相変わらずKindleが使えないのを良いことに、紙の本に耽溺しています。今週末高山宏の比較的最近の本’夢十夜を十夜で’を読み終わり、さらに日本で勝手途中まで読んでそのままになっていた、自伝エッセイ集’超人 高山宏のつくりかた’も読了。
私は時々面白い本を読むと、Runner’s high ならぬ、
Reader’s highになる
ここで、私が’面白い’という場合の正確な説明をしますね。
本を読んで、自分が今まで知らなかった知識を腑に落ちるレベルで学び、更にその結果いままで勝手に囚われていた前提とう仮定が破壊され、その結果頭のなかで、シノプシスの再構成そして再結合が行われる、これです。
感覚として、ゲームで今のレベルをコンプして、パーッと画面が切り替わって
レベルアップする感じです
私が高山宏のファンになったのは、手にとった二冊目の本。一冊目がとても面白かったので、渡米後初めて帰国したときに、確か神保町の書泉で買ったのだと思います。
ああ、昭和の本屋巡り。そういえばずいぶん神保町に入っていない。今どんな感じなのかしら。
それにしても、アマゾンで見たけど絶版多いし、そうでないものやたら高い。これでは若い人に買えないですね。
私に取って多分自分の読書者として最大のパラダイムシフトを起こしてくれたのがこれ、
あんまり衝撃が強かったので未だに覚えてる、一番印象の強かった第二部第一章、
’目の中の劇場’ゴシック的視覚の観念史
この章の頭で、彼はポーの有名なゴシック・ホラー’アッシャー家の崩壊’の出始めを、まずかなり意図的に原文を彷彿とさせるような形で自分の訳として引用します。
それからおもむろに、以下にこれが意図的に読者の視線を操り’ゴシックらしい’効果を上げていくかを、事細かに改題していくのです。
まあ、ルイス・キャロルの数学者的な言葉遊びとかは知っていたし、マニエリスムというある種のスタイルも耳学問程度には知っていたけど、ここまで文章が’Engineer’されていたなんてのは想像だにしませんでしたから。
この時初めて’ピクチャレスク’そして’サブライム’というコンセプトを学びましたっけ。
ちなみに’ピクチャレスク’は、もともと18世紀イギリスで成立した審美上の理念で、これを成立させるためにサブライム(崇高)の日が必要とされる。
で、サブライムの方は、本来巨大な対象、恐ろしい対象、曖昧な対象などを目にした際の人間の感情に結び付けられる美のカテゴリーですが、
ぶっちゃけた話、なぜ私達は廃墟の絵とか、険しい山の絵とか見て感動するのかを解説する概念の道具、
もっとぶっちゃけて言えば、
なぜ私達は、ゼルダの伝説、ブレスオブワイルド’というゲームにあれだけ入れ込んでしまうのか。(これは、サブライムとかラギッドとかを使って説明すると、いかに私達が感動へと導かれているか解題できてしまうのです。)
あ、今回思い返して思ったのですが、ゲームのことも高山宏から学んだことを使って、いろいろ分析できますね。また新しい方向性に気がつけて嬉しい。
で、私達の感動は、文章そのものよりも視覚に直に訴えるものによってより効果的に操作されてしまう。
だからこそ、翻って文章の方もその手法で、効果を出す。
もちろん、メタレベルの話なわけですが、机上の空論どころか今のような時代にこそより重要な分析Toolだと思いませんか。
なにせ、高山宏の本は絶版か、高価本が多いのですが、私が読み終わったばかりの自伝は初めて彼の本を読むのにはかなりのおすすめ。
(私はこの人の1000ページをこす奇書’Book Carnival’も購入してます。1995年出版で、6800円でした。今なんでもこの本古本屋で10万の値段がついているところもあるとか。まあアマゾンだと状態によって、9000円から2万円越しといったところですが。まだ時々拾い読み状態。この本本当に読みにくいのです。内容がではなくて、持てないのです重すぎて。だから寝て読めない。)
時々、日本人の常識から言うと、’エラソー’とか反応してしまうような物言いがありますが、でもこの人それでも当然の伝説の持ち主ですから。
一番すごいのは、大学院時代に2年かけて東大文学部の書庫の図書カードを作り直した話。
5万冊ですよ。で、この5万冊のうちかなりの量を精読、そしてさらに大量の通読してますから。
高校時代既に弱視だったのが、この2年間のおかげで半盲になってますから。(片方の目はまったくみえず、もう片方は弱視。)
引き換えに手に入れた博覧強記は、多分空前絶後かもしれない。
どうでもいいはなしですが、やはり私も右目と左目の視力が凄く違います。これ寝転がって本読み続けるとこうなるのですよね。
で、面白い人だなと思ったら唯一Kindle版がでてるこの本読んでみてください。
ちなみに、Kindle版は更に少しお安くて、972円。
今年の春、アニメ’文豪ストレイドッグス’ 劇場版に澁澤龍彦の名前が出てきたのでびっくりしましたが、なんと今年は生誕90周年だそうで、一部で澁澤龍彦ブームとやらが起き、いろいろ本が手に入りやすくなったそうです。
私の場合、一番最初の夫が澁澤ファンだったので、彼が買った澁澤の本はあの頃全部読んでました。
最もそれ以前に、資生堂のPR誌’花椿’になんと彼がエッセイを書いていたので、彼の名とかスタイルは馴染みがありましたし、それなりに面白いとは思いました。
でもね、何というのかな、Post Feminismを生きている自分としては、読んでいると小骨が喉に突き刺さる感強すぎたのです。
あと、高山宏と違って、今のように性的アノミー状態の日本で特別感はないから、逆に使えません。面白いですよ。一度も読んだことないならはまってみるのもいいけど。私だって彼が翻訳したサドまで何冊も読んでいるし。
と、突然改めて実感。
私にとってはやはりリアルが一番なのです。だからどんなに’学問的’な内容でも、現実の中で意味を持たない物に今となってはあまり興味がわかない。
でも、一見どんなに学問的な内容でも、頭の中にリアルなパラダイム・シフト、(つまり私の脳にバージョンアップ)を起こしてくれるのなら、これからもいろいろ読み続けましょう。
そういう本をいつも探している。