今、珍しく硬めの本を読んでいます。翻訳本で原題は’Less is More’このタイトル、ミニマリスト啓発本みたいで、日本語版のタイトルの方が、内容伝わりやすいです。
数年前にさすがに原本は重厚すぎて無理と、代わりに読んだこの要約本と同じ流れの本ではあるのですが、
基本、西洋の歴史の中で資本主義が世界のシステムや言説を支配していった歴史的背景の部分がとにかくこちらの本のほうが突っ込みが深くてずっと面白い。
アフリカで生まれ育った白人(?)インテリの、第二次大戦後の旧植民地の疲弊の本当の理由がこの本を読んでやっとわかった。で、さらにそこから遡って、大体Enclosure(これはさすがに世界史で習ったのを覚えている。なんというか今一わけわからんかったからいまだに覚えているの。)あたりから始まる資本主義による収奪の歴史が初めて腑に落ちた気がします。特に、ヨーロッパが黒死病による極端な人口の減少の後、一度は農民や商工ギルドを中心とした、かなりまともな生活革命がおきつつあったのに、それがぶっ潰されていったという流れの説明が、もろ私が習った世界史というか西洋史の黒歴史Missing Ringという感じ。
さらに、生産性と成長神話が、特にプロテスタントの勃興と手に手を取って,効率主義に完全に染まっていく感じがすごくまたまた腑に落ちる。いわゆるDickensianの世界の背景にある哲学のようなものが見えて初めて、あの時代の、いわゆる慈善と信じられないほどのSystematicなAbuseがどこでどうつながるのかこれも初めてすごくよく分かった。
逆に、Green Economyが救いにならないという点については’人新世の資本論’で割としっかりお勉強していたので、そこまで新しい気づきはなかったけど、資料が色々良かった。
ただ読んでいるうちに、私自分の中の生産性信仰がやはり、自分の幸福の妨げになっているというコトに気づきはじめたのよね。
私は、Reproductive Technology (Technologyだっていいものはいっぱいある。ただ万能じゃないし、成長のためにあるわけじゃない。)のおかげで、70歳まじかながら大学生の娘がいる。その娘はいわゆる発達障害があって、でも特にSTEM系とあとArt系強く手、その才能を伸ばそうと、ここまでがんばってきて、見事州立のFlagship校に入学できたのだけど、最初の一年は学期間中と、私の日本滞在がほぼ重なって、まあクラスによっては娘がうまくサポートと使いこなせず(というか、サポートがコロナの終わりでこうあまり機能していなかったらしい。)いくつかのクラスがひどい状態になってしまって、しかもストレスレベルがすごく上がって大変な状態になっていしまっていた。
で、この秋は娘に寄り添っていろいろやりました。
後、高いし、まずいし、不便と三拍子そろっているので、外食はTakeout含めてすごく減らして、もちろん私が料理。あ、週三回は娘のお弁当作ってるし。(食料の買い出しも、いろいろと頭と体力使うし。)
その一方で、日曜日夜から木曜日夜までは、毎晩日本とZoom.あ、水曜日の朝もだ。もちろんこれに伴った日本の仕事があるし。
さらに、2025年初頭のGreencardの返還のために、実はIRSに対して提出しなくてはならない書類だとか、過去の確定申告の補正とかでお金と、私自身の作業が大変な状態だし。
だからしょっちゅう予定通りにいかず、すぐ疲れ果ててなにもできなくなる。特に午後が一番だめ。そもそも、2015年から日本とアメリカを年2-3回行き来するようになっていらい、どちらに居ても午後、特にランチの後4時近くまで
ダル―
だから、また無理して、また疲れ果てての悪循環が続いていました。
それでも、娘とご飯は投げ出していない。
もう、70歳なのに、毎日家族のご飯つくってるんだもの、それだけで実は
結構生産性高いでしょう
で、娘の線形代数と、Discrete Structure(離散構造)のクラスのHelp(あ、私数学のPHDとか持ってるので、学部レベルの数学おしえられます。隠しスキルですね。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ)とかせっせとやって、あと、大学のいろんなDeadlineやら時々目を配るし。まあ、Notion使うからいいけど。とにかくやる気ゼロでも、これもやるし。あと、Zoomはちゃんとやっていて、最低限のフォローはやってるし。
でももう、ずーっと
自分が生産性低いと、自己嫌悪して、その分時間つぶし型Gameとラノベに耽溺してしまって…
あー、これって全部自分のなかの生産性信仰のなせるわざだったのね。もう、いい加減にしよう。
なんかアメリカあたりで、コロナ明けに9To5の仕事について、通勤時間入れると、前後1時間15分ぐらいずつ時間取られてこんなのやってられない、虐待だってTickTockあたりに上がってたでしょう。
これコロナ前だったら、大人になることが分かっていない餓鬼で済まされていたのが、今や私も含めて共感するよね。
大体、雇う側の効率と雇われる側の効率って違うでしょう。
自分の生産性がいくら上がっても、定時で雇われている人間は、その分もっと仕事が増えるだけ。でも、自分で仕事をしている人間は自分の生産性が上がれば、その分自分のために使える時間が増えるわけじゃない。
そりゃー、コロナが終われば、雇う側と雇われる側なんてもう
利害が真逆
で、私はなんで、誰かに時間拘束されているわけでもないのに、生産性が上がって、色んな事が時短できるようになって
逆に、罪悪感をかんじている!!
だから愕然としたのです。