アジア初ヒューゴ賞受賞作、中国SF’三体’を解読する三つの状景、’科学者という夢’、’中国的蕩尽’、’凌駕する繁殖’

SFを読みながら

お正月休み、あまり深く考えずに面白そうなSFを探していて、深く考えずに紹介を見てKindle用にDownloadした2冊のうちのひとつがこれ。その時初めて、これがニュースだけは聞いていた、アジア人として初めてヒューゴ賞を受賞した中国発のSF大作のに翻訳であることに気づいた。

 

日本でも、夏に発売されて以来SFとしてはとてもよく売れているそうで、実際中国語からの日本語訳と、英語版からの日本語訳を比べ流れ練られた訳文は、たとえば昔翻訳で読んだクラークやホーガンを読んだ感じでとても楽しい。

 

こういうSFを、もはやアメリカなんぞで真顔で書く人はいなくなってしまったから、かなりノスタルジックな意味合いと、翻訳されて光るエンターテインメントとしての完成度もあってのヒューゴ賞受賞だと思う。

 

正直、あまり考えずに読むと本当にひたすら面白い。SFが、ただScience Fictionであった黄金期を彷彿とさせるような作品だといえる。それが、たとえば、マークザッカーバーグでもオバマ大統領でも素朴に楽しめた理由でもあるのだと思う。だからそこで終わらしてもいいのだけど。

 

というわけで、これ以降はネタバレがあり、読んでいない人にはあらかじめ注意です。

 

さて、伊藤計劃以降、たとえば小川哲の’ゲームの王国’’の上巻のように、日本人には結局全く想像がついていなかった、カンボジアであり、ベトナムであり、そしてこの’3体’なら文革のあまりに遅れて届いた実況に対する興味が、結局私の興味を最初に引いたのだと思う。

 

 

3体の3は、物語全体を通して付きまとい、物語は

  • 文革で父を失った葉文潔の物語 (過去)
  • ナノテク学者汪淼と彼がPlayしたVRゲーム3体の物語 (現在)
  • 実際の3体世界の物語

 

の三つに分けられている。

この3分割に、私は私なりの勝手な解読のための状景を重ね合わせてみたい。

自分の読書範囲がたぶん、中国を含め大多数のこのSFの読み手と違うゆえにこんな解題をしたくなってしまうのだ。とにかく始めよう。

 

科学者という夢

 

第一部は、たとえ凄惨な文革時の、知識人リンチがどれだけ生々しかろうと、それはむしろ私から見ると、最終的には科学の、いや科学者の勝利をきわだたせるものでしかなかった。

 

そのうえで、この作者に感心するのは、西側での科学そして科学者の立ち位置のパラダイムシフトをきっちりと踏まえているところだ。

結局、70年代の環境汚染問題あたりが今思えば大きなTurning Pointなのではなかったと思う

 

私にとっても、中学時代のバイブルとなったレイチェルカーソンの’沈黙の春’が、葉文潔の人間観、あるいは人類観を変えていく最初のきっかけになっているのが正直子気味よかった。

 

日本にとっての70年代というのは、戦後の高度成長期の付けがいっぺんに噴出し、逆にそれなりの下からの異議の噴出が初めて促された時期なのではないかと思う。今振り返ると、団塊の世代の学生運動などは、単に数を頼んでの祝祭にしか思えないから。

 

環境問題にしろ、Feminismにしろ、いわゆる60年代闘争への異議としての部分が私にとっては強い。何しろ、60年代闘争なんて、ずいぶんと文革やら毛沢東を盲目的に美化していたのだから。いまだにジェンダーギャップ121位やら、世界環境会議での国際的笑いものである日本を手放さないのも、この同じ団塊の世代。

 

ともあれ、いっぽう私は、拗れまくっていた女の子ではあるものの、科学者を夢見る典型的な理科系だった。

 

小学校時代は、最初ただほかの科目に比べてやはり算数が一番楽しかった。そのあと小学校の高学年で、いわば子供用の読みもの図鑑全集みたいなものを与えられ、そのうちの二冊をとにかく何度も何度も読んだ。

 

一冊は科学一般、そしてもう一冊は宇宙の話。

 

最適解など到底見いだされそうもない現実に比べ、科学の世界は文字通り、

夢と希望の世界だった。

 

そして文革で著名な物理学者である父のリンチと死を目撃した葉は、辛酸をなめたものの最終的には科学者としての能力を買われ、文革の勢いが完全に消滅よりずっと早くに国の秘密プロジェクトに駆り出されるという形で、底辺労働から救い出されている。

 

たとえ、彼女の周りの人間たちがどれほどだきする存在であっても、結局科学に対する信頼も愛も揺らいではいない。

 

彼女がこの人里離れた秘密研究所でとった行動のすべては、所詮’科学者という夢’を相変わらず生き続けているにすぎない。

 

かつて’沈黙の春’を読んだとき、些細なエピソードだがやけに印象に残ったものがある。それはとある化学者の話で、彼は農薬の毒性を実証するために、自分の体で人体実験したというのだ。

科学のために、なんでも犠牲にできる科学者という夢

 

2020年という、子供時代には夢のような未来であるはずだった今では、科学ではなく、テクノロジーが資本家たちにもうずいぶん長い間夢を告げていたわけだけど、それもどうやら曲がり角にかかっているらしい。

 

私は、科学以上に’お金にも、現実にも縁がない’数学にこそよりひかれてしまい、そのSanctuaryにとどまることもできず、すでに老女だ。

 

だから、葉の苦難はむしろ私に’科学者という夢’を思い起こさせる。

 

中国的蕩尽

 

