立花岳志さん、ポリアモリー顛末記に思うこと、そして週次レビュー

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私がここ数年BookMarkつきで、ほぼ毎日チェックしているブロクのひとつが立花岳志さんの、

No Second Life 

です。

で、実は昨日Note’小さな声で本当の話をしよう’という有料Noteのポストを見た時、正直ピンときてしまったのです。

こういうところはまあ絶対確かめないと気がすまないので、一月分支払っってNoteのポストを開きました。

で、昨日まではNote内だけでしたが、今日のまたまたNoteの更新ポストで、タイトルを公に

’自分責めの三重苦 〜 結局ポリアモリーのバチが当たったのか 全部おいらが悪いのか’

としてましたので、個人的な感想をちょっと書いてみます。あ、彼は2017年に、ポリアモリー宣言をしているのです。確かメデイアにも登場してました。

私は個人的に、否定も肯定もしませんが、基本大変そうだなあと思いはしました。

実は私、若気の至りで、某雑誌に恐ろしいタイトルの体験記を書いたことがあります。

そもそも、あのときは編集者のかたが離婚した女性の体験記を探していたので、まあ駆け出しのフリーランスライターだったのでチャンスとばかりに飛びついたのです。

内容そのものはそれほど過激ではなかったと思うのですが、編集さんが私に特別確認を取らずに(タイトル替えてもいいですかとしか聞かれなかった。)つけたタイトルが、

’認められなかった婚外性交’

でした。

いや、さすがの剣呑な私も青ざめました。離婚をしたものの、べつにEX Husbandを特別憎んでいたわけではないので。このタイトルのせいでまあ特別親しくはなかった男性の知人の多くにかなりの敵意を抱かれるようになりましたっけ。

フェミニズム運動に先立つ10年ほどは、いわゆるSexual Revolutionが荒れ狂った時代でした。

私も少しかぶれて例えば

W. ライヒの本を読んだりしましたっけ。

Open Marrigeなんて言葉もありました。Swapping 夫婦交換なんてことがものすごく肯定的に取り上げられもしましたっけ。

結論から言うと、私には無理でした。振り返ると結構ややこしい男女関係にはまっていいた時期もありましたが、基本アメリカに移った時点で私は至ってシンプルな人間関係をゼロからはじめましたから。

あれから20年も立って、ポリアモリーという言葉をまた聞いたのはたしかちょうど、大学院を卒業する頃でした。

同級生の一人が学生結婚をしていて、その縁で奥さんのほうとも知り合ったのですが、その奥さんがポリアモリーを実践して、結果的に旦那さんが耐えられず離婚しました。

彼女に対して、悪感情はもっていませんでしたが、まあ若かったせいもあってものすごく人間に対する洞察力が甘い、そして特権意識が強すぎるとは思いました。

私が初めてあった頃の彼女はもちろん20代でしたが、美少女という感じでとてもひと目を引いてました。確か何かのPartyに彼女と二人で行き、そこで彼女からポリアモリーという言葉と、後彼女のような人間はポリアモリーに値するというようなことを聞かされたのを、とてもはっきり覚えています。

Open Marrige(ポリアモリーに基づいた婚姻関係)が成立するためにはそもそも2つの条件が欠かせません。

一つには、結婚が愛情以外の強い社会的理由に基づいていること。まあ、経済的理由なんてものも含みます。

もう一つは、夫婦とも、性行為を趣味、あるいはスポーツのように楽しみたいという強い欲求があることです。

ですからまあ、結構お金がある階級の密かなお楽しみという形で続く場合が一番成功しやすい。

反対にポリアモリーという以上、1対n、ではなく基本n対nでなくてはならないということ忘れてはいけないのです。

つまり、パートナーの片方だけが実践する1対nの関係は所詮、均衡を保てなくなって潰れてしまいます。つまり、モテを正当化する方便にしか見えない時がやがて訪れるのです。

さて、詳しいことはしりませんが、Noteに立花さんが書いたことに対して私なりの分析をしてみます。

断っておきますが、立花さんのNoteを読んだ限りでは、私は立花さんに対してかなり同情的です。ただ、相手のかたがこの関係に対して否定的な感情をもっていたそうですから、もうその時点で単なる奥さん公認の不倫というところに残念ながら落ちてしまいます。

私から見ると、立花さんの奥様は、自分からポリアモリーを持ち出した時点で、立花さんにたいする、まあ男性として強く惹かれる部分、すでにかなり減退していたと思います。

いつも思うのですが、自分でない他者と距離を縮めたままでいるということは結構不快だったり、苦痛だったりすることが多い。

いやゆるヤマアラシのジレンマですね。

それがまあ男女関係の場合、いやこれはまあLGBTでも同じですが、性愛が存在することによって。

ずいぶんと緩和されるのです。

性愛なしで、これが可能なのは親が子を愛しているときぐらいですね。残念ながら子供のほうは、成長するに従って少しずつ他者化していきますが。

奥様と過ごす時間が減ることによって、奥様の立花さんにたいしてのIntimacyは、どんどん持ち続けるのが難しくなっていったのだと思います。

さすが、最初から奥様が意図的に立花さんを遠ざけようと思ったわけではないと思いますが、男性的魅力を感じる部分が減って、婚外の恋人に妻としての’義務’を肩代わりしてもらった結果、奥様はそれまで無視できた’ヤマアラシのジレンマ’、もう耐えられなくなったのでしょう。

だからこそ、いまだ人間的には尊敬できるし、ビジネスのパートナーとしても捨てたくはない。でもプライベートで近くにいられるのはうっとおしいということだと思います。

さて、いまやお気にいりのブログを毎日いろいろチェックするのはまあ、人生の楽しみの一つになっている私ですが、この小さなグループの中に、昭和風ないいかたをするとあまり文学的可能性を感じる方がずーっといなかったのです。

が、今回の件でぎゃくに立花さんは、ああ文学的な衝動を持つことができるのだなあと感じました。

もともと、ブロガーになる前から、中小企業の有能なマネージャーだったひとです。そしてもちろん

パワーがあります。

だから、着実にここまで成功なさった。でも、他の自己啓発系の成功者に比べて、立花さんて私から見ると、ほかにわかりやすい言い方がないので使わせてもらいますが、とにかく内省的すぎるし

アニマの存在が強い。

たぶん、立花さんには文学という形で自己実現することがものすごく必要なのではないでしょうか。

私は立花さんの小説を読んでみたいと思いました。

私の場合は、子育てが終了した時点で、広い意味での、あるいは伊藤計劃的意味でのSFをかかないと自己実現がゆこところまで行かない人間なのだとほんの少し前に腑に落ちましたが。

というところで、かなり付け足し感丸出しの、週次レビューを最後にちょっと。

ちなみに先週一番良かったことは、血糖がまた下がり始めたことと、週三回BoulderingGymに娘と一緒に行けたこと。

後、金銭絡みのことでちょっとしたことがあり、それでずいぶん気が楽になったら睡眠のほうも改善しました。

後一週間で、娘の冬休みが始まります。そうなると私の方平日のパターンもいつもより夜型にシフトしたのんびりモードに入ります。

今年もだいぶ詰まってきました。去年の暮は自分の居場所が全くわからなかったのですが、今年はものすごく来年への期待でいっぱいです。

ところで、やはり誕生日にでもあの、立花さんが使っているタロット買おうかしら。日本で買ってもいいわね。そうだそうしよう。