愛すぎて困るようになってしまいました。

 

可愛いのとはちょっと違いますが、私の場合、生まれて初めて2次元キャラにFall in Loveしたのは、アニメ版薄桜鬼の土方さんでした。

私はこのアニメを見るまで、乙女ゲーの存在知りませんでした。

でも、でもです、このイケメン天国逆ハーレムとオトメイトというテロップ。いつもお世話になっているWikiさんが乙女ゲームというジャンルを説明して下さり、まあ、さすがギャルゲーが何であるかは知ってましたから、ピンときましたが。

 

ともあれ、私は土方さんをしっかりスマホの待ち受けにし、Youtubeでお気に入りのOPを歩きながら聞き、そしてお気に入りのシーンをとにかく何度も何度もみてしまった。

 

これ、これですよね。ストリームにしろ、Youtubeにしろ、とにかく簡単にお気に入りのシーンをいつでもどこでも再生できてしまう。いや、これだけ一人のキャラにはまりこんだら、たとえ二次元でも、完全に恋愛状態です。

 

ほかにも、注意深く花を利かすようになった私は、乙女ゲー原作の他のアニメをいくつも探し出し、ライブラリーだけでなく、結構1年に2作ぐらいは、原作オトメイト的アニメがリリースされてます。’緋色のかけら’とか、’Diabolik Lovers’ ,’神々の遊び’、’ブラザースコンフリクト’ざっと思いついてこんな感じ。あ、ちょっと変態な’アムネジア’は、結構はまりました。一番まっとうそな男の子が、一番病気だったところがつい気に行って。

 

一番見ていておかしいのは、Endingでのファンサービスがだんだん露骨になりつつあること。半裸のイケメンアニメキャラが、いかにもという感じで良くやるといつも思いながら、飛ばせない意地汚い私。ちなみに今季同時放映の、ニルアドミラリの天秤のEndingはいいです。

まあ、オタク女子もだんだん、大胆になってきましたね。

 

さて、萌えというか、ファンフィクションの対象になりやすいのが、いつの間にかすごーく可愛くなった少年漫画キャラ。私の場合、一番はハンターハンター、だってキルアのゴンに対する気持ちって、とってもまりしんの麻里っぽいです。

 

ごめんなさい、おばさん、いやもうおばあさんか、は不純です。

 

それに比べると、私は黒子のバスケとかあまり萌えません。確かにみんないかにもの美少年キャラなんだけど、なぜか妙に私は萌えない。あれだったらむしろ、弱虫ペダルの地味二年ペアのほうがいい。

Narutoとサスケ一時期萌えたときもありましたが、いつの間にか話が広がりすぎ、この二人の関係性はあまりに弱くなってしまい覚めました。

 

ちなみに私の弱点は、

鬼畜Sメガネさんです、この春始めたXenoblade2に、シッカリ子のキャラが登場したので、頑張ってしらべて日本語Voiceをダウンロードした話とか少し前にしましたが。

 

おっと、大事な作品をわすれるところでした。

 

ハイキュー

 

なんなんでしょう、この漫画、およびアニメの脅威の充実度。お話超面白い。面白いだけでなく、すごく感動する。でも萌えキャラ超多い。しかもカップリングの可能性多すぎ。

 

私は、やはり日向と影山好きです。まあ、あまり色気は感じないけどひたすら可愛くて、あとだいだいだいすきなのが、ツッキーこと月島君。この人メガネでセー高くて、意地悪で結構陰険で、でも結局どっぷりバレー部にはまっていくところがとても萌えます。

 

で、次回はやっとBLアニメの話です。

 

 

 

 

汚超腐人と呼ばれたい その3 アメリカのオタクそして腐女子の興隆

1999年から数えると18年ですよね。

ずいぶん、長い間です。娘が生まれたのが2003年ですから、それより長いOtakonに行ってるわけです。

まず最初はとにかくいろいろアニメを漁りました。で2年目にすぐ、完全にこれしかないと言う位ぐっとくるレイヤーさんに出会ったのです。

それが、20世紀末に人気絶大だった、少女漫画天使禁猟区のコスプレ。作者の由貴 香織里さんは最近の少女漫画家の中で、いかにも花とゆめ出身、もろ好み。ヤンデレ満載、そして天使界、悪魔界と壮大なスケールのファンタジーです。この手の漫画が好きな人にはもうたまらない長編シリーズ。

それはともかく、Otakonの成長は、アメリカのオタク文化の浸透具合とほぼ重なってます。

それはスケールのだけでなく、質的な広がりとも重なります。

最初はとにかくアニメ。オタコン以外にも地元のグループがあり、そこでみんなで持ち寄ったアニメを見たりしました。で、今でもはっきりと覚えてますが、私はこの’天使禁漁区’のOVAを持っていきました。

もうおもしろいぐらいに、女子と男子の反応がちがいましたよ。

男子は、基本 ???ほら、この話現世変だけ見ると、実の兄弟の恋愛とかで完全病気ですから。

でも、女子のほうは、一発ではまりました。そうかこういう小さなできごとが、アメリカの女子オタクをどんどん増やしていったのだねと、今気が付きます。

 

そして、ネットでは、My Spaceがいちばんはやっていたころ、OVAから、逆に漫画に行きつき、日本語で出版された漫画を売るDealerさんが現れたのは、同じくオタコンに行きき始めて数年でしたね。

そのあと、しばらくして日本直輸入の同人誌も入りだし、一番最初にYaoiという呼び名で、腐女子むけのパネルが登場した時は、たしか娘がまだ赤ん坊だったので、2003年かその次の年。少なくとも、Otakon経由のオタク女子は当初から数でも勢いでも、男子に負けてませんでした。

 

日本での最盛期に数年遅れて、女子オタクを中心に次に広がっていったのが、Visual系ロックと、ゴスロリファッションです。一番盛り上がっていたころは、日本からデザイナーが来てファッションショーまで何度かありました。で、そのあと、アメリカでもこの手の服を作る人がでてきまして、その人たちのファッションショーもありましたね。

 

まだKindleや、Ipad以前のじだいですから、大枚はらって、漫画とDVDをせっせと買いました。

あの時期、BLぽさが一番高かった漫画もいくつか、いまだに読み返すし。

 

最初はなんといっても、おなじく由貴 香織里さんの伯爵カインシリーズですね。これは黒執事よりもさらに前に書かれたいわば、執事ものです。いかにも彼女らしく、ヤンデレそして、猟奇まんさいです。しかも舞台が世紀末ロンドンですから、ファッションもまあもろゴスロリ後の実です。

私は実を言うと黒執事より伯爵カインシリーズの方が好きです.

