なんというか、日本がすごく結婚、いや、男女が付き合うことそのものがひどい無理ゲー担っているようなので、久しぶりに超大姉さんの、昔ばなしです。

 

私がそもそも結婚したかった最大の理由は、今考えるとただただ親元を離れたかった。でも一人ぼっちになるのは怖い。

 

世は、Post学生運動期の’同棲時代’が少しずつ廃れていき、’ニューファミリー’とか’友達夫婦’なんてコンセプトが意味不明のまま倦厭していくころでしたっけ。

 

私はまだ二十歳にすらなっていなかったので、最初の夫に父親は別に籍を入れる必要もないと口にすらしていたが、私の親の方はせめて籍ぐらいいれろとせまり、その一方で私と夫が住める中古マンションを買ってくれ、そこに超割安で住まわせてもらえることになった。

 

最初の夫だけでなく、私は一度として相手の経済力を当てにしたことはない。と同時に離婚の際にお金のことで揉めたこともない。

 

一度目の結婚は、表向きには私の不倫が原因で五年ほどで終わった。(あの頃は、それこそポリアモリーとか、Open Marriageとか、いろいろ実験的コンセプトが試されていたのです。私の一番目の夫は、それほど女性に興味があるタイプではなく、私も半分は彼の蔵書に惹かれたようなものでした。観念的なものに惹かれ合った二人が、現実でぐちゃぐちゃになったともいえる。なんせ私は自分の婚外男性関係を一度も隠したことがなかったので。)

 

二度めの結婚は、大学院生後半に知り合った、一六歳年下の美形男子で、そもそも結婚したいと思っていたわけではなかった。大学院に入ってすぐ知り合って途中から同棲していた元カレとの別れ方がかなりきつくて、どこかが冷めてしまったのだと思う。

 

ともあれ、結婚した最大の理由は、仕事が見つからずシンガポールに行くことを考え始めていた私に対しての、彼の方からの引き止め案みたいなものだった。

 

つまり、アメリカ市民である彼と結婚すると、仕事探しがずっと楽になるので。(実際に、結婚による仮のグリーンカードをとってから、もう一度職探しを始めたらほんの二ヶ月ほどで大手コンサルに就職が決まった。)

 

実は、結婚して半年ほどで彼は、なんとポルトガルの大学へPostDocとしてまる2年行ってしまい、その後お休み時に合う以外は逆にあまり一緒に暮らすことがなくなってしまった。

 

そうこうするうちに、今の夫Bobと出会い、別に揉めることもなく離婚手続きを行い、少し間を置いて三度目の結婚を果たした。その時点で私が結婚に求めるものと、Bobが求めるものが一致したことが一番の理由だった。

 

ウエデイングドレスは着なかったものの、Bobの親戚と、私の友人を集めて小さなBanquetはやった。

 

二番目の夫とBobは、年齢的には実はほぼ一緒だったけど人生に求めるものも、結婚したい理由も違っていた。

 

二番目の夫は、数学を含めて、いわば学術的な才能がある人だった。私達が卒業したタイミングが戦後最大の大学縮小期だったこともあってポルトガル大学での二年の後結局、金融系のいわゆるQuantになってしまったけど。

 

で、まだ私と繋がりがあった頃は、法的な結婚こそしていたけで、落ち着いて家族を作りたいという人生のフェーズからは程遠かった。

 

一方Bobは、Community Collegeすら卒業できていなかったけど、高校卒業の後家を追い出されるように自立して、趣味を通じて知り合った友人のヘルプもあって、私が出会ったときにはIT系コンサルの、社内Tech サポートをやっていた。結婚後彼は、Techサポートから、Intranet担当に昇進し、辞める直前のお給料も増えた。

 

彼は、最初に私を見た時自分の年齢的に変わらないと思ったそうで、とにかく付き合うなら結婚して是非子供を作りたいと最初からはっきりしていた。

 

で、その時初めて私は、自分の中に実は’子供を持ってみたい’という欲求があるのに気づいたのです。

 

ですから、私にとって結婚した最大の理由は、

 

自分の家族を持つため

 

なのです。

 

少し前の東洋経済オンラインでこんな記事がありました。

100年前の日本人が「全員結婚」できた理由、「恋愛結婚」が9割の現代は離婚率も増加

 

