お金のストレスとフリーランス

シェアする

昨日は一度も夜中に目を覚まさなかった。

たぶん睡眠時間は7時間ちょっとだけど、朝目が覚めたときは、妙に体の力が抜けていてリラックスしていた。

それでふと気づいたのです。

ああ、私の今振り返ると結構きつかったんだと。

そもそもアメリカにやってきたのは、数学をきちんと勉強したかったから。私がアメリカで学部の一年生からスタートしたころは、普通に州立大学SystemのFlagshipぐらいでPh.Dをとれば、割と地味などこかの大学先生ぐらいにはなれる予定だった。

あいにく、私が卒業した大体2年前ぐらいから雲行きがおかしくなった。ひとつは人口動態で丁度大学進学者が底を迎え、もうひとつは、主に旧ソ連から大量の若い数学者や学生が、アメリカに居つくつもりで押し寄せたことだった。

結果、みごとに私の友人で、大学に居ついた人間がいない。教える能力を身に着けて、リベラルアーツにもぐりこんだ人もいたけど、本当に長く居ついた人がいない。

ただ、正直Ph.Dを取った後、どのくらい自分が数学者として生きていく覚悟があったのかと問いただしてみると、正直、いくつか大きな間違いを犯したのも事実だった。

Ph.Dを取った後、それでも1年契約を2年だけは、Post Docの行き場が見つかったけど、私はどこかて萎えていた。私の大学院時代の元カレは、どこにも行き場所は見つからず、ファイナンスのマスターを取り直してWall St.へいったけ。

私が卒業したころの年下のBF(その後籍だけ入れてしばらく結婚していたけど)、アメリカ国内で行先が見つからず、2年何故かポルトガルのリスボン大学にもぐりこんだっか。そのつで、ヨーロッパで唯一、ポルトガルに旅行することができてよかったけど。

そして、あの後、それでも半年ぐらいで、結局私は、ぼう巨大コンサルにもぐりこむことはできたのだけど、まあ、当初はレガシーシステムのお守をするプログラマーで、一番喜ばれた成果は、

なんと、ほかの全員が投げ出したスパゲッティコードのデバッグ

今振り返ると、そんなに悪くない待遇だったのだけど(なにより福利厚生が良かった、有給とPersonal Timeを合わせると、一年目でも4週間お休みが取れたから。)困ったことに、

死ぬほど退屈してしまった

今振り返ると、なんだかすごくもったいないことをしたような気がしている。

近くのCランク大学でMBAを取ったのはずっと後で、もうBobと、私にとっては3度目の結婚をしていたけど、とにかくテレコミュートが半分はできるという条件に飛びついて就職した先は、とにかく給料が安かった。

いやね、私だけが安かったのなら別にそこまで腹立てなかったのです。ただ、オーナーの娘が時々アルバイトしていて私が使っていたパソコンを深く考えずに使ったのですね。で、時間給のExcelをそこに残していったのです。

で、私の時給は、入ったばかりのアメリカ人より低かっただけでなく、なんとインターンできていたMBAの学生より低かった。この人はインド人で、同じような中国系の人もいたけど、この人はインド人より低かった。

結局、交渉能力の違いというコトなんでしょうね。

それもあって、それまで3度ほどリクルートされては、’いやコミッション100%’の世界なんて絶対無理だからと、そのたびに逃げていた、今の世界に飛び込んだわけです。

本当に、あほのようにお金の重さが分かっていなかったと思う。

実は、20代フリーランスでライターやっていたから、そこまできつくはないだろうと甘く見ていたのですよね。

まあ、20代の時も、一度目は私の社会性に問題があっていったんやめて、その後また戻った。で、今考えるとずいぶん私のセンスを買ってくれた人がいたから、同じフリーランスでも今とは違う。

あ、厳密にはフリーランスではないのよね。そうではなくて、

Commission 100%の世界

自分でクライアント見つけてクロージングして収入がない限り一門にもならない。そして所属会社にいろいろな一種の使用料を取られる。まあ、その一方で会社を通じて保険や、確定拠出年金の口座とかもらえるけどね。(Prudential はマッチングもあったし。)

でも、ライターしていた時と決定的に違うのは、何より自分でクライアントを見つけられないことには何も始まらないというコト。

ライターの時は、紹介とか、自分の仕事がほかで評価されて別の仕事もくるとか、いわば私のそれなりに固有の能力を買う人がいればいいわけで、結構私のばあいは、編集さん相手に態度でかかったから。

でも、それは、今の仕事では無理。

一番最初に所属した会社時代は、今思うと、見込み客相手にどう喋るべきかなんて、まるで理解していなかったと思う。

私の場合、割と有名なセールスメッソドプログラムの一つに自腹切って参加して、それでずいぶん瞠目しました。

あの後は、Open Talkまで持って行けた場合の確率はずいぶん上がりました。

でも、私には、実はもっと大きな問題があったのです。

結局、根っこのところにモチベらしいものがほとんどなかった。

ただ、Bobには私が大見え切って大学に進学してもらい、その後娘の発達障害がわかっていろんなことがもうぐちゃぐちゃになって、そんななかでコールドコールやら、Marketingやら、Prospectingやるのは、すごくきつかったのだと思う。

さらに、せっかくClientになってもらったものの、最終的にそれなりのクロージングができるかどうかは全く別の話。

はっきり言って、

クライアントには振り回される

実は先週も、クライアントのひとりにまたうんざりさせられた。

この人は、私の昔の雇い主なんですよね。人伝えに聞いた話だと、この人は私の能力だけは買っていたらしい。まあ、Business Analysisと一口に言っても、私は、資料だけ渡されてあとは全部自分で考えたからびっくりされたんだと思う。

だから、この人が10年以上たって、Linkedinづてにクライアントになってくれた時は嬉しかったんだけど。

とにかく、日常茶飯事のごとく、約束の時間をドタキャンするのです。

先週は、水曜日のはずが、木曜日になり、さらに金曜日になり、でまた今週に伸びた。

だから、州の後半はすごくイライラしてました。

確定申告の準備を含めて忙しかったし。

ただ、金曜日にすっぽかされた時点で、あ、もうイライラするのばからしいと思いました。最悪うちの世話好きのボスに頼めば済むことだし。この人、なんども切ろうかと思ったんだけど、ぎりぎりで結果最終的には、私の推薦3つもクロージングさせてもらっているのよね。今もめているのは、3つ目の送金の方法の確認。私の手取りのコミッションは$3,300.だからもうイライラしない。

そう、金曜日の夕方思ったのですよね。

で、たぶん安眠した。

そして、ああ、これからはもう、いつお金が入るか心配する必要はないのだなあとほっとしたのです。

そりゃー、妹の会社だって集金色々大変な時はあります。でも、それとは別にお給料は支払われるわけで、あの来月の生活費を心配する羽目になるような、ひどい上がり下がりはない。

だからまあ、’富裕層への道’の最後でも言いましたが、ストックのある自分の会社をたとえ小さくても持つのが一番。

後は、妹の会社みたいなところに努めるのもいいですよね。

Youtuberのひととか所詮人気Businessだから、最終的にはどうするのかなあと他人ごとながら思います。

私は、妹の会社で精いっぱい頑張る。妹には頼りにされているし、これから楽しみですよね。そうか、これからまた楽しくなるよね。