橋本治さん 訃報、昭和の昔の橋本治ファンクラブの思い出

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橋本さんが亡くなられたことを、今朝ニュースサイトで知りました。彼の本をフォローしなくなってずいぶん経ちますが、橋本さんの’名言集’と私が勝手に読んでいるいくつかの言葉で、私は人生のある時期にどれだけ助けられたことでしょう。

たぶん、Profileでお気づきになった方もいるかも知れませんが、私が20代半ばで彼に出会ったことには、今感慨深いものがあります。

あまり事細かにあのころの彼のプライバシーを暴露してはいけないと思うけど、昔語りがしたくなりました。私が彼と出会って数年間の間、彼に奨められるままに始めた’橋本治’ファンクラブのころの話をしたいと思います。

なんというか、橋本さんは昔からとにかく若い子と女性にものすごく人気がありましたっけ。

彼は、やはりGayであることのSensitivityもあるのでしょうが、とにかく若い子と女性が、大人のおじさんたちにどれほどうんざりしているかを誰よりも深くわかってくれ、それを言説化してくれる素晴らしい才能を持ってました。

ともあれ、Profileに書きましたが、一番最初の夕方から明け方までに及ぶ長い、長い、トークのあと、私は何だ彼んだと彼とよく話をすることになりました。

それも、結構深夜の長電話が多かった。

まあ、たいてい私の方から電話することが多かったのですが、たまに彼の方からかかってくることもありました。

一番多かった話題は、少女漫画と日活ロマンポルノの一部。橋本さんのファンにはあの頃の三流劇画の盛り上がりに関わっていた人もいましたし。ちょうど橋本さんと一番近くなった最中に別れた男性が、エロ映画雑誌をやっていて、私が頼んで少女漫画と日活ロマンポルノを混在させた不思議なレビューを一緒に書いてもらったりしました。

この時の橋本さんの評論は、’秘本 世界生卵’というかなり不思議な本になりましたっけ。(北宋社というあの頃あった文学系の小さな出版社があったのです。)さすがに、この本は、題材が主に日活ロマンポルノなので、中古しか手に入らないです。(肝心のレビュー対象を見ることが難しくなっているので。)

そして電話の会話は、あとで橋本さんの少女漫画評論集である、

の中にどんどんしまわれていきました。

私の心に無駄に積み重ねられていった愛すべき少女漫画作品集を、彼はとても綺麗で、まるで大島弓子の’皇国の母’を彷彿とさせる佇まいでさばいていきましたっけ。

(あ、この本とうとう河出文庫で再販されたのですね。良かった。もし自分が拗らせ女子だとかんじていたり、女子が拗らせるとはどういうことか知りたかったら、お読みください。もちろん若い橋本さんFanでしたら、彼の評論の原点を知るためにはおすすめです。)

昭和の少女漫画評論の特異点であり、橋本さんの最初の評論集でもあります。’私は橋本さんのおかげで何故これほどまでに、

大島弓子好きなのかわかりました。

そして、まあ橋本さんを囲んで若い子たちが集まるうちに、確か橋本さんは’合宿’をやって、それと同じ頃に実家をでて郊外の一軒家に引っ越したのです。

そこで、何がきっかけだったか思い出せないのですが、ある日いらない洋服を皆で持ち寄り皆で始めたのが、

きせかえ

これもきっかけは思い出せないのですが、結果的に私がそれぞれのきせかえをするはめになりました。

今振り返ると、これは一種の逆ロールプレイ的なセラピーではなかったかと思います。

私が直感的にやったのは、それぞれがいま日常している格好を全く無視した場合、一体何がしっくり来るのかという、うまく説明できないプロセスでしたが。

ただ、結果的に私はずいぶんといろいろな感情を引き出してしまったのです。正直泣き出した子も何人かいました。

それに対して、橋本さんはいろいろと後付で分析してましたっけ。たぶん、私が一番最初に彼に対して違和感を持ったのはこのときだったと思います。

ともあれ、確かこのイベントとおなじころ、結果的に’橋本治ファンクラブ’なんてものを、集まってきていた若い子たちを中心に作ってしまったのです。私が一応世話役という形で。

そして、せっかくファンクラブを作ったので、橋本さんは

’入団資格テスト’を作りました。

女性雑誌などによく出てくる、分岐するフローチャートのテストで、模造紙一枚まるまる使ってましたっけ。

ともかく、最終的到達点が、確か、オジサン、おばさん、お姉さん、お兄さん、男の子、女の子だったのですが、その一つ一つに形容詞がついてましたっけ。

私が今覚えているのは、

可愛い男の子

可愛い女の子

うっとおしいお姉さん

私がこのテストをやると、必ず’うっとおしいお姉さん’になってしまうのが、いつも不服でした。ちゃんと’可愛い女の子’になってしまう、あの頃Nonnoの編集さんだったCさんというとてもあたまのいい年下の女性がいたのですが、彼女は必ず’可愛い女の子’ヒット。

実は、一度ズルして比べてみたのです。で、たった一つの質問がこの2つを分けていることがわかったのですが、それは、

世の中の大人は結構馬鹿だと思う   Yes or No

あの頃の私には、Yesを言えるほどの自己肯定感はまだありませんでした。

ともあれ、あのあと橋本さんがプライベートな事情がらみで、一時期とても’怖い’感じになってしまい、私はそれに対して怒りをぶつける形で喧嘩別れしました。

それでも、アメリカ行きを決めたあと仲直りを言い出そうかと思ったし、あと確か一度電話で話した事もあったと思う。

ただ、今思うと橋本さんはリアルな出来事でつくづく傷ついてしまったのだと思います。最後の電話での彼の声はとてもよそよそしく、それ以上に私がよく知っていたエネルギーが感じられなかった。

地獄めぐりから這い上がってきた私に比べて、彼は相対的な辛さに耐えられなかったのではと今は思います。

でも私はアメリカにいついてしまい、彼は作家としてものすごい量とバラエティを生産していくことになったのですから、

多分橋本さんの作品群は、これから改めて評価されていくのではと思います。それ以上に彼の様々な本を若い人に読んでほしいとふと思います。

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あれからもう35年以上になるのですね。

Once in a bluemoonという英語の表現より、さらに儚い間隔で、橋本さんの夢を見ます。

パターンはほぼ決まっていて、とにかく郊外電車をいくつも乗り継いで行くのですが、なかなか本人に会えない。

そして今本当に儚くなってしまったのですね。

でも、本当にあの時あなたのことを、心の底から大好きでした。

あなたはずいぶん前から私にとっては、夢に住む人となってしまった。

今度こそ夢のなかで会えるでしょうか、橋本さん?

(注、サムネイルに選んだ大島弓子の作品は、’つるばらつるばら’、’綿の国星’以降の短編集のなかで、一番好きな本です。)

Comment

  1. 小島です より:

    大島さんを知ったのは橋本さんもあったかもしれません。
    橋本治には、感謝がたくさんあります。
    さみしいです。
    おじゃま、失礼しました。