東京で一番人気のある観光スポットどこだかわかりますか?

淺草界隈です。

そういえば今年の春放映された、最近珍しくなったオリジナルアニメで’さらざんまい’というかっぱとBLと淺草がごった煮になって令和ぽくハイテックなスパイスが効いた、訳のわからないアニメがありました。

 

全体としては、色々ツッコミどころの多いよくわからないアニメでしたが、この’淺草が舞台’というのがとにかく外せなかったのです。最高なのがEnding. 以前にもかなり詳しく取り上げているので、よかったらチェックしてください。

アニメ’さらざんまい’ 完結。死ぬほどすきだったEnding, 浅草慕情と私の故郷、東京東部の魅力について

あと、この記事に貼っといたビデオがアクセスできなくなっているので、今アクセス可能なYoutubeビデオもここに貼っておきます。

 

 

なんで今さら急にまた淺草に目が行ったかというと、実はこれ立花岳志さんのブログ、No Second lifeのせいです。このブログは毎日チェックするたびに必ず数本読むことが多い。

で、ここのところやたら多いのが、例えばこんな記事

ニュー浅草本店 訪問レポート 〜 浅草の顔的存在の居酒屋!喧騒が心地良く感じる不思議な存在感が好きだ! [浅草グルメ]

 

つまり、淺草の色々な’レストラン’の紹介レポートなのですが、ちょっとほかの立花さんのレポートと毛色が違う。

 

立花さんは結構レストラン紹介記事には力が入っていて、とくにお寿司屋さんに関しては量も質もすごい。彼は金沢に良くいらっしゃるようですし、さらに少し前に北海道にも旅行しているので相変わらず気合が入ってます。

 

ただ私は、もう年ですのでそうそうグルメ三昧できないし(糖尿もあるし)、さらに娘と日本にいるときは娘が楽しめる場所でないと基本避けるし。

 

だから、正直なところ少し前から、ほとんどのグルメ記事はパス。さらに言ってしまえば、通ぽいグルメの突き詰めってもういいです言うのが本音。

 

が、かれの淺草’グルメ’は、この手の寿司グルメ記事に代表されるタイプと違う。だって、そんな’グルメ’というほどのものではないと思うし。

 

では、一体何が彼をして記事を書かせるほどなのかといえば、それはたぶん

 

昭和の風景さながらだから

 

大体六本木や、麻布って’進駐軍’のせいで’バタ臭く’なるまでは(こんな言葉今の若い人たちしりませんよね。)、すごく下町ぽかったのです。多分立花さんはそのころを記憶の中に閉じ込めているのかな。さらに、どうやら若い頃の恋人とどうやら淺草界隈を彷徨した時期があったらしい。

 

私自身、江東区がまだ深川と城東に分かれていた頃に子供時代をすごし、時折むしろお気軽なハレの場所として祖母に連れ回されたのが淺草。買い物は日本橋、日本舞踊のお稽古が浜町。そして、子供時代の最大のハイライトが新橋演舞場でのおさらい会でしたっけ。

 

中学に入ってからは、F葉に通い出したので、そんな江戸好みすら移しているような環境を随分遠ざけようとし始めましたがね。

 

でも、アメリカで長く過ごしすぎてしまった後日本を訪れると、昔一度は嫌ったはずのそんな馴染んだ界隈がこの上なく懐かしく心地よい。

 

むしろ昔あんなに羨ましかったはずの親戚の住む世田谷区は、ごちゃごちゃして見え、かって垢抜けて見えたはずの青山や表参道は味気ない。

 

東京の下町は、隅田川を始めとして、運河や支流の川が街を区切るように流れ、今や川沿いはどこでもこの上ない散歩道になってしまった。(自転車も多いけど)

 

子供の頃はまだ都電が走っていて、それ以外なら結構歩いたものです。今は地下鉄とバスに切り替わってしまったけど、相変わらず

つい歩きたくなる

 

一度、あれは確かジブリの展覧会をやっていて六本木ヒルズまで行って、つくづく疲れたことがありましたっけ。

 

子供を連れて気軽に入れるお店がマクドナルドぐらいしかなくてつらい。

 

別に値段が問題なのではないのです。(日本にいる時はあまりお金を心配をしなくて済むので。)これが日本橋の三越なら特別食堂ですら、私も娘もかなり美味しいものがそれぞれ食べられる。

 

高くて、贅沢で、大人っぽいところならむしろアメリカのほうがあるのです。それこそこのバルチモアにすら。

 

でも、親子連れで入れて、もしくは大人だけでもごく気軽に立ち寄れてくつろげてそれなりにおいしいところって、実は日本以外少ない。

 

つまり私が再発見しているのは、

昭和のハレ

 

なのです。

 

別に昭和という時代そのものを美化するつもりはありません。

 

ただ、平成っていわばグロバリーゼーションの時代で、結局贅沢も、消費文化も心のそこから馴染むものではなかったと思うのです。

 

令和の私達は、この2019年という時代のテクノロジーの恩恵を十分受け止める一方、何が一体私達を幸せにしてくれるのか、本当は何が好きなのか見極めようとし始めているのではないでしょうか。

 

私には令和が、アップデートされた昭和にみえてきてしようがないのです。

 

 

 

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