 

もうひとつ、BL度が高くて人気だったのが、松下容子さんの闇の末裔。

これも、アニメになっているのですよね。私があの頃漫画を買ったのは、OtakonのDealerからか、New Yorkの紀伊国屋ですから、基本こちらで売れているものもが、まず店頭に並んでいたと思います。

こちらのシリーズも、ヤンデレ、ファンタジー、こちらは死神たちと、死後世界の管理局という地獄が舞台。前半は一応現世が舞台なのですが、後半か幻想界に移り話が正直ガラッと変わってしまいます。ですから、BLトーンが強いものだけ読みたいのでしたら、後半はあんまりね。

 

まあ、このころBLぽいものって、いわば非日常的な設定がおおかったですよね。

ともあれ、このころの私は、量的に言えばそれほど自分が耽溺できるコンテンツを浴びるほど吸収できる状況ではありませんでした。お金がかかりすぎるし、DVDって今振り返ると不便ですし。

 

そんな私に、救世主はTechnology の形で訪れます。

 

まず、2010年3月に、iPadが発表され、私これすぐ買ったのです。これで、少しずつですが電子コンテンツが読みやすくなりました。あのころRentaまだしらず、アプリにZassi-Online.comというのがあり、個々は当初私が読みたくなるような漫画も、BLを含め売ってました。

腐女子趣味だと、むしろI文庫Hdで、版権の切れた戦前の猟奇小説に萌えましたよ。乱歩とかのおなじみのものだけでなく、国枝史郎の’神州纐纈城’とか、いいですよ。

 

さて、さらに2013年秋からAnime Streaming Service ’Crunchy Roll’

Subscription開始しました。

 

ところで、このCrunchy Roll,もともとは、アニメファンの、違法Uploadサイトだったのです。それが、割とスムーズに交渉をすすめ、さらに有料サービスとしてのシステムがうまく整い、あっという間に定着していきました。

他にCable TV経由で見るものもいくつかあったのですが、とにかくタブレットやスマホで見る人が増えるにつれ、Crunchy Roll順調です。ここ一年ほど、ほかのところの権利を買い上げて、ライブラリーをどんどん拡大しているし。

 

ちなみに、ここ1年ぐらいの大きな変化は、Amazon PrimeとNex Flexのアニメ増強。私はとにかく、アニメと漫画に時間を取られるので、Net Flexはずいぶん前にやめてます。でも、Primeは、そもそもAmazonの一種のMembershipとしてKeepしているので、急にCrunchyRollで見ることができない、アニメがみられるようになってうれしい。

 

このCrunch Rollは、私の腐女子度、そしてオタク女子どを、飛躍的に進歩させます。と、それは次回に。

イケダハヤトさんのブログが強いわけ、アンチが分かっていない五つの力

最近気が付いたら、お気に入りのブログについて、あれこれぶつぶつ語っている自分がいたのです。で、書評が好きな私だから、この際ブログレビュー始めます。

 

私の場合、Strength Finderの、一位と2位が学習欲と収集。はっきり言って情報オタクかしらと自分でも思います。でそのあとにくるのが、なぜか活発性で、個別化、着想と続きます。

 

で、あれこれ考えたものを吐き出さないと、身体の調子が悪くなる。

 

今現在毎日必ずチェックするブログは、

 

JMatsuzakiさん、立花さん、勝間さんの新ブログ、おフランス系二人、そしてイケハヤさん。これ以外にも同じぐらいの数の時々気になるとチェックするぶろぐかある。

 

というわけで、イケハヤさんを皮切りに人のブログでお相撲をとってみましょう。特定個人の悪口を書くのは趣味ではないので、基本どこが凄いかの分析ぽくなります。まあ、注文とかもすこし。

 

さてイケハヤさんです。彼のブログ、そしてTwitterは炎上することが多い、らしい。

でも、30年以上も前に日本から出て勝手に数学の勉強を始めたというくらい過去を持つ私から見ると、イケハヤさんは至極まっとうで、かついくつかの文科系能力については、日本人の平均値に比べるとすごく高いということがまず目につきます。

 

大体イケハヤさんに反発する人って、このひとのかなり長めのプロファイル読んだことあるのだろうか。

ともかく、順不同で行ってみましょう。

 

1.実行力

私なりにすごく感銘を受けたのは、彼の日本人にはかなり珍しい割り切り能力。これたぶん子供時代にゲーム三昧あたりにもルーツがあるのかな。私は、世の教育ママとは正反対で、子供にほぼ好きなだけゲームやらせます。

 

最近、50肩でお世話になっている、かなりユニークなキャラのPhysical Therapistと話していたのですが、彼女の子供さんも、まあ実験的な学校に通っていて、そこでは基本ゲームやりほうだい。あまり、はっきりとしたカリキュラムとか聞かなかったのですが、とにかく自主的にいろいろやる癖がついてしまうらしい。

 

イケハヤさんでも、勝間さんでも、とにかくPDCAサイクルの鬼ですね。

 

イケハヤさんの場合この力が最初に発見されたのが、大学受験、プロファイルから引用しますと、

 

2chとかを見ると、どうやら「3,000時間」ほど突っ込めばいいことがわかりました。

となると、1日あたり12時間ほど勉強すれば、概ね3,000時間は達成できそう。

 

で、ここが彼の凄みですが、高3の秋から、受験勉強にこれだけの時間をかけるために、あっさりと

 

学校を休む。

 

さすがすごい。実際は平均11時間だったそうですが、早慶模試世界史で一位、合格予想も9割越え。あ、国立は数学があるので最初から私立とトップ一本。

 

私がこの手の割り切煮に目覚めたのは、大学院のPhDのQualifying Examの試験勉強です。代数と位相幾何は何の問題もなかったのですが、解析にてまどって、ついに過去問題すべて勉強という物量作戦に走りました。

