Rentaで第8巻が最終巻としてリリースされた時、私は正直怖くてすぐには読み始めることができませんでした。この作品は私がBL漫画を読み始めて数ヶ月で遭遇したものの、’囀る鳥は羽ばたかない’と並んで、未だにトップを占めている2作品のうちの一つです。

 

さらに、日高さん自信にとっても非常にじゅうような作品であったことに疑いはなく、だからこそ8巻完結までに10年の時を経ています。彼女のあとがきで初めてタイトルの由来が明らかにされ、ちょっと不思議な思いもしました。

 

さて、連載開始から10年、その間BLの読者層はずいぶんと広がっていきました。が、その反面読み応えのある作品に対する抵抗のようなものも残念ながら増加していったのではないでしょうか。

Rentaの最近のレビューを読んでいると、わかりにくい、難しい見たいなコメントが有ってびっくりしたのですが、それもこれも今やストーリーのゲーム化が進んでいるからかも知れません。

本来恋愛ロマンこそが、ゲーム化不可能なものです。

 

私達がゲームをする時、そこにいるのは私だけ、あとは基本NPCもしくは私のためにあるものです。

乙女ゲー、(男性の場合はギャルゲー)は恋愛の代わりにはなりません。それは、そこに存在するのが自分がプレイするキャラクターだけですから。

恋愛で人は初めて、本当の意味で

自分ではない誰かに出会うのです。

 

恋愛で、ひとは’ハリネズミのジレンマ’(近付こうとすればするほど、結果的に傷つけあってしまうという人間関係の避けられない必須条件)に陥りながらも、近付こうとすることをやめない。

そして、二人の人間は恋愛という場(Field)で、それぞれの社会属性にかかわらず、対等でしかありえないのです。

ですから、近代を含め恋愛の基本パターンは

不倫でした。

男女不平等のある世界で、対等であるということは、男が一方的に求める関係であっては恋愛は成立しないということです。

 

両者の意志が表示されてこそ恋愛なのです。

 

ですから、やがて不倫と限らず、あらゆる恋愛を阻む障害のパターンが、恋愛ロマンの発展ともに生み出されていきました。

 

個人的には、恋愛小説の雛形はエミリー・ブロンテの’嵐が丘’トドメを指します。もしよろしかったら読んでみてください。

 

 

さらに、恋愛ロマンが成立する世界とは何だったのか、それをメタレベルで浮き彫りにしてくれる非常に便利は小説があります。まあ、便利と言っても読み応えのあるボリュームですが。

 

夏目漱石の未完小説’明暗’の続編’続 明暗’を書いた水村美苗が、じつに、’嵐が丘’をベースラインとしてかきあげたメタ小説です。タイトルからして’本格小説’です。

なんで、BL漫画の話なのにこんな時間の掛かりそうな小説をすすめるのかと思われるでしょうが、 ’憂鬱な朝’は現在のBL漫画の可能性を、未来の恋愛小説の可能性として描き出したからこそ、そこし背景てき知識を勧めたくなってしまうのです。

振り返って平成も終わりに近づいた今という時代で、もう

恋愛ロマンは死に絶えようとしている。

 

今や本来恋愛ロマンの牙城であった少女漫画では、’貧困’や’変態’が障害の多くをしめているありさまです。

大体数年前に大ヒットした’君の名は’覚えてますか?

あのアニメでは、将来の恋人の身体に乗り移るという設定そして、壮大なSF的背景が恋愛の成立を支えていたのです。

それに比べ、戦後すぐに大ヒットしたオリジナルの’君の名は’では、現実の圧倒的’不便さ’が軽々と恋愛ロマンを成立させていました。

 

とここまでは前置きです。もしまだ’憂鬱な朝’を読んでいないのでしたら、まず読んでからこの先を読んでくださいね’。

 

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日高さんは、この物語に’Happy End’を’付け加えました’。

この物語は、桂木が、暁人の出発の朝で終わることもできました。

 

実のところ、タイトル’憂鬱な朝’は、桂木が憂鬱な思いで、暁人の出発を思うそのいわばラストシーンの想定のもとにつけられたものでした。

ただ、作者の予想に反し、二人の人格は成長そして変容を遂げ、桂木はもう平静をを装う余裕などないほど暁人を深く思うようになったのだといいます。

この物語を読みごたえのあるものにしている最大の理由は、メインの恋愛と同時に進行する、明治創世記の時代の動きです。旧時代と新時代の拮抗。身分制度、さらにお家騒動も絡みます。従って7巻終了時点まで、色々な人物がそれぞれの思惑を絡めて、物語を複雑にしていきました。

もちろんだからこそ面白いのですが。

それが、7巻終了間際に、桂木が暁人が病気を偽ってこもっている久世子爵別邸のある、鎌倉に赴くのです。

そこにいたるまで、二人にはゆっくりと胸襟を開いて話し合い、思いを確かめ合う時間はありませんでした。

ここでさらに暁人は、2年の英国留学の予定を桂木に告げる。

桂木は、もはや暁人の描く新世紀に向けてのプランを損なうようなことはしません。

ただ、初めて二人でゆっくりとした時間を過ごす中、桂木の暁人への思いがとめどなく表出していきます。

そんな時、暁人はついに、桂木にも一緒に来てほしいのだと告げるのです。

次のカット、桂木のこの表情は8巻目にして初めて見せてくれたものです。

 

 

でも、現実の中で生きる二人にとって、やはりそれはかなわないことでした。

これは明治のお話ですから、遠いヨーロッパへと向かうことそのものが今現在とは重みが違う命がけの出立でもあります。

 

 

出港地である横浜、そこに思いがけなく前夜ホテルに現れた桂木を迎えて、暁人はやはり桂木が自分と一緒に来ることはありえないのだと思い知ります。

二人が夜をともにする時、いつも思いの丈を尽くすのは暁人でした。

暁人は臆面もなくほとばしる情熱を桂木に向ける。

それにたいして、桂木の情熱はいつもどこかで一歩踏みとどまり、だからこそどんどん内面化していったのです。

だからこそ、二人の朝いつまでも疲れ切って眠り続けるのは暁人、それを桂木は愛おしく見つめてきたはずでした。

が、暁人は桂木と思いを尽くしたその朝、あまりの悲しさに気が休まらなかったのでしょう。

このシーンはとても好きです。

こういうシーンがあるからこそ、アニメではなく映画にして欲しい。

暁人は多分新人でないと無理でしょうね。

 

 

もう、このあたりから読み返すたびに泣いてしまいます。

そして、暁人は船上の人となったあと、自室に逃げるように引きこもり滂沱します。

桂木は、ベッドから起き上がる気力さえもうない。

 

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彼らの恋愛ロマンはここで悲恋として完結することも可能でした。

 

でも、日高さんはそういう物語にNoを突きつけました。

 

二年後に再開する二人の関係は、今このときにあってもおかしくはない、すべての世間の柵を止揚してしまう二人の人格の有り様によって未来をつなぎとめるのです。

 

二人は自分たちの愛を貫くために、世界を変えるのです。物語として興味深いことに、二人の共通の友人とも言える暁人の学友石崎総一朗と、彼の恋人との関係も、いわばマキャベリアンな奇策によって解決してします。

私は、こういう臆面のない意志の表れに心から賛同します。

 

でも、それでももうHappy Endになると既にわかっている自分でありながら、二人が迎えた憂鬱な朝に、やはりまた涙してしまします。

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