‘In These Words’ ギルトプレジャー作、これBL劇画と呼べるジャンルとつくってしまった記念的作品

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さて、BL漫画の中の異端の登場です。

ところで作家さんたち(咎井淳マンガ、Narcissus原作)、ふたりとも台湾系アメリカ人でいわゆるアメコミの作家さんたちです。なんでもこの作品の原型がアメリカの同人誌としてコンベンションで発売されていたところを発見されたとか。日本語のネームは日本側と共同作業みたいですが、とても自然。

アメリカの腐女子は21世紀の頭に日本からだいぶ遅れて誕生したのにもかかわらず、あっという間にコンベンションのサブカルとして定着。すごいですよ。たった一つ日本と違いを感じるのは、若いLGBTの子たち、腐女子たちは普通に仲良く共存してます。まあ、日本も今のことってちょっとわからないけど、昔は日本のゲイの人たちはYaoi、少年愛、BL基本嫌っていたから。

さて私から見ると、アメコミというよりこの作品は日本の劇画的絵柄に近い感じがします。多分、本来のアメコミとして描くときとちょっと違うんじゃないでしょうか。

私なんてアメリカすごく長いし、英語読むの今ではかなり平気だけど、アメコミ未だになじめません。絵も苦手だけど、

とにかくアメコミは流れてくれない。はいりこめない。

この作家さんを最初に見たと時は、少し古いけど池上遼一とかを私は思い出しました。

ちなみに、池上さんの描く男性って、顔が甘めで体の筋肉がごりごりで結構今思い返すと萌えてました。いや、お話はまあ関係ないけど、絵はちょっとテイストはいいてませんか。腐っていない方に聞かれると怒られそうだけど。

さて、このお話は最初に第一巻だけ読んだ方、かなり混乱したと思います。

頭の悪い私は、第二巻まで読んでも、いまいち盛り上がらなかった。一番最初にRentaで見た時は第二巻までしかでておらず、いまいち盛り上がらなかったのです。

で、だいぶ時間が立ってから第三巻が出て、わ、これすごくいいじゃない、こんなにエモーショナルな話だったんだと急激に評価が変わりました。

一巻から二巻の前半にかけてが、まあ現在時間、それから話は20ヶ月前まで戻り今現在に至るまで一体何が起こっていたのか、登場人物の背景そして関係が語られていきます。

第三巻の終了時点でも、まだ現在時点にまでは戻ってはいませんがやっといろいろな点が腑に落ちる程度にまではお話が追いついていきます。

で、その収斂していく流れがいいのですね。それまでハードスリラーの冷たく暗い硬質さで占められていた世界が、ゆっくり光とぬくもりを取り戻していくのです。

それとBL的感性が重なっていきます。

こういう話アメリカ映画にありそうという、いわゆるシリアルキラーを追っていくクライムスリラーですね。Criminal Mindとか。中心となる二人は捜査班主任の篠原とプロファイラーとして登用された美貌の精神病理学者浅野。

美貌と言う設定だけあって、浅野先生本当にきれいです。なんかこういう感じの人って、実世界でも結構ゲイの人が多いんではないかと妙な納得をしてしまします。

単に私がとろいということもありますが、あんまりササーッと読み流すことはおすすめしません。私読み返すたびに、見落としを発見して改めて、ああそうだったのかなんてこと繰り返しましたから。(何度もこれ強調してますね。)

でも、誘い方とか煽り方とか、とにかく自然でかつ色っぽい。

エロいというのとちょっと違う。かなり大人の関係らしい駆け引きも感じる。

でも、結局かなりの相思相愛ではないのかと、すくなくとも今の段階で片方の熱烈さははっきりしてますし。

一、二巻は雑誌連載でしたが、いろいろ時間がかかるみたいで三巻は描き下ろし。電子版の一巻目の初版が2013年6月、で三巻目が2017年の5月。まったく腐女子って本当に気が長くて我慢強いと思いません。でも、その価値あるから。