 

その後、アメリカのFP資格とそれに関連したライセンス試験は、すべてこの方式で一発合格しました。まあ、試験勉強用の素材に、そもそも、どれだけ勉強しろとはっきり書いてあるので楽ですが。

 

イケハヤさんの実用書がいけてるのは、この辺の露骨な数値と、懇切丁寧なPDCAサイクルの回し方の説明が凄いからでしょう。とても助かる。

 

2.英語力

これも、アンチイケハヤのほとんどが見逃している力。

 

大体、私立のトップに受かるような受験英語力があれば、英語の読み書きの基本はできているものです。

 

ただ、かなり多くの人間がそれを大学時代、さらに卒業後に失ってしまう。で、なぜか、突然グローバル化を言い渡され、会話学習ソフトやら買う。こういう悪循環がお約束でしょう。

 

イケハヤさんの場合、たぶんNetとのつながりもあって、英語を読むことはたとえ怠惰な大学時代でも多かったのではないでしょうか。

あと、もうPCを始めて以来、深く考えずに英語力どんどん使ってたと思います。で、こういうものは、量がききますから

 

そして、卒業後の就職先で、日本ではまだ知られていなかったFacebookの企業ページなんかをやらされます。

次のIT力と重なる感じで磨かれていく。

ちなみにはっきりさせておきますが、情報強者になるための英語力とは基本、

 

読む力

 

です。

だってさあ、英語って基本Defaultの世界共通語なんだよ。で、まずほとんどの大きなサイトだったら、自国語と最低英語版はあるのよね。

 

だから英語がバンバン読めると、たいていのメジャーサイトは読めてしまう。

 

さて、私はもはやアメリカ在住年月が日本での年月を超えました。で、こちらでの本職FPのお客さんも、全部英語。まあ、この5大力のなかで、私のほうがイケハヤさんより勝っているのはこれぐらいでしょう。

 

実際、総合力で私より英語力のある人間にまだあったことはないです。まあ読み書きだったら、すごい人もいますが、私会話力もきっちりあるし。

で、ここで予告、Noteで、仮題’ネットだけでできる、情報強者になるための、英語力増強方’という本を書き始めます。始まりは夏が予定。今現在の最優先は、6月末までに、この新ブログのコンテンツを50本まで上げる、です。

 

3.IT吸収力

 

さて、これ間違えている人多いんですよね。

 

全く新しいソフトやら、ゲームなどの開発というもんでない限り、IT力というものは、理科系でなくても全然問題ありません。

 

最近のScript系の言語とかだと、プログラミングだって、十分です。

 

逆に、変に構造的な頭を持っていると、もはやリゾームでしかない、システムの学習とかかえって混乱したりします。

 

イケハヤさんはなんと中学入学と同時に最初のPCを手に入れ、しかもすぐあの頃はダイヤル回線だったネットにはまってます。いい親御さんですね。

 

ちなみに、私もイケハヤさんの親御さんをまねしたわけではありませんが、同じようなことを娘のためにしました。

 

主にPokemon Goが原因で、Data量が毎月Limitを上回るので、とうとうUnlimitedのプランに変えました。まあ、今や我が家ではスマホ3台使ってるので仕方ないです。ははは

 

あと、最近彼の得意なお題、仮想通貨と投資系の情報ですが、これこそ、2と3の能力が問われます。

まあ、イケハヤさんが圧倒的情報強者であることに間違いないです。

 

4.収益力

 

これも、イケハヤさんの場合ルーツが深い。

 

みんな、変な自己啓発書読むより、この人のプロフィール読みなさい。

 

彼は、もう中学時代から、いろいろなネット初の収益化に取り組んでます。

 

最近は、Noteの収益力の可能性について熱く語ってますが、イケハヤさんの場合、ちゃんと失敗もしてます。

 

Noteは、単発でも売れるけど、けっきょく単発記事を有料メールマガジンにするような形で収益化するのには向いていません。イケハヤさんもそれらしきものをはじめ、それをやめてますから。

その後、Noteを収益化に有用利用するための話は、Noteベースの’単行本’の話へと広がっていきます。私もいろいろ参考にさせてもらってます。

まあ、Noteの可能性については、私も別にまとめます。【旧アメブロで、わりと砕けたまとめをやってますが、】

 

あと、収益力を高めるのに、いちいち売り上げやら、収益の内容を晒すのはすごいし、おすすめ。まあ誰でもすぐできるわけではないけど、Blog ベースの収益モデルのためにはたぶん有効だと思います。

 

あっ、お金の話とは限らないですね。

 

だって、立花さんの場合、どうみたってブレイクの始まりは、ダイエットとジョギング日記でしょう。詳しい話は、立花さんのblogレビューで。

 

5.家庭力

最後は、これは凄みというか、個人てきにものすごーく好感度アップのAttribute.

 

イケハヤさんは、大学生時代に出会った奥さんと結婚し、さらにもうお子さんも3人。

 

ときどき、思い出したように子育てやら奥さんのことを書いてくれますが、もっと書いてほしい。

いかにも彼らしく、小さい子供と遊ぶのはつまらないなんて書きますが、そのあとすぐ子供も自分も楽しめる時間の作り方とかすぐ、PDCAして対応します。

 

あと、時々奥さんに対する、感謝と絶賛がさく裂します。たぶん、イケハヤさんは、本来重度のコミ障でしょう。病状としてのストレス反応の話も出てきましたから。

イケハヤさんは、こころのそこから、奥さんに出会えてよかったと思ってます。

 

うらやましいし、すばらしい。

 

私の場合、全世界で一番好きな人間は娘です。旦那じゃないのよね。旦那は妹の次で3番目。ははは。

 

好きというのは、’あなたがいてくれてよかった’という感じ。

 

まだ、あまり見えませんが、どうも奥さんは重戦車のようなかたのようです。今は、やはり子供にかなりのエネルギーを注いでいらっしゃる。子供という、大リーガー養成ギプスが、とれてからが見ものです。

 

これからの課題は、お子さんの教育ですね。アメリカなんかだと、いろいろなオプションがあるから、かなり両親の理想に近いことが出来るけど、(まあ、それが子供に最適かどうかはべつとして)日本の教育システムは、Rigidだからどうするのだろう。

