最近の東大生の扱われ方、突出の仕方ってつくづく高級ファッションブランドみたい。
一番笑ってしまうのが、日本で見たクイズ番組、東大生グループとかがTVに出てきて東大生らしい?頭の良さを競ってたりしてました。
いつの間に、頭の良さというのが、暗記力と要領のよい勉強の仕方という非常に狭いタイプの頭の良さのタイプに限られた形で流通するようになったのでしょうか。
それは格差というものがどんどん顕になってきた頃と重なるのではないのか。そしてそれは、日本で大学授業料という形で借金をする若い人たちが増える頃と重なる。
そういえば最近読んだニュースで一番呆れたのは、東大の優秀な部分がアメリカの大学に流失しだしたという話でした。
これって、みんなの憧れ東大ブランドが、学問(まあ死語ですが)をするための場所としては大したことなくなっているという証拠じゃないですか。
だいたい、アメリカのいい大学って結構優秀な先生を集めるので、
クラスがきつい
特に、優秀な学生ほど大学院に行くことが多いので、成績を凄く気にする。
あと、理科系だとたとえ学部レベルでも、課題にものすごく時間がかかるものが多い。
語学だと、死ぬほど宿題が多い。
ああ、いい大学って言っても別にアイビーリーグと、超有名州立大だけではありません。
アメリカの場合、各州でFlag Ship(州内で一番予算の大きい大学)のUniversityは皆こういう感じですし、さらに私立大学でも、学科によってはアイビーリーグと同等あるいはそれ以上の学校(例えば私の地元のJohns Hopkinsの医学部は全米トップ)もある。
それも総合大学だけでなく、4年制のこじんまりとしたいわゆるLiberal Arts College も全国に散らばってあります。
日本の場合、昔から大学受験まで必死に勉強して、いざ大学に入ってしまうともう対して勉強しない。
成績を気にするタイプも多くは、どうやったらいい成績を取れるかという効率の良さは気にしても、何かを学ぶということはまるで問題外の扱い。
で、それは本来どちらかと言うとあまり程度の良くない大学に限られていたはずだったのだけど、逆にいまはどうやらどこでも当たり前になりつつある。
もうだいぶ前にベストセラーになったこの本も、ずいぶん早くから東大の劣化を嘆いていましたっけ。
日本の大学って、欧米諸国以外、ほどんど唯一自国語で大学の教科書が整備されている。
これが例えば他のアジアの国だと、ほとんどの教科書が英語。だから、大学に行く、イコール英語の教科書で勉強することになる。
大学院時代、こういう話を中国人や韓国人に聞いた時は正直びっくりした。
変な言い方だけど、自国語以外で書かれた教科書って、正直真正面から勉強する以外、効率よく成績をあげようなんて余裕はなかった。
でもなんなんだ今の日本て、
勉強=偏差値を上げるなのかよ!!
私お得意の英語力の例えを使うと、英語力=Toeicのハイスコアという言説がまかり通っている。
これって、英語力=通訳みたいな錯覚よりもう一段さらに低俗でしょう。
ともあれ、受験力=頭のよさという錯覚が蔓延し、国立である東大生の家庭収入が早慶を超えて最高という歪みに至ったわけです。
で、幼稚園のお受験に始まり、小学校、そして私立の中高一貫校で、同じような家庭環境の人間が同じように東大を目指し、記憶力と要領の良さが際立った東大生がマスプロダクションされていく。
しかもその東大から、官僚やら大企業へとわらわら受験強者たちが就職していく。
どうりで日本がひどい先細り状態になっていくはずですね。
つくづく今の東大生の知性って、クイズ番組で高得点が取れるようなバラバラの情報を多量に溜め込んでいるだけになってきているのですね。