なぜ結果的に、あれだけ中国哲学やら、歴史を繰り返しよんだのか今思うと自分でも判然としない。

もちろん漢字は相変わらず苦手だけで、かってよくもまあというくらい故事成語に詳しく、さらに中国の歴史と、諸子百家時代の中国思想が好きだった。

アメリカに最初に来た時に持ってきた本の中に、

  • 中国十八史略
  • 故事成語
  • 論語
  • 韓非子

と、詰め込んだ。英語のなかで混乱する毎日、遠い昔の周や、漢、戦国春秋の逸話を読んではほっと息をついていた時代があった。

そのうち封神演義も文庫が出て、これも私の中国系愛読書に加わった。

 

だから、’3体’二部のかなめであるVR ゲーム世界’3体’の印象はそれこそ、西側やほかの日本の若い人が読み感心しているものとはかなりの隔たりがある。

 

最初に、3つの恒星(太陽)のもとにある文明世界という設定は、とてもSF的で美しい。宇宙的設定としては、たぶんこの小説依頼の秀逸な設定だと思える。

’竜の卵’’は、1980年代のHard SFで、地球の670億倍の重力下である中性子星の生物との交信を描いたお話だ。

私は、筋などすっかり忘れてしなったもののHard SFといわれて一番最初に挙げるのは、ホーガンの’星を継ぐもの’ではなく、この作品だ。

正直、翻訳で逆に生きる語りの面白さとしてもこのゲーム世界の魅力はつきない。

が、私の場合不幸なことにそこで終わらないのだ。

 

いくつか目のステージで、秦の始皇帝が登場するのだが、そこで何が行われるかというと3千万の兵士を使って、人間計算システムを作り上げるのだ。

 

アメリカも、中国も、日本人から見ると規模を使いこなすことでは圧倒している。ただ決定的に違うのは、

アメリカが、いわばシナジーを見出すのに対して、中国は

ひたすら人的資源を蕩尽する。

 

されにそれは、それほど大したことではなく、どうやら当たり前らしい。

 

で、3つの恒星に恐怖支配されている惑星世界という、魅惑的なdystopiaに最初は目を奪われていたものの、そのうちに気づいてしまったのです。

 

え、中国の歴史ってそういえばいちいち前の王朝を完全に滅ぼしていたっけ。

 

これが、ヨーロッパでもほかの国でも、国同士の戦争、侵略、拡大、縮小の繰り返しというのはある。

 

でも、中華は、同じ中国人の王朝でも、王朝が変わればそれまでの王朝を殺しつくす。

 

中国の歴史を読んでいると、とにかくスケールの大きな英雄やら偉人に幻惑されてしまい、その一方で王朝交代のたびに、数十万、時には数百万単位での殺戮を繰り返してきた国であることをなぜか忘れがちだ。

 

もちろん、中国の場合、周辺国になんども占領されているから、そのたびに凄惨さを増してきたことは事実だろう。が、それにしても人命が軽い。

 

それは、現在でも変わらない。たとえば文化大革命は、所詮毛沢東の覇権の手段でしかなかったことがわかる。

 

テクノロジーやら、ゲームという形態に隠れているものの、この中国の歴史的残虐さの行使に関して、この物語は作者の意図かどうかをべつにしてもあけすけだ。

 

他人を自分と違う存在と規定することによって楽々と殺戮してきた西洋と、自分の生存のためには親兄弟を殺してきた中国と、どちらの意図のほうがより厄介なのか私には判断できない。

 

ただ、中国的蕩尽が異質であることは忘れないほうがいいと思う。

 

だから、この物語は中国を重ねることによってどんどん怖くなってくる。

 

凌駕する繁殖

 

私がこの小説で驚愕したことがある。それはラストの落ちのつけ方だ。

 

物語は第三部、リアルで3恒星支配を生き延びてきた異世界の物語となり、彼らの想像を絶するレベルの科学技術、そして実際の事象の経過が語られる。

 

SF的展開で、なんといっても感動するのは陽子から作り出したコンピュータ、智子。

 

が一方、三体世界の体制は、むしろ効率化の行き過ぎた官僚社会にしか見えない。

 

三部は、二部をミステリーとして読んだうえでの謎解き部分が少なくなく、そこでいわばある種のカタルシスが得られるわけだ。

 

そのうえで、その一方地球と三体世界の差は、たとえば文字通りに人と虫けらのようなものであり、そこにはどんな救いの余地もないはずだ。

 

その時、やはり西洋でも日本でも決して出てこないような視点から、物語は希望をつなぐ。

 

あ、私ものすごく納得して、ちょっと怖くなったくらいなのでもしこの作品を読んでいないのなら、この先だけは読まないでください。

茫然自失の科学者たちに対して、つねに中国的な強靭さを体現する警官が見せる光景がすごい。

 

蝗の大群に覆われる広大な畑という状景

 

太古の昔から、いまだに人間の脅威である蝗という虫けらたち。

 

何度も何度も、すさまじい荒涼、飢餓、疫病、殺戮に淘汰され、それでも繁殖をやめることができなかった中国。

 

振り返ると、ヨーロッパ中世精神を形作った要因の一つとして、14世紀の黒死病があげられるが、その黒死病はそもそも中国がオリジンであり、さらに中国でも14世紀には、人口の半分が死亡したといわれてる。

 

が、中国にとってそんな人口の減少は、それこそ何千年も前から何度も繰り返された事象であるにすぎない。

 

だから、今中国人として現代を生きる人々は、そんな淘汰を乗り越えた繁殖し続けた人々の子孫ということになる。

 

私たちは、もはや第二の経済大国となった中国を本当に理解しているのだろうか。

 

個人的には、結構中国が怖いと思う。その反面、いつか中国人とこの作品について私が感じたことを語れたらとも思ってします。もちろん彼や彼女は知識人であることが前提という、私の脆弱さをわきまえたうえで。

 

 

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