 

というわけで、イケハヤさんの人気にのって、彼の凄みを分析してみました。彼にこれからやってほしいこととかは、また別の機会に。

 

 

 

Ready Player One、豊かな母子家庭というシステムで、父親のできることはあるのでしょうか。

Ready Player one 見てきました。何て言うんでしょうか。スピルバーグの映画ですよね。私スピルバーグの映画を見ると、なぜか母子家庭の寂しさみたいなものを感じることが多いのです。この映画の場合はお母さんももういませんが。

 

父親の影がないって言えばいいのかな、一番最初にそれを感じたのは、日本人にとってたぶんスピルバーグの名を決定的にした E.T.でした。

 

まああの映画の場合完全に母子家庭でしたが。

 

そもそも未知との遭遇で、お父さんは宇宙船に乗って子供を置いて、いってしまったのですよねさ。この映画の場合設定は小説通り。ここから完全にネタバレになりますので、小説を読んでない方は読まないでください。

 

さて、小説でも映画でも、かなりアスバーガーぽい天才的ゲームデザイナーが、自分の作り上げた世界規模のVRゲームコントロール権を賞品として、みっつのパズルを解いてみろと遺言を残していきます。まあ、よくやるよですが。

 

で、もちろんその銅銀金の鍵で表されるこの三つパズルをめぐって、世界中の人間が広大なVR世界でしのぎを削ります。

我らが主人公は、かなり実生活では恵まれない高校生。

そしてまお決まりっぽく悪役として世界第2の企業が人海戦術を使って対抗します。

いかにもの突出したオタク 対 大企業という組織という図式です。

 

ただパズルそのものはまあはっきり言って映画向きに、変えられてしまいました。最もそれはそれで良かったと思います。

あと私自身は原作の中で多分一番好きだったキャラ、この天才デザイナーの相棒の億万長者ですね。彼の取扱いと、それに絡め手の、チートのセッティングというのはなかなかクレバーだと思いました。

おっと、これ以上喋ると今度は小説は読んでいても映画をまだ見ていないかったのスポイラーになってしまうのでここで止めましょう。

 

日本人としては、クライマックスは盛り上がる。

 

過去何十年分の、しかも80年代を中心とした、アメリカそして日本のポップカルチャーアイコンが、目まぐるしく登場します。

やはり見ていて楽しいですね。これ予告編でも、ネットでもすでに話題になっていますようにやはりガンダムが出てきた時は思わず手をたたきました。

後クライマックスではありませんが、80年代の大トレンドのひとつルービックキューブがなかなか面白い使われ方をしています。

映画としては楽しいのです。見てる間も盛り上がります。後、映画館から出てきた時は、高校生ぐらいかな、大学生も入ったかな、みんな友達と色々喋ってるんですよね。(あ。アメリカBaltimore 郊外のMultiplexです。)

そういう意味では結構いい映画だったと思うのです。

が、なんなんでしょうね私が感じるある種の寂しさは。

まあ。どのシーンがい、表面的な原因かは、はっきりわかってます。

天才ゲームデザイナーのリアルそのままのアバターが、見事優勝した高校生と、最後に会話するんですよね。あそこが悲しいんですよ。

また、スピルバーグと母子家庭という話に戻りますけど、男の子ってやっぱりお父さんと遊んで欲しかったのかな。

ゲームがそこら中で私たちの無聊を慰めてくれる社会って、豊かな母子家庭みたいなもんなんでしょうか。

まあ、ゲーム世界って、いわばお父さんだけはいない世界だったりしますが。大体、最も洗練されたシステムにおいて、父親というロールはシステムの内側では存在を必要とされない。

自分で書いていて怖い。まだ考えなくてはならないことはたくさんありますね。

Xenoblade 2, Japanese Voice DLC という不思議なFree Add on

さて、ほぼ一か月ほど前に、娘に再度ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドを、取り上げられてしまったので、クリスマスにもらったギフトカードで買ったXenoblade 2をはじめたのですが。(娘は、ゲームをコンプリートした後、レアアイテムMax Getという訳の分からない一人ゲーをはじめて、三種の神龍の破片アイテム9種類、各999コンプリートしました。で、やっとDLC, ‘英傑たちの詩(バラッド)’にもどってます。)

 

何だこのゲーム。なんでこんなに戦闘システムがややこしいのだ。実は私JRPG初体験で、まあこれがノームというわけではないでしょうが。昔少しやったアメリカ産のD&DをベースにしたRPGとなんかすごく違うのよね。

 

あと、このゲーム、人間のキャラと組んで戦う人型武器ブレイドという存在がKeyで、早い話これがガチャ要素になってます。Animeでゲームがらみの話を見ていて、キャラの一人が凄く運がいいという話これでやっとわかりました。こういう要素は私が昔やったRPGにはなかった。

 

でもめげずに何本も何回もYoutube見て、GameWikiも繰り返し読んで、今第三話。あと、コントローラーのどこを押していいかわからないときは、試すということも覚えました。

 

いや、私実はかなり暗い育ち方をしているので、何度もしつこく間違えながら覚えるという習慣がほとんどなかったのですね。で、この年になるまでゲームが好きといっても基本PCゲームそれもシュミレーションとか、D&Dベースのアクション要素のないRPGばかりだったから。娘が基本Youtubeを友としながら、メキメキと腕を上げていくのを見習って恥ずかしいほど下手のレベルでやっているわけです。

 

さて、私なりに見えるD&DベースのRPG とJRPGですが、もちろんキャラデザインとストーリーの濃さもすごく大きい。これ紙のアメコミとアニメぐらいに違います。

 

で、英語版のGame Wikiを見ていて、このFreeDLCを見つけたわけです。うちはすでにSwitch が2台あるのでNintendo Accountを新規に設定する羽目になったりして結構面倒だったのですが、もう英語のVoice Overは日本人の私にとって吐き気ものだったので、頑張ってDLしました。

 

これ本当に基本に音声と字幕を変えるだけだったのです。Game 画面はすべて相変わらずアメリカ版英語のまま。

 

そこで、ハタと思い知るアメリカのオタクたちのDedication

 

