`異色‘のという形容詞でくくられることを多い橋本治さんが2019年初頭に亡くなって、もう2年以上たちました。
あの時、私はこんな記事を書きました。
橋本治さん 訃報、昭和の昔の橋本治ファンクラブの思い出
実は今日、この記事を見てく接触してくれたYさんと、私は3時間半にわたって昭和めいた内装の喫茶店(そう、カフェではなく)私と橋本さんとの邂逅を中心にお話ししました。
Yさんは、私が橋本さんから離れていったころとほぼ時を同じくして、橋本さんと知り合い、そのあと橋本さんが亡くなる日まで、一番身近にいた方です。
橋本さんの死後、橋本さんと親しかった人とともにいくつかの企画にかかわってらっしゃいましたが、とうとうご自分で橋本さんについての本を書こうと決心されたのです。ということで、連絡をいただいたのが去年の秋。
メールで何度かやり取りした後、Yさんが、橋本さんのSexual Identityについてもはっきり語るをおっしゃったので、私は彼と橋本さんについて話をしたいと思いました。
私が、いわゆる橋本さんびいきの著名人や評論家が、橋本さんのSexual Identityについて、まったく無視したままであれこれ語るのが正直とても嫌でした。
橋本さんと出会った頃の私は、自分の身体感覚とも、欲望とも無関係ないわゆる‘Sexual Revolution‘という概念に飲み込まれていて、今思うと拗らせているなどというレベルをとっく超えているほど、生きずらい状態でした。
私が初めて橋本さんと会ったその日の夜半過ぎ、橋本さんはあっさりと、
‘俺、Gayなんだよね‘
といわゆるComing Outをしたので、私は本当に身も心も軽くなった。確か渋谷の焼き肉屋で、(なんせもうほとんどの店が閉まっていたし、橋本さんはお酒だめだったし)二人ともあの頃は極度のヘビースモーカーでした。
Yさんはこの辺の話をすごく熱心に聞いてくださって、私はとてもうれしかった。
身体感覚がある過ぎるGayの橋本さんと、身体感覚が決定的に欠けていたあの頃の私。
あと、Yさんは、橋本さんの作品をどうやらほとんど読んでいるようでしたが、一方で橋本さんの一番最初の評論集2作、秘本 世界生玉子と、花咲く乙女たちのきんぴらごぼうを、原点としてすごく重要視されているのです。
で、実のところ、以前の記事でも触れましたが、基本この2冊は当時の少女漫画の革新的作品の相次ぐ発表、そして三流劇画Movementという全共闘世代崩れが起こした動きが重なる時間のなかで、私が橋本さんに出会えてことで生まれた昭和の邂逅でした。
私も橋本さんも、そのころ存在した漫画評論誌に、少女漫画評を書き始めました。さらにそれと並行する時期に、そのころ関係があった男性が単独編集していた、基本日活ロマンポルノとピンク映画の紹介グラビアで大多数のページを埋めていた、‘映画エロス‘という雑誌に引き込んだのです。で、ここで橋本さんが書いた記事が‘秘本 世界生玉子の原型です。
さらに、浴びるように少女漫画を読んでいた私は、とにかく橋本さんに事あるごとに電話して、主に少女漫画について話、そして問い続けました。その結果が、花咲く乙女たちのきんぴらごぼうでした。
で、Yさんはなんと
映画エロスを3冊も持ってきて見せてくれました
なんというか、まるで新品のように保存状態がよく、え、こんな鮮やかな色彩の表紙だったかしらと私は少し愕然としました。
40年近い月日をへて、私が昔々、自分の心と丈を橋本さんと分かち合ったあの頃が、こうやって目の前に現れたのが本当に不思議でした。
まあ、そのあと私はいつものように橋本さんのことだけでなく、自分自身の話をしすぎましたが、楽しかった。
本当はもっとしゃべっていたかったのですが、喫茶店は少し騒がしく、時々Yさんの話す内容が聞きづらくなることがあり、さすがに疲れてしまいました。でも、これからも、できるだけ協力したい。
橋本さんの仕事は、たぶん令和の今、よりメジャーなインパクトを持ち得ると思っています。だから、それこそ若い人たちと届くようにYさんがんばってください。