実はサガンの小説ってだいすきなのです。
あ、今の若い人はサガンといっても知らないか。昭和の仏蘭西好みが考える、おフランスてきカルチャーの魅力をそのまま体現したような小説家です。
彼女ももう死んじゃったのよね。
彼女の小説は、ごく一部を除いて、文庫本で150ページ弱。日本人にとってものすごく幸福の偶然は、サガン前作を翻訳している、朝吹登美子さんという仏文学者。
いつかフランス語でも読んでみたいけど、まあ彼女の邦訳がすごくいいからあの空気はしっかり伝わっていますよね。ご本人含めて、とにかく元祖セレブの世界が描かれ、でもご本人はたぶん仏蘭西戦後最大のグローバルなベストセラー作家として、お金にもスキャンダルにも事欠かなかったけど、最後は割とひっそりと無くなりました。
でも、こういうのってやはり、心のどこかであこがれてしまう。
いまとなっては本当に今まで買った本の50分の一ぐらいになってしまった小さな本棚で、いまだ一角を占めています。とにかく薄いからまあ、10冊以上あってもそんなに場所をとらない。
あまり長くないので、なにか苦くて甘くてせつない、でも日本離れした恋愛小説を読みたくなる時のために、たぶんこれからもそこに居座ると思います。
そのサガンお約束の中篇小説のひとつをご紹介。でも、本そのものではなく映画化されたもの。邦題は’別離’。小説のタイトルは‘熱い恋’。
これ私にセレブと単なるお金持ちの違い、そしてお金で買えるものの本質について教えてくれた映画なのです。
もちろん若き日のカトリーヌ・ドヌーヴがとてもきれいだったのも大きいのですが、
お話は筋だけだともうどうでもいいくらいなもんです。
ずっと年上の恋人と同棲する彼女と、同じくずっと年上の恋人がいる若い男と会って恋に落ちる。年上の恋人の保護を飛び出して若い男と同棲を始めるが、妊娠、中絶、そして生活のために働くことができず、結局、もとの恋人のもとにもどりやがて結婚する。
でもちろん映画のあらすじとか読むとぜいたくと怠惰な生活になれただめなルシールっていう表現になるのですが、私の印象は別でした。
ルシールって怠惰というよりまだ社会適応できていない子供って感じなのです。で、子供って親のもと離れて生きてはいけないでしょう。ルシールって感覚的でまるで子供のように無心に瞬間を楽しむことをしっています。
このひと明らかに贅沢そのものに興味はない。シャルル(年上)の恋人に室内楽の夕べに誘われ、誰々ちゃんのお誕生日かいにどの服着ればいいのというのりで、おいてきたはずの高価なドレスに手をかけるところとか、あ、子供がちょっときれいなものに釣られてと言う感じなのです。
ルシールってほとんど市場論理による欲望の喚起に犯されていないひとだってことなのですが。
お金があれば、雨の日にバスに乗らなくてすむ。
お金があればゆっくりランチが取れる。
お金があればいやな人と顔を合わせないで住む。
だいたい仕事がいやなのは、仕事そのものでなく仕事で無理強いされる人間関係その他もろもろのことがたまらなくつらかったりするのです。
もちろん3K労働は確かに存在しますが。
いわゆるぜいたく品はお金で買うものですが、お金で買える’もの’ではない。
お金で買える一番大事なものは自分や自分の愛する人を守る力。
ただ、守られている限り大人にはなれない。
ところで、子供に教育をあたえることは、ちょっと違います。教育は基本的には投資です。其の話はまた別の機会に。
で、なぜこういう小説にひかれてしまうかといえば、結局私は、お金を稼ぐということについていまだに自分のなかで折り合いがついていないのだと思います。
よく、お金とは自分が差し出す価値で人が幸せになったその対価だと。それはそうだと思いますよ。
でも、そういう何かがない人はどうするのでしょうか。で、そういう人は3k労働するしかないわけ?!
働いて向上することはそんなに、明白にただしいのか。
あの頃のセレブって、資産の規模をみると、今の超格差をつくりあげた富豪たちの富に比べると、ずいぶん可愛らしいものです。
いつも、Lifehack,生産性向上と、それなりにはりきっているわたしですが、そういうポジションから離れるのは、やはり気分転換でよいものです。