考えてみると、私が知っているアメリカ人オタクたちの中に、吹替でアニメを見る人はいません。アメリカ人全体としては本当に字幕を読むのが嫌いなのに。だからこれ、基本英語圏のひとむけで、日本語のVoice Overじゃなくちゃという人向けなのです。

 

確かにキャラデザすべてアニメ風。イヤー日本語になったらもう信じられないぐらい良くなった。どうりで日本人のファンがほめるわけだ。でも、私の一番の理由はイケメンキャラがいかにもののイケメンVoiceでしゃべってくれることですが。BLでもどS眼鏡が大好きだったりするので。

 

どうなんだろう。外国語圏のひとからすると、日本のアニメやゲームを日本語で聞くと、やっぱり萌えを感じるのだろうか。まあ、私に想像がつくレベルというと恋愛ものの仏蘭西映画を見て、やはりフランス語でせりふを聞くとぞくぞくするというのと同型かなあ。

 

ちなみに英語圏のオタクたちの日本コンテンツに対する入れ込みを馬鹿にしないように。今現在、私が知る限り英語版のXenoblade2 Game Wikiのほうが日本のものよりCompleteです。

 

大体アメリカのオタクは圧倒的に一がNintendo,2がPlaystation,Xboxをが大好きでオタクという人にはあってません。私が過去18年間通ったOtakonでも、Switchの出る前はNintendo 3ds持っている人が多かった。

 

ところで、まだいろいろ育ってないので、いまのところBladeのガチャで当たりは一回。なぜかシロクマと小さな女の子のペア、氷属性。まるで映画にも一回はなった(映画は後半がとにかくひどくて原作が3部作であるのにもかかわらず、一作で打ち切り)Golden Compassみたいなのです. 私はイケメンのBladeがほしいのになあ。まあ、巨大バストのお姉ちゃんよりはいいですけど。つくづくXenobladeのCreator たちって巨乳がすきなのね。

汚超腐人と呼ばれたい その2 ′腐女子版 失われた10年プラス’

さてアメリカにつき、学部の一年生から始めた私は、正直しばらくの間は一人ぼっちで娯楽も限られた極限状態が続きました。

私の場合アメリカ本来の新学期である9月からではなく、冬学期の一月から始めたこと、さらに高校新卒ではなく日本でフリーとして働いた後でしたので、アメリカではNon-Traditonal Studentというくくり方をされ、仲間らしきものもできませんでした。

正直ひたすらがり勉してましたよ。もう、ほかによりどころなかったし。

最初の夏休みが来て、両親とNew York 旅行などに連れて行ってもらい、そこでほぼ半年ぶりに、紀伊国屋 New York 支店で日本語本の爆買いをしましたっけ。もちろん漫画も。でも、雑誌を定期購読するのはあきらめてましたから一気に情報度が落ちたと思います。

この後大学院に進み、卒業するころになってやっとWebというものを初体験しました。

あの頃はNetscape どころかその前身のMosaicという原始的なでも一応GUI版のブラウザーを使ったことを覚えてます。Internet connection はまだダイヤルUpでしたよ。

まあ腐的もしくはヤンデレ的趣味を掻き立てる存在としてMarilyn Mansonを知ったことぐらいで、つくづくばっとしなかった。

あ、今のHusbandの前のEx BoyfriendはかなりBL向きの美形でした。いまFacebookをチェックしたらさすがに中年化してた。

と、ずっと恵まれない腐女子人生をアメリカに来て十年以上送っていたわけですが、それが1999年にすべて変わります。

 

本当に出会いっておそろしい。

 

実は子供のころから夢だったお化けの出そうな大きない家がバカみたいな値段で買えるということで、私は後先のこと考えずにBaltimoreに家をかい今のHusbandと移ってきたのですが、

 

その夏私の腐女子パワーがリセットされます。

 

1999年の夏から、今ではこの手のアニメをはじめとする主に日本が発信地であるサブカルの祭典としては、東海岸最大の規模に成長したOtakonが、Baltmore Convention Centerで開催されたのです。

 

Otakon そのものがStartしたのはこれよりさらに数年さかのぼりそもそもペンシルバニア州で生まれたそうです。

でもコンベンションセンターを借りての規模はこれが最初でした。

 

私実は最初あまり乗り気ではなかったのですね。というのはアニメというのは少女漫画中心の私にとっては幾分ダサいと下に見ていた男のオタクたちが夢中になるものと正直決めつけてましたから。

 

でも、最初の年に見たカードキャプターさくらと漫画原作のアニメ化版の封神演義を見て、完全にはまりました。

 

ちなみに私は封神演義の原作をもちろん日本語訳ですが読んでます。これ余談ですが死ぬほど面白いですよ。

 

Otakonには結局1999年から2016年まで毎年通いました。

 

2003年からは娘ずれで。娘はゼロ歳からのOtakon育ちなのですね。もっとも彼女の場合ゲームが興味のすべてですが。あいにくBaltimore Convention Center が改装のため閉まってしまったので今年からOtakonはWashinton DCに移ってしまいました。

まあ、私は2015年から日本に毎年何度か帰ることになったので、もはやOtakonの必要度はかなり低くなってしまいましたが。

 

でも、Otakonゆえに私の腐女子というか女オタクライフはアメリカで花開いたのです。Otakon様様でした、

 

というわけで次回は私のOtakon 時代について、そしてアメリカの女オタクたちについて私が観察したことをぶちゃけます。

汚超腐人と呼ばれたい。その1

私は今言うところの、腐女子第一世代だと思います。

70年代の後半から、アメリカで人生の新ステージを開始した1984年の暮れまで、私が一番少女漫画を中心とする世界に浸り、そのころの数人の親友ととっかえひっかえ5時間越えはざらという長電話で延々と作品論をやってましたから。

 

そのころはBLという言葉もなく、ただ風と樹の詩が注目を浴びて、どうやら結構年増の女どもが訳の分からないものに耽溺しているらしいという情報は拡散していったのでしょう。

 

あ、それと思いがけなく早死にしてしまった栗本薫さんの大きなあとおしもあって、1978年に本邦初のBL雑誌JUNEが創刊され、さらにその二年あとにAlanも創刊されましたっけ。

