そういえば、私の妹は中小企業の社長でありますが、ボランティアとして保護司もやっています。
私も、何かやりたいとずっと思っていましたが、もともとグループ活動が得意じゃないのと、あと少し前まではやはり、娘のサポートにかなり時間がかかっていました。
そんな中で、やっと娘もほとんど手がかからなくなって、まあだからこそ今回日本にかなり長くいられるわけです。
そんな矢先に、モーニングFlagで知ったのが、
あなたの居場所
基本、以前あった‘自殺防止ホットライン‘の
Net チャット版です
大体この手のホットライン一番忙しいのは、夜半過ぎそして真夜中。その点私の場合、これからも半分はアメリカにいるので、アメリカ時間なら、ぶっちゃけ一番仕事の能率が下がるときに、ボランティア活動ができるとまず思いました。
そして、私はカウンセリングの勉強をしたことはないのですが、自分の中のいろいろな闇や黒歴史と向き合うために、長い間、時々間隔こそあきますが、カウンセリングを受けています。
大体、なんせ自分をどうにか救っていやりたかったから、読みすぎるくらいに手あたり次第にいろいろな本も読みましたし。
私の長いProfileはこちら
友人に長すぎると文句言われましたが、まあそれなりに波乱万丈の人生を送っていて、なおかつすでに還暦すぎてますから、20代の方のプロファイルのように短くできなかった。あと、私は大事なことは明確にしたいたちなので、こんな長さになってしまった。
さて、Profileの、日本時代の終わり近くまで読んでいただければわかっていただけるのですが、私には歴とした、今この時つらい経験の真っただ中にいる人たちと、通底できる過去があるということです。
実は、土曜日にYさんとあって橋本治さんにつていろいろな昔話をしたのですが、けんか別れこそしたものの、私の場合は橋本さんが言ってくれたことで、とても救われたのですね。
ここに、Profileから引用しますと、
1,寝たくない男と寝なくていい。(あの頃は、変なあとで考えると男だけに都合がいい、性の解放とかいうデマゴギーに取りつかれていました。)
2,少女漫画は実はすごいメディアだ。(つながり関連で、大島先生と会えたことが多分ファンとしての一番のハイライト。)
3,馬鹿だなと思ったら、多分相手は本当にばかだ。
4、オジサンは無自覚の塊で気持ち悪い。
まあ、私の場合それでも日本で生きづらく、さらにもう一度大学進学して勉強したいと思い立ったこともあり、アメリカに来てしまったわけですが。その、アメリカに来ることによって大きく何かが変わることがありえたのには、中二の時のアメリカ西海岸でのHomestay中に学んだ教訓がるのです。
- 私をほっておいてくれる。
- 好きな格好ができる。
- 誰もぶたない、
- 日本のことを思えばサバイバルはそんなに怖くない。
- 外国語は片言でもどうにかなる。
いやー、どれだけぶたれてんだ私というぐらい、長期にわたって祖母にぶたれ続けてました。なんせあの人は、父が間違えて注いだアルコールの炎が飛んでやけどした妹を殴ったひとでしたから。私は自分が覚えていないころからご近所で有名なになったほどの折檻を受けていたそうなのです。なんだよ他人事みたいに、誰か通報しろよな。まあ、昭和ってそんな時代でした。
自分の経験からはっきり言えますが、
自殺というのは、若い人はほぼ100% 社会に殺されるということです
もちろん、社会というのは基本一番身近にいる人間が体現しているわけですが。
で、過労死なんかが一番わかりやすい例だと思いますが、そういう極限状況に陥っている人たちは、
極度の視野狭窄状態にあります
さらに、日本人の国民性として、頑張りだとか、我慢だとかを美化しすぎ。
私がImage する、そうあるべきボランティアというのは、
良きカウンセラーとあろうとするだけでなく、
相手のAdvocateであるべきだと思っています。
英語には英語らしい、いろいろニュアンスを含ませて使われる言葉がありますが、その一つで私の好きな言葉でもあります。
もともとは、法廷用語で、弁護士の役割の定義として、何よりも自分のクライアントのAdvocateであるということです。
大事なことは、自分のクライアントに対して、社会的、倫理的、そして法的な価値判断を下さず、あくまでクライアントの立場からクライアントを擁護するということです。
これ実は、結構日本的世間に逆行するコンセプトです。一番わかりやすいのは、親というのは基本子供のAdvocate出会って当然という考え方。
たとえば、子供が何かひどい犯罪を犯したとき、日本なら親は世間様に謝るのが常識という同調圧力があります。
でも、アメリカの常識って逆なんだよね、子供が何かひどいことをしたら当然それ相応の罰を受けるべきではあるものの、それに対して親は子供の味方をして当然、かばって当然という前提。
もっと極端な例をだします。
自分がいじめの対象者のAdvocateであるなら、死んでも‘いじめられる方にも原因がある‘なんて言い方はしません。まずどうやったら、対象者がいじめから脱出できるか考え、助け、それから先に進みます。
逆に、相談者がいじめる側だったら、すでに犯してしまったいじめについての倫理的価値判断は持ち出しません。コンタクトしてきたということは、いじめをやめたいという意思が芽生えているということですから、まずそこに至った心を肯定し受け止めることから始めます。
まあ、私は本格的なトレーニングを受けたことはないので偉そうなことは言えませんが、基本の心の在り方については、一般的な日本人よりは理解していると思ってます。
と、あれこれ書きましたが、まだインタビューに残してもらえるかもわかってません。採用された暁にはまた報告しますね。