立花岳志さんが、またNoteでご自身の深淵を公開、本当に文学的と読み耽ってしまう。

シェアする

実は12月に一度、

立花岳志さん、ポリアモリー顛末記に思うこと、そして週次レビュー

という記事を書いています。タイトルに’ポリアモリー’と’立花岳志’さんが入っていたので、このブログとしては今までに一番バズってしまい、逆に困ったと言う経過があります。

立花さん自身がRetweetしてくださったこともあり、それに対してのお礼記事をまた書いてそこでやめました。

私がこの12月の記事を書くきっかけになったのは、彼がNoteで何かかなり突っ込んだ内情吐露を開始したようだったので、あのときはNoteを一ヶ月購読してました。

あの、かなり徹底した文章の後、彼はかなり肯定的な形で離婚を総括していらっしゃいました。そして、その後さらに、スピリチュアルへの興味を持たれて、それ絡みの話が多くなったこともあり、私のNoteは一ヶ月購読で終了。

個人的には、???だったのです。でも、こういうことって人それぞれが人それぞれのプロセスを通るものだからと流してしまいました。(私の’強み’トップ5に、個別化がはいっています。)

と、今夜(日曜なので夜、定点観測)いつものように立花さんのBlogをチェックしたら、ああ、やはりと思って、即Noteを購読。

問題のタイトルは

パンドラの箱が開いた 〜 僕は深く、深く、深く傷ついていた [note]

ああ、やっぱりと、僭越ながら思いました。

色々今から勝手なコメントを書く前に、まず立花さんは、こういうことを書いてしまうから、他のアルファブロガーと本当に異質で、だから私にとって情報性の低い、旅行情報やグルメ情報が正直多すぎると思いながらも、いま現在ほぼ毎日チェックしているブログの中では、最古参。

いま、小説があまり面白くなくなったという状況で、いわば純文学的読書衝動を、満足させてくれるような内容がたとえば、こういうNoteにはもちろんかなり生々しい状態で表現されています。

ただ、今回のNoteの内容を読んで一つ引っかかったこともあります。まだ元奥さんに対する本当の気持ちに直面するのは辛いのだろうなと、ふと思いましたので。

一方、彼は今自分の女性に対するサービス精神をはっきり過剰だと認めていて、それはすごいことだと私は思いました。

昔々、立花さんは、自分の付き合っている女性の、生理周期をフォローしていると書いていたことがあって、それを読んだ私は、あ、この人女性があまり好きでないのだなあと思ったのです。

それとともに、彼がここ数ヶ月褒めている男性を見ると、私のようにおじさん嫌いの年増女からみると、もう’ギラギラした、欲望丸出しの親父ばっかじゃん’という状態で、立花さんて、男性も実はあまり好きじゃないんだと、妙に納得した覚えがあります。

立花さんの元奥さんと言う人は、私から見るとすごく女性性が強い感じがする。物質的な豊かさがとてもこの人にとっては重要なんだなというところも、すごく立花さんと異質なのではと勝手に思ったりしましたし。

立花さんは、基本女性性にも、男性性にも違和感があるから、きほんひきこもりと過剰適応の間で揺れるような感じがあります。

でも、だからこそ、あまりせっせとアフィリエイトで稼ぐとか言うドライブがゆるいのでしょう。そしてだからこそ彼のブログのほうが飽きない。かつて、元奥さんに’稼ぐ努力が足りない’的なことを言われた書かれていて、わ、奥さん毎日点数付けしてそうと恐怖しましたから。

立花さんのブログに比べると一時期ハマったイケハヤ節は、すでにすっかり飽きてしまったし、Manablogの方は、Youtubeで景気づけに聞くぐらい。まあManablogのほうが、イケハヤさんより聞きやすいし読みやすいけど。

別に、悪口を言いたいのではなく、ただイケハヤさんでも、Manablogでも、あれは’読み物’ではなく、’情報収集’する文章なのだなあと最近はっきり思います。

彼らが得意とする分野に関しては情報度高いけど、ごくたまに書評とかのると、正直あまりの薄さに薄ら寒くなる。まあ、この二人は基本幸福の尺度が、お金以外まだないからあまりに薄いのでしょうね。

私にとっては、書くという行為そのものに思い入れがあるので、一時期の熱狂が覚めるとまあ、自分を取り戻すわけですね。

少し話は飛ぶけど、端っから恋愛を避けている人間は、心の痛みや闇について学ぶ機会はない。たとえ幸福な子供時代に恵まれていても、もし恋に落ちて更にひどい失恋をするような機会に恵まれれば、人の心の痛みの凄まじさに想像がつきやすくなる。

ましてや、もともと拗れた子供が、大人になって更に傷つき、そしてそこから裸のままで立ち上がることができるのなら、その人間は他者の痛みを受け止めるだけの強さを纏う事ができる。

立花さんの今回のNoteは、12月のポスト以上に、赤裸々で生々しく、ある種何時になく稚拙な感じすら。あ、でも退行がプロセスとして必要なのかもと妙に納得もしました。

今回のNoteポストの一番最後の方で、こんなふうに言ってるのがすごく微笑ましい。(すみません僭越で、でも年齢的には、私立花さんよりずっと上なのでお許しください。)

こんなものが出てくるとは夢にも思わなかったが、これを自力でできる自分て、結構すごいな、と自画自賛していたりもする(笑)。

ほら、自分を救えるのは、自分しかいないので、これは再生の始まりの証。まだ膿は出きってはいないと思うし、残念ながら過去を完全に昇華することはできないけど、立花さんはどんどん強くなっているのだなあと思います。

と、ここまで書いて、私にとって今一番近い闇について書きたいと思いました。何度も何度も触れましたが、私の一番下の妹は、2017年のHalloweenの前日に死んでいます。そしてそのことを私は未だに引きずっている。

確かに、日本を発つ直前に少し抜けたのも事実だけど、やはりもう少し向き合うべきだと今ふと思いました。

ただ、ここである程度かきとめるだけでなく、たった一人残ったもうひとりの年が近い方の妹と今度ゆっくり話してみようと思う。