 

私は実は両方の編集者に面識がありましたが、彼らは対照的でした。JUNEは基本女子向けのエロを格調高くやってお金儲けしたいという人たちで、そのころおもにPopteenやらGalsLifeのライター兼スタイリストをしていた私は、鼻であしらわれました。

 

逆にAlanの編集長は微妙なGay好きで、実は女、特にキャリアガール嫌い。

 

別にもっと軽くてマイナーなのりの私でしたが、こちらの方にもなぜかある意味全く逆の理由で何も仕事をもらえませんでした。その代りにここの助手をしていた、顔だけは美少年風の年下と少し付き合いましたが。

 

あと、私の場合、あのころ少女漫画の評論をパフという雑誌に一緒に書いたことがきっかけでGayの作家H.O.ともよく長電話して、彼の少女漫画評論の原稿化進以前のあれこれを聞かせてもらいましたっけ。

 

その加減もあって実はH.O.ファンクラブという訳の分からないところで、エロ抜きのイメクラみたいなことを自分のスタイリストとしての能力を使ってやってました。

 

あーそうそう、Galslifeではかなり過激なグラビアものもやりました。自分の企画もあれば、仲の良かった副編集長の漠然としたアイデアを絵にしていくこともありました。私が出した企画で’ユリ族の世界’なんてのがあり、これはしっかり青年誌に注目されました。

 

副編さんの企画で一番反響が大きかったのは、´中退記念写真’。確かにすごくインパクトのある写真が撮れたのですが、一人の女の子は泣いてました。別に嫌だっとかいうわけではなくて、借りてきたセーラ服を着てもらってカメラの前に立ってもらったら、感極まったみたいです。

でもね、私はショックでした。

 

この仕事続けるのは無理だと思いました。実はこの副編さんは、今では大作家のH.Mさんを最初に見出し売り出したひとです。彼に、次は君の売り方考えないとといわれたとき、それはいやだ逃げようと思いました。

 

それがいまではとりあえず換金化の仕組みなど無視して文章をかきはじめたのですから、やはり書くのは好きなのでしょう。

 

ただ、私の友人はBL同人誌とかやっている人もいましたし、一人は見事別冊小説JUNEに作品が掲載されました。

 

一方で私は小説は読むほうが好きであまり物語を書きたいという欲望がありませんでした。いわゆる純文学ぽいものは書いてみたいのですがね。でも読者がいるとは思えん、

 

実はあのころ高橋たか子がすごく好きで、(なぜか浅田彰がすごく嫌っていたけど、これもギャルズライフのコネで無理やりインタビューさせてもらいました。浅田さんあのころはかわいかったなあ。)

 

彼女の作品は女子高体質の妄想がそのまま洗練されたような感じが好きでした。高橋たか子嫌いって男性結構多いのよね。これ絶対BL退くという男性と同じ反応です。

で、個人的には彼女も年下の美少年、BL,そしてユリとかいう要素がでてくるので、私にとっては森茉莉とならんで、BL的お耽美に萌えることのできる数少ない世界作品でした。

 

BL擁護者である、栗本薫さんもいろいろ書いてて一応いくつか読んだけど、決定的に豪奢がにおわないのよねこの方の作品は。

なんかそこらのイケメン俳優が無理しているイメージになってしまって。あ、そうだ、彼女は熱狂的なジュリー(しってますもとタイガースの)ファンだったからそのイメージで限定されていたのですよね。

 

そのてん日本も世紀末になるとVisual系とかよかった。Gakktはいまでこそ厚化粧のおばさんぽくなってますが(それにくらべるとYoshikiはすごいね。私彼がBaltimore に来た時、しっかり握手してもらったのです。すごいラッキー。)マリスミゼルのころは、本当に人間離れしていたし、あの頃のHydeもすごくきれいでした。

 

アメリカに来て、日本の漫画を買う機会は年に一回か二回New Yorkの紀伊国屋にいったときぐらいで、さらにさすが大学院時代は勉強に時間をとられ、腐女子好みのInputは激減。

ただ、私としてはMartyn Mansonが実はつなぎだったのですね。私は基本SMとか化粧男子、Fetish大好きですから。

 

Baltimoreに移ったのが1999年春、そしてその夏にOtakonに出会ったのでした。と、長くなるのので続くは次回に。

SFが現在に追いつく令和。福島の汚染水廃棄が開始されるこの時に、終末に取りつかれたSF作家 J.G. Ballard を読み返す。

私が、初めて自殺したいと思ったのはいつだろう。

たぶん小学生4年生ぐらいだったと思う。

まだ、母屋の浴室は古い作りで、洗面台がその片隅にあった。季節は多分早春。その時のことを思い出すと冷たい空気とそれとは対照的に明るい朝のひかり。そしてコップに飾ってあった桃の花と菜の花の色鮮やかさ。

その幸福そうな風景の中心で、私は洗面台にはった水の中で息をとめた。

こうやって溺れたら死ねる。死ぬと楽になる。

なんでそんなに楽になりたかったのだろう。

今風に言えば私は被虐待児だった。同時に優等生で、母ではなく祖母にそだてられた。祖母の私に対する幼児期の暴力は近所でも有名だったと大人になってから知ってびっくりした。

ほんの少し詳細を足すのなら、私には居場所がなかったのではなく、あるべき居場所でまるで普通に息をすることが出来なかった。さらに、他者とは次の瞬間に厄災をもたらす不確定要素でしかなかった。

 

そういう優等生の私にとって読書は当たり前のように唯一の逃避場所だった。他のすべてについて私は何一つ自由にはならなかったが、読書だけは緩やかに楽しむことをゆるされた。ちょうど同じころ、祖母の友人からのおさがりで、全50巻の子供向けの世界文学全集と、全20巻の百科事典のようなものが私に与えられた。今思うと、子供向けに書き直されてはいるものの、ずいぶんといろいろな内容があったように思う。

 

それはともかく、私は生まれて初めてSFというものを読み、そして宇宙やら、未来世界やらというまったくこことは関係のない世界を想像することを学んだ。

そのころは、アメリカでさえSFはまだほとんど際物扱いで、日本に至っては雑誌の付録などでたまに手に入れることだけが、私にとってSFめいたものを読める機会だった。

 