そもそも、江戸時代の都市部なんて、男の数も多すぎ、一夫一婦というより、事実上の一妻多夫が多かったのです。

これが、明治政府の富国強兵政策の一環で、一般人も家父長制に組み込まれる形で、女性が嫁ぐという永久就職以外の道を絶たれるようにして、半ば強制的にほぼ全員が結婚させられました。

 

それは、多くの女性としてはたまったものではありませんでしたが、産めよ増やせよということで、戦争と収奪を繰り返す国の形の発展に役立ったことも事実です。

 

ですから、今の結婚難はむしろ

自然状態にもどったもの

 

これが、欧米だと’キリスト教’という縛りがあるので、やはり大人は家族を作って子供を持つのが当たり前という刷り込みが、例えば日本よりずっと強い。

 

そして結婚以前に、いつも思うのですが、キリスト教がベースの欧米諸国というのは、基本

カップルが社会の基盤です。

 

だからこそ、もう高校の段階で、大人の社交界の真似事みたいな、プロム(基本、カップルを組んで参加するものです。娘の高校の場合は、シニアプロムといって、高3で開催されますが、果たして詳細はどうなるのか、ちょっと心配。なんせStem Schoolなので、基本普通の高校に比べて、こと男女交際に関しては奥手が多い。)なんてイベントもあるし。

 

もちろん日本と同じ用に、昔は女性にとって結婚以外に大人になってからの選択はほとんどありませんでしたが、ただたとえ建前だけにしろいろいろな社会的なお付き合いがカップル単位であったことが、なんだかんだといっても

異性と付き合う能力の向上にプラスになっていると思います。

 

 

今の日本を見ていると、とにかく結婚が無理ゲー担ってしまった理由というのが、一つではない。

 

  1. 明治時代の結婚体制の名残で、例えば育児、家事は女性がするもの的前時代な刷り込みが執拗に残っている。
  2. 一方で、同じ理由で、男性のほうが経済的基盤を作って当然のような刷り込みも未だ強い。
  3. まず、日本はカップルベースの社会ではなかったので、そもそも社会そのものに、異性と付き合う能力を学習させるような背景も、システムもない。

 

そして、その上で社会的、あるいは生物学的に見て、Mating(結婚制度は、その社会的サポートシステム)の唯一最大の根拠は、身も蓋もありませんが、

種の存続

 

まあ、理由もやり方も間違っていましたが、明治政府がやったことは少なくとも非常に目的にはかなっていたわけです。

 

まあ、上に上げた理由の1,2については、それなりに問題意識が上がりつつあるとは思います。

 

が、実は一番の問題は3なのです。

 

日本人は、異性とのコミュニケートがほぼできない。

 

日本は、女性が男性をたてるもしくはあわせるという、表面的なパターンの男女関係ばかりが、いまだ蔓延してますしね。

 

特に、男性の側の問題のほうがこちらは基本大きいと思います。ただ、男性の問題をそのままなぞる形で、女性の男性化も進んでいます。

 

だからこそ、日本にはオタク文化と、そして風俗からキャバクラまでの’感情商売’が発達したのだと思います。

 

そりゃー私だって、日本それも東京にいると、別に恋愛しなくても楽しいことたくさんあるでしょうと思います。

 

でも、Matingの必要性も、所詮

子供を作らなくてはならない

 

ここにあるわけです。

 

そして、結婚というのは、子供を育てるための安定した社会的基本単位という意味に置いてのみ、私は重要だと思っているので、子供さえきちんと育てられるサポートが与えられるのであれば、戸籍に基づいた結婚が必要だとは思っていません。

 

もちろんこの先、少子化が行くとこまで行って単性で種の存続を図る未来もありでしょう。それは好きと嫌いとかに関わらず。

 

その一方で、わざわざ苦労して異性とコミュニケートする方法を学んで、四〇代、五〇代になって結婚し、さらにテクノロジーの助けを借りて子供を作る家族に向けて、親が年増で可哀想的な外野の言説は、害しかないし、無責任です。

 

そんな無責任なこと言っていられないほど、日本の少子化は来る所まで来ています。

 

そうか、こうなったらオタクと少し年上の女性が上手くやっていける方法なんてものを考えてみようと思います。

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