戦争犯罪なんてことを考え始めると、私は伊藤計劃を手に取ります。
それも、小説ではなく主にからのブログポストを集めた記録、私が何度も読み返さずにいられないのは、その第二巻。2006年初頭から、亡くなる2009年の1月7日を最後の日付としています。
彼が、最初に書いた長編’虐殺器官’は、小松左京賞最終候補になり、その後同じく最終候補になった円城塔とともに、早川から刊行されました。あ、日本SF大賞の最終候補にもなっているのよね。(これもどうせ小松とかのおじいさんが牛耳っていたのよね。)
(それにしても、このタイトル一度聞いたら絶対わすれられないでしょう。多分日本人作家による小説タイトルの個人的にはトップです。)
私が’虐殺器官’を読んだのは2015年12月、日本に定期的に生き始めてその最初の年の暮れ。やっと日本のアマゾンを使えるよう、KindleをせっとしてSF小説をブラウズした際に落とした作品の一つでした。
以前、アメブロでほぼ日記化したブログをほそぼそとやっていたことがあるのですが、そこに読んだ直後の感想が残っているのでここに抜粋してみます。
’まずは虐殺器官から読み始めました。こう久しぶりに、しょっぱなから引き込まれてしまう小説でした。それに、最初からものすごく怖いのです。34歳でなくなった日本の男性が、何故こういう肉感的な近未来戦の描写ができるのか不思議でした。
これまでに日本語で肉感的な戦争ー戦闘描写を読んだのは、村上龍の’’5分後の世界’と’半島を出よ’ぐらいですから。SFにでてきた戦闘シーンでここまで肉感的な描写にであった覚えはありません。
サイバーパンクの系列では確かに暴力シーンとか結構多いものもありますが、それとは根本的に違う描写なのです。
村上龍の描写に始めてであった時、男の身体がモノ化された状態というのが、女である私にも理解できました。(ちなみに女の身体がモノ化された状態というのは、まず第一に強姦と言う形で出てきます。そこにハーモニーの弱さがあったのですが、それは今はおいておいて。)
ただし、虐殺器官の暗殺特務部隊の場合、モノ化のレベルは二重です。兵士として、軍によって部品化されたものであるだけでなく、各種近未来装備、そしてメンタルのModificationによって、CPUである自我と最新技術でUpgradeされた身体はさらに、切り離されていきます。’
ただ、小説を読んだ他の人の感想を読んでびっくりしたのは、この’虐殺器官’は、かなりロジックが強くて、抽象的で読みやすいとは言えないという感想。
え、私にはものすごくすんなり突き刺さってくる文体だったのに、と不思議でした。
伊藤計劃は、多分日本が生んだ最初のRelevantなSF作家でしょう。
小松左京がどう思うかなんてホントどうでもいい。
で、やっとこのブログ集の話なのですが、私つくづくこの方と好きなもの似ているのよね。
バラードが好きで、ブルース・スターリングが好きで、しかもジョンヴァーリーが好きだなんてもう泣きそうになってしまいます。
彼は、ギブソンからSFにはいり、私はバラードから。
でも、ジョンヴァーリーが出てきたのは本当に嬉しかった。
私ジョンヴァーリーの八世界ものが好きで、ただSteel Beach だけは出たのがアメリカに来てからだったので英語で読んでいるのよね。
あと、クローネンバーグとリドリー・スコットが好きと言うのも泣かせる。
私、Kingdoms of Heaven 好きだったし、
クローネンバーグって、有機的な存在は無機的なものに、無機的なものは逆に有機的存在に撮ってしまう変態映像クリエイターだという感想も同感。
’虐殺器官’読みにくいというあなた、
まずはジョンヴァーリーの残像読んでみてください。あと、先にアニメを見るのも良いかも。
この記録集IIは、彼が入院と退院を繰り返しながら、’虐殺器官’と’ハーモニー’をかきあげた時間と重なるのです。
現存在的感受性とでも呼べばいいのでしょうか。
彼は病に蝕まれていく身体を感じながら、その身体越しに現存在にしっかり繋がっていた。
人の死を忘れないことは、大人でありたい人間には必要なことでしょう。