私は、本との出会いには恵まれている。

 

たぶん、中三だったと思う。あの頃はまだそこら中に小さな本屋があった。通学途中のターミナル駅近くの片隅で、私はSFと、本当に信じられないぐらい幸福な出会いをした。

 

どうしてその本屋が、本屋の大きさに比例すると嫌に数の多い創元社推理文庫のそれもSFの数々を置いていたのか、今考えるとかなり不思議だ。

 

私は何もしらず、ただタイトルと表紙だけで、3冊購入した。

 

’10月は、たそがれの国’ Ray Bradbury、

 

’スポンサーからひと言´ Frederic Brown、そして

 

’時の声´ J.G. Ballard

 

この話をずっとあとで知り合いになったSF好きにすると、必ず感動される。

さて、どれも素晴らしく新鮮で私は幸福な出会いを感謝したが、私というものにとって一番しっくり来たのは、Ballardだった。

 

Ballardの初期の短編集は蠱惑的なDistopoaめいた話、あるいはいわゆるKafkaesqueという感じの、主人公が不条理な状況に置かれている話が多かった。ただ、ほかのその手のは話とBallardとを大きく分ける特徴が二つある。

 

一つは、これは個人的な好みにも関係するけれども、シュールレアリスムの絵画世界を思わせるイメージ。ダリ、エルンスト、タンギーなどの独特な風景が喚起される、絵画的表現。そしてもう一つは、

 

主人公の潔いまでの無力感。日常としての終末。

 

 

破滅はあらかじめ決まっていたことで、もはや恐れるものではなく、安心して抱擁するものだと感じさせてくれる。

そのあと、創元社から出ていた文庫で、Ballardを探し、しばらくの間手に入るものはすべて買った。私の高校時代の内宇宙は、Ballard的な終焉のなかで、きわどく均衡を保っていた。

あの頃買った短編集のタイトル。

’時間都市’

’永遠へのパスポート’

’時間の墓標’

′終着の浜辺’

’溺れた巨人’(これは、Ballardが次のステージに進む直前で、なにか迷っている感がして好きになれなかったが。)

 

感覚だけが残り、ほとんどお話は覚えていない。ただ、いまだに忘れえない夢のように、断片として思い出す。

 

’時の声’は、遺伝子コードが何百万年の年月を経て少しづつすり減り、薄くなっていくという未来の話。

現在の私たちの理解では遺伝子コードはプログラム。だから、それが数えきれないほどのコピーを繰り返しながら劣化していくというのは、受け入れやすいイメージだ。

いまでこそ何か当たり前のようなコンセプトだけど、はじめてこの作品を読んだときは、個としてではなく種としての終わりを想像できた気がし、開放感があった。

 

´終着の浜辺’、英語ではTerminal Beach.高校生の私が一番好きだったタイトル。

 

相変わらず、お話といえるようなものはあまりなく、舞台の美しさだけが凄まじく際立つ。

核実験場として使われたその後のどこかの南の島の浜辺。のこっているのは破損がひどい塹壕と白い浜辺。生物はいない。たしか、主人公と死者が対話していたような覚えがあるが、はっきりしない。

 

あきらめてしまってよいのだろうかと思いつつ、令和の今、絶望的未来は、あまりに日常的認識となっていく。そして、

 

福島の汚染水廃棄が、令和の現実になる

 

だから今、1970年代に書かれたバラードの終末感が生々しい。

初めてのRPG- Wizardry 1984 そして私は人生をリセットしました。

昨日家族と久しぶりにSunday Brunchにでかけたのですが、ふと思ったのです。

 

このブログはGameについて、そしてGame的世界観について、Gameというフレームを使ってメタレベルの視点から世界をとらえなおすことが、私のすでに生きてきた人生の中でどんな役割を果たしてきたか。それを書き留めることが最大のフレームワークになってます。

 

でも、究極の無理ゲーである人生のステージに気を取られ過ぎて、Gameそのものの、現実を目の前で書き換えてしまう効力について忘れてました。

 

私は、ゲーマーと自分を呼べるほど、プレイしてきたわけでもないし、やってきたゲームも偏っています。

それでも、人生ゲームの時々にそれなりにはまったゲームがあり、それぞれ違った恩恵を受けていたことを、今思い返すとはっきり思い出せるのです。

 

一番最初にはまったゲームは、全くの行きがかりで出会った、日本に最初に入ってきた第一世代のPC版RPG, Wizardryです。日本をたった1984年夏の初めから、出発直前の12月までプレイし続けました。

アップルIIeの互換機を、安いTVに繋げてもらい、ひととおり説明してもらった後、毎夜毎夜ひとりでやり続けました。

私は、そのころTVゲームといっていたアクション型のゲームにはなじめず、はまりもしませんでした。

スペースインベーダーとか、パックマンとか、知り合いがテーブル式のマシンに座り込んで熱中しているのを横で見ていただけ。

娘を持つことになってだいぶ改善しましたが、私は極度の緊張型で、しかも他人がいる場所でこういうワンコインで競うものを楽しむなんてことはできなかったのです。

 

RPGの場合、最近の瞬時のアクションを要求されるものでない限り、(そういうゲームでも、画面切り替えとかで息継ぎができる。これに気が付いてからZeldaの戦闘がらみで死ぬことがずいぶん減りました。)例えばモンスターへの対応はゲーム時間であり、リアル時間にはない’考える隙間時間が与えられています’。

 

そしてもちろん、一人で黙々とやるのはやはりリラックスできた。

もう、根暗設定で決まりという感じですが、下手なうちは今だって一人でプレイするのが一番です。

私がプレイしたWizardryは、そのころまだ日本語に翻訳されておらず英語のまま(多分今思うと海賊版だったと思います)。

グラフィックはといえば、もう信じられないぐらい原始的でしたが、今ゼルダ ブレスオブザワイルドをやっているのと同じぐらい、ある意味それ以上興奮しました。

 

