原作を読んだ人間にとってアニメを見る楽しみの一つは、言葉で事細かに説明されているものの、いまいちうまく頭の中でイメージできていなかった小道具がや設定が映像化されることです。
これはアニメと限らず、映画だってお話そのものの展開はイマイチでもとにかくProduction Valueがあまりに高くで、何度もみかえしてしまう作品てありますよね。
Star Wars シリーズはその代表ですし(特にEpisode 1-3はこれですよね。)Harry Potter Serieseもそうです。子役の演技を始めとして一番ツッコミどころの多い第一作が結果的に一番Harry Potterワールドの世界観を伝えているという皮肉も。
このアニメもその点本当に頑張っています。
語る部分はほぼすべてイマイチ感強すぎたけど、ことハイテック戦闘という話になると、このアニメ本当にタイトで見飽きません。
さらにアニメできちんとVisual化されてことによって、この現実から隔離されて戦闘任務をこなす兵士の異様さがとことん積み重ねられていきます。
4.やはり侵入鞘(イントルード・ポッド)凄い。
これはもう、読んだときからあまりに象徴的で気になってました。クラヴィスが所属する特殊部隊が潜入任務で使用する一人用降下装備なのですが、アニメはもう事細かに描いてくれるので、ここはすごく濃い。
中にはいるシーンは確かにいきたまま棺桶の中に閉じ込められる感じ。でもこれが飛んでいくシーンはまるでミサイルみたい、つまり武器みたいです。
それが着陸するとロボットみたいに足を出す。
水のなかにおちたら、人工筋肉で作られたイルカの尾びれみ値なもので機敏に動き回るのですが。
でも、これなんとBiodegradable!!
主に人工筋肉でできているので、廃棄モードになると、まるで加速された腐肉のように術r辛く分解してくれるのです。
この有機物感が結果的に、この装備を一人で操縦する機械ではなく、まるで人間の皮膚の延長のような器官の存在感で気味悪がらせてくれます。
とてもハイテックなのですが、なにか非常に気持ち悪いのです。
爬虫類の抜け殻、あるいは卵の殻、いやもっと人工的に異様です。
隔離感そして事後の剥離感。
私はどうしても原爆で皮膚や筋肉が剥離して腐肉になっていったあの光景を思い浮かべた。
なぜ、リアルな地獄と兵士を隔てる柔らかな攻殻が剥がれるとき、こう感じるのでしょうね。
5.そして気味悪さを質的に可能にしてくれた人工筋肉のすべてが本当にいやらしい
わたしまで’虐殺器官’一回しか読んでいないので、この物質の重要性を見落としていました。これなんとクジラやイルカの筋肉を遺伝子操作したものと言う設定です。
この辺に伊藤さんの悪意を感じて小気味よい。だって、イルカとクジラって欧米のReservationinstの大好きな保護対象ですから。
私はもちろん基本環境保護に賛成しますが、動物愛護主義者といっしょで、この手の人達は絶対非白人の人間よりクジラやイルカのほうが上等な存在だと思ってますよ。
ともかく、きほんやばい代物ですから一般家庭用ではなく、主に軍用。さらにこの生産方法は公開されていない。いやそれだけでなく、これを生産するために、アフリカ最大の湖ヴィクトリア湖を囲む地域を、’ヴィクトリア沿岸産業者連盟’と称した独立地域とし、ここでだけ秘密裏に作っているという設定です。
で、ここでクラヴィスとJohn Paulが最終対決するわけですが。
なんで、こんな幾重にも腐敗した場所が対決の場だったのか、見逃していたのをアニメに助けてもらいました。
本当にクラヴィスが兵士として動いている画面は皆みごたえがある。
6.戦闘適応感情調整もさりげなく、でも明確に重要な隔離のレイヤーの一つとして登場
アメリカでも、ベトナム戦争以来、PTSDがすごく問題視され、Mental Healthの問題がきちんと取り上げられることになったのは悪いことではない。
でも、’虐殺器官’で描かれるのは、先進国の’平和な現実’で育った兵士が、心に傷を追うことなく’少年兵をためらいなくそして効率よく射殺していくような任務’をおこなえるようにMentalを調整するというレベルです。
カウンセリングと薬物投与を組み合わせた感情操作。
逆にクラヴィスはルーシャス一味に、軍用のナノマシンで、痛覚をコントロールされもする。
この世界では感覚も感情も、もはや根源的なものとはいえず絶えず調整される一方で、攻撃によってたやすく侵略される領域でもある。
そして、少年兵はDrugづけ、クラヴィスはたちにも脳に直に介入するほうほうで負傷による痛みからも隔離される。
そうだ今思い出したふさわしい形容詞。
なんておぞましい戦闘なのだろう。
7.ARの未来 オルタナ(副現実)
そして、視覚を覆うのは、コンタクトレンズ型の装着可能なコンピューター。
で、特殊部隊が実際に使うのは、ここから更にするんだナノマシン入りの点滴。
ああ、薄くまるで自分の涙のように目をおおい、視界をARにかえる。
アニメの中で、John Paulが説明するところの’虐殺文法’を聞いても、とてもじゃないが説得力はない。
が、執拗に繰り広げられる’コントロールされる境界面’が、このおぞましい世界ではどんな介入も可能だと証明しているようなものでした。
やはり’虐殺器官’は怖い。
ここまでおぞましく心に侵入してくるのだから。
アニメは、言葉を尽くし事には失敗しながらも、いかにみっしりと埋め尽くされたテクノロジーのかずかずが、このおぞましい世界のリアルを身近に感じさせてくれることに成功したのです。
そう、つくづく、アニメを見たあとで、小説をものすごく読み返したくなった。
小説は、語る部分で、はてしてどうやって成功していただろうか。