「12人の死にたい子供たち」冲方丁、子供たちが簡単に死を選ぶ時代に言ってみる。「死ぬまで生きてみよう」と

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まず最初に、ネタバレがかなりあります。別に事細かに筋を話すつもりはないのですが、メインプロットの話なしで、今回のテーマが書きにくいので、まだ読んでいない方は読んでからチェックしてください。

本のリンクはこちら、あと漫画版も

さて妹が、いつも私が日本に着くや否やいろいろな話を始めるという話をすでにしました。

数日前に営業の伸び悩みについての愚痴のがらみの話をしましたが、その時もう一つ彼女が口にしたのは、専属契約している親方さんたちの一人に起きた悲しい出来事。

まだ20歳そこそこの息子さんが自殺してしまいました。

妹の話を聞けば聞くほど滅入る話でした。

子供の世界と、ご両親の生きている世界にたぶん共通点というものがほぼゼロです。ただご両親はご両親なりに子供さんをとても愛してらっしゃったと思えます。

お父さんは親方さんのひとりですから、人を使っているとはいえ基本鉄筋屋さんです。実はAIなどではそうそう置き換えられることのないこれから逆に重要度を増す物理作業中心の職種ですが、基本3Kです。

ご両親は、自分の生活レベルよりお子さんの将来を優先しお子さんを全員大学に入れました。同じ親方さんたちの中でも小さいほうなので、それほど裕福ではありません。

たぶん、同調圧力が極端に強い今を生きる若い子供にとって、自分たちの世界と自分たちにいろいろな形の豊かさを与えれくれたこのご両親の貧しさは、とてもつらかったのだと思います。

さらに、そんな風に感じる自分に自己嫌悪だって強く感じたでしょう。

子供が見ている世界と大人たちが見ている世界がどんどんずれていることに、親たちはどれほど気付いているのだろう。

作家冲方丁は、世界に殺されかけた子供たちの再生の戦いをいくつも書いている作家です。4歳から14歳まで海外で暮らしている方ですから、同調圧力が強い世界で起こりやすいいじめの構造はたぶん何らかの形で経験されテイルのかも知れません。

今回のお話は、かなり凝った設定をわざわざとってます。12人のーという設定には元ネタがあります。アメリカの法廷映画のクラッシック、「12人の怒れる男」

陪審員として選ばれた12人の男たちが、最初たった一人が有罪判決を下すことに疑義を唱えたことをきっかけに、最終的に12人の全員が全く反対の結論に達するまでを描いたものです。

そのプロセスにおいて、ひとりひとりのBackStoryが明らかにされていくことで、この映画は人々の持つ偏見やゆがみなどを描き、正当社会派映画としてクラッシックとなりました。

そのひそみに倣い、「12人の死にたい子供たち」も、たった一人が、残り全員のコンセンサスに疑義を唱えるところから始まります。

ただし、今回は陪審員としてではなく、子供たちは集団自殺をするために集まったのです。そしてコンセンサスを必要とする行為は、この集団自殺の実行。

でも、彼らが自殺の執行場所として選んだ廃病院の地下室に、13番目の死体?がすでにベッドの一つを占めていたことで混乱が生じます。

最初に、このままでは集団自殺の執行はできないと疑義をとなえたのは、ひどいいじめに自殺を決心したケンイチでした。

ケンイチがいじめにあった最大の理由は、

空気が読めないから。

いじめにあい易い、逆に言えば同調圧力を無視してまで何かをはっきりさせられずにはいられないケンイチだからこそ、

死にたいから、殺されるのはいや

子供たちの自殺の悲劇性のひとつはここに顕現します。殺されそうと感じるからこそ、自己の尊厳を維持する最後の手段として自殺を選ぼうとする。

この意志は、ケンイチに続いて自殺執行に反対を表明したシンジロウの場合より明らかです。たぶんこの12人の中で最も明晰な頭脳を持つ彼は、普通の人生への参加を拒まれたからこそここまでの明晰さを得たのでしょう。

不治の病と闘いながら、死を待つかれはこの病がやがて彼の頭脳までも侵し始める前に、命を絶ちたいと思ったのですから。

オリジナルの映画のように、このトリッキーな状況の中、13人目の温かい死体?の謎をときながら、ひとりひとりの死を選ぼうとするその理由が明らかにされていきます。

読者に共感を呼びやすい理由をもつもの、もたないものそれぞれですが、彼らは子供たちなのです。子供が自殺しようということは、大人にそして世界に殺されつつあるということです。

さて、オリジナルの映画のように、最終的になぞは解決され、12人は集団自殺執行の破棄を選択します。

が、この物語はそこで終了しません。

最後まで、集団自殺執行に固執したー自分は生まれてくるべきではなかったと信じる少女ーアンリは、この集団自殺をそもそもおぜん立てをした少年サトシがに、ほかの子供たちが去った後でおもむろに尋ねます。

これが最初ではないでしょう。

と。

サトシはこれが三回目だと答えます。

家族の度重なる死を経験し、死に魅入られていると感じているサトシは、ぎゃくにこの集団自殺を企画することで、むしろそのたびに死への誘いをはぐらかしてきているのです。

あなたはまだ、積極的に生きる理由を見出せないのでしょう。

でも、死ぬまで生きてみませんか。

あの、謎めいた大島弓子の難解とされる傑作のメッセージを胸に抱いて、

ミルクを飲んでまた明日

サトシにまだ意志はないのです。

ただ彼は祈り続けるのです、彼の同志たちが生を選び続けることを。