地図もありませんから、方眼紙に一つひとつ書いていきます。

隠しドアとか落とし穴とかありますからそれも忘れず。

基本ひとマス分しか表示されませんので、モンスターはいつも突然現れます。

逃げるときも大変ですよ。とにかく迷いやすいから。

さらに、Wizardryのダンジョンの場合、古典的な階層型の地下ダンジョンなので、Gameが進めば進むほど、逃げるのが結構大変になってきます。

基本ダンジョンをでるまでは、いつ敵があらわれるかわかりませんから。

 

思い出してみると、同じ年の春先に付き合っていた年下のBFに、よく考えてみるとどうでもいいことで一方的に振られ、(結構小柄で、童顔、ちょっとジャニーズ系が入っていた大学院生でした。)落ち込んでもいたはずなのですが、Wizardryをやっていた時はすべて忘れました。

 

こうやって振り返るとはっきりと見えてくるのですが、たった一人で、限られたグラフィック以外はすべて断片的な英語情報だけが頼りの世界だったわけですから。

 

これ完全にこれから突き進んでいく英語ベースの世界の先行体験だったわけです。

 

恋愛関係がらみで情緒不安定になり、感情をすりへらし、取り返しのつかない焦燥感と何度も対自してきましたが、Restart可能なゲームのなんと対照的な救い。

 

そういえば数年前にアニメ化された’RE:ゼロから始める異世界新生活’という話の主人公の場合、たった一つの特殊能力というのが、まるでゲームのように異世界での自分の人生をリスタートできることでした。

それ以外には、この異世界に放り出されてから身に着けたマイナーなスペルだけで、まあいろいろほかはお決まりの異世界漂流もの内容が多いのですが。それでもこのお話は異彩を放ちました。

この物語のリスタート能力はつまりは主人公が死ぬことでしか発動されず、それはさらに多くの場合死に至るまでの肉体的苦痛と一緒です。さらに主人公が死ぬような状況とは、本人の肉体的痛みに限らず、友人や愛する者に降りかかった厄災、そしてそれを目撃ししかも止めることのできなかった悔恨をも伴うものです。

 

そこまでしても、リスタートしてやり直せたらと思うのが人の願いであり、私だって何度そう思ったことか。

 

私は、日本でのWizardryのPlayをあとにして、1984年12月、アメリカに向けて立ちました。

 

人生最大のリセットを敢行したのです。

 

ところで、やっと進化が螺旋形である理由が分かりました。なん度も人生のステージをリセットしているから、当然やり直しつつ以前とは違った結果にたどり着くことを目指しているのですから。

 

一息つく金曜日の夜に、しんみりしています。それでも私は。すでに子供のころScience Fiction であった世界に、いまだ生き続けている。

ああ、これからまだ生き続ける時間はもう今まで生きてきた時間よりずっと短いんだ。そう改めて気が付いたのは、やはり5年前の母の死がきっかけでした。

父が、1994年に思いがけなく逝ってしまった時、私は改めて、自分を無条件に守ってくれる存在は無くなったのだと思い知ったのですが。でもあの時は年老いたというより、子供という人格の破片を最後の一つを手放さなくてはならない。そんな寂しさと心細さがつのるぐらいで、今思い返すとまだ、若さという都合のいい心持にしがみついていたのでしょう。

振り返ってみると、年老いることも、年老いることへの怖さも、アメリカでのみ可能な超高年齢で実の娘を得た後、呆れるぐらい忘れ果てていました。自分より二回りは若い母親やら、娘の学校の先生やら、カウンセラーやらと、とにかくつきあっていかなくてはならない。

実は、娘には発達障害があり、とにかく彼女に何をしてやれるのか、何ができるか考えそして実行する。そうやって生きていく時間がずいぶん続きました。でも、紆余曲折の後、娘が、人並みに小学校に入学したことで、その対応策にはっきりとした未来の可能性が描けるようになったのでした。

その次にやってきたのは、娘にかかりっきりになっていた間に悪化していた、経済状態をはじめとする、娘以外のほったらかしにしてしまった家庭と家族を維持していくためのすべてのつけ。

私が中心になってやるしかありませんでした。年老いたというより、たぶんこれが初めて、私が曲がりなりにも、大人らしく、自分にとって大切な他人を守るために生き始めたのだと思う。

そうやって、5年前まで、私にしては珍しく、つたないなりに前のめりで生きてきたのだと思います。

 

そして、母の葬儀に追われた2年前の日本滞在中、ほぼ十年ぶりに一人になって、

突然疲労感がすぐ後ろに迫っていたことに気づき、足が竦んだ。

 

死が恐ろしいというより母の人生の虚しさにばかり当初圧倒され、しばらくは月並みな人生の無意味さなどという当たり前な設定に見事に飲み込まれましした。

そう、まさしくGame Overという自己認識。

 

通夜からもどり、眠れず、翌日の告別式という義務にもすでにうんざりしていたNegative Stageは、が、1枚の写真でいとも簡単にひっくり返されたのです。

 

Key ItemがGameを、絶体絶命から勝利へと切り替えるように

 

眠れないまま、父の死後に取ったらしい母の写真のなかに、どうやら知り合いの美容師のモデルになって、何かのコンテストに参加していたらしきものを見つけました。母はとても誇らしげで、若くて、美しかった。

 

その時すでに、母は60代も後半に差し掛かっていたと思う。

 

以降、妹がやっとの思いで義弟から取り戻した父の作り上げたビジネスにも関わるようになり、アメリカに来て以来31年目にして、日本に意味のあるしがらみも生まれました。

 

そして今年、6月いっぱいでアメリカのFPの仕事からリタイアします。さらに、これからは日本とアメリカでの時間を50-50にする。

日本に戻るたびに、私は自分がもう年老いたと形容されるべき年齢に達していることを自覚しますが、それは決して嫌な感じではない。

 

妹の会社で、少しずつ、クラウドベースのIT化、DX,などを今進めています。

それって、改めて思うと、中学生ぐらいのときに夢想した

SFの世界を生きている

 

Cloudという常に増殖し続ける集合外部記憶によって、

思いはたやすく具現化され、

それは祈りたくなるほどの、

繋がりを派生させていく。

たぶん、これが、

いま、第三次世界大戦前夜のきな臭い世界の真っただ中で、

生き残るための、

Key Itemなのです。

 

まだ、Game Overじゃありません。

私はPlayを続けます。