Netで使える英語力増強講座 1 1984年、私がやった社会人の留学準備 パート2

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さて、私の英語力増強は留学のためでしたから、もちろん読む力だけではことたりません。当然、聞く力とか、更に書く力だって重要です。

ただ、会話学校に一応通っていたものの、振り返ってみると会話学校の授業そのモノが役に立ったという感じははっきり言ってなかったです。

ともかく、昔はカセットテープのWalkmanを使って、FEN(Far East Network )のラジオを録音したものをせっせと移動中に聞いてました。

でも今だったら、

スマホがありますよね。

もうなんていい時代なの。

ただで、

膨大かつバラエティ豊かなコンテンツにいくらでもアクセスできるわけでしょう。

なのに、日本人が英語力向上したなんて話全く聞きませんよね。

これって結局、

英語を使う必然性がないからでしょう。

私は、とにかく通じさせようという意欲さえあればどうにかなるものだと確信している人間です。

これってもう、ほぼ究極のサバイバルスキルの問題だと思います。

ここでちょっと変な身内自慢を少ししますね。

1つ目は今は亡き父が、はじめてNeW Yorkにいったときのことです。まだ昭和の40年代でした。(1970年代です。)
父は、’Bird,Bird’といってあのころ人気のあったNina RichiのL’air du Tempという香水を買い、さらにTiffernyで指輪を4つ買うという結構男性にとってはハードルの高い買い物をコンプリート。(三人娘と母のぶん、私はこの指輪だけははずしたことがありません。)
さらにバスに乗って(どうやって探したのかしら?)Atlantic Cityまでいって生まれて初めてアメリカのカジノで博打をして来たのです。しっかりカジノのコンプの仕組みさえ学習してきましたから。
私だって負けてませんよ。むかしむかし私の二度目の夫になった人がなんとポルトガルしかPostDocが見つからずさっさと行ってしまったときのことです。だから確か1998年ごろ。
そのころすでに学者の世界に見切りをつけて働いていた私は休暇をとって彼を訪問しました。さすが3ヶ月ほどポルトガル語のテープを買って通勤の車のなかで聞いてました。でも、本当にそれだけです。
で、彼が仕事をしている間に、ひとりでずんずんと出かけていきました。
前もって調べておいた情報をたよりに、付いてから場所や日次をたしかめ、リスボンの蚤の市にだっていってきました。もちろんひとりでね。大きなショッピングモールと違って蚤の市は英語通じませんでした。でも、しっかりいろいろ買いいましたよ。
ポルトガルは真鍮製のものがお勧めと言う情報のとおり、タロットカードの正義のカードの絵によくある、目隠しして天秤をもってる女神様の置物とか、しっかり手に入れてきました。もちろん値切りました。(父に高そうなものはすべて値切れといって育った私です。)
つまり会話力というのは本来度胸とかCommunication能力が重要なのであって、語学力の問題とはちょっと違う。あと、’こんな発音だと恥ずかしい、とか、伝わらなかったらどうしよう’とか考えているうちは、たぶん無理に外国語でCommunicateする必然性はないのです。
まあ、日本人は子供のころから減点主義で育てられるから、それがマイナスにでていつまでたっても萎縮する癖が抜けにくいかもしれません。
よく英語でぺらぺらしゃべれるのってすごい。そんな言い方しますよね。これってよく考えてみるとすごく変です。だって日本語で日本人がぺらぺら喋ったら結構嫌われることも多いでしょ。なんで外国語だとぺらぺら流暢がよくなっちゃうのでしょう。

ほんとは日本人てもって喋りたいと思ってるのでしょうか。

まあ、ひきこもりのためのと銘打っているので、コミ障があるかもしれないかたに言えることではないのかもしれません。
でも、だからこそ会話の練習なんてあまり意味がないのです。
私は、Walkmanに飽きると、実はあることをあれこれ頭の中で想像し考えていたのです。
私は、空想の中に出てくるアメリカ人の友人らしき存在に向かって、あれこれ自分の興味があること、好きなこと、おしゃべりしたいことを、英語でどう言えるか一生懸命考えていたのです。
別に難しい単語をたくさん覚えこんでいたわけではなく、知っている単語を使ってどうやって説明するか一生懸命考えていたのです。
こういうところは中2以来私は変わってません。
実は昔々、中2のとき、父が彼の友人の駐在先にホームステイのアレンジメントをしてくれたのです。5週間サンフランシスコにいました。その時、2週間弱だけ、父の友人がアメリカ人のおばあさんで日本人の学生のホームステイを受け入れてくれた先を探してくれ、そこに一人で彼女とStayするはめになりました。
さて、アメリカがきっと体にあったのでしょう。私はたった5週間の間に5cmも背がのび、さらに、このアメリカ人のおばあさんの家にいるときになんと

初潮をむかえたのです。

今なら、Periodが始まったというところですが、その時は何も知らず、でも一生懸命自分の状況を説明する表現を考えました。で、こういったのです。

’Well, I was a girl yesterday. Today, I became a woman!!’.

もう、一発で通じてめでたくDrug Storeでの買い物に連れて行ってもらいました。