今日は、水天宮から、人形町へではなく、浜町に向けて散歩しました。
Profileにもちょこっと書きましたが、私は6歳から小学校を卒業するまで日本舞踊をならっていたのですが、そのお師匠さんのおうちがあるのが日本橋浜町でした。
私が知っている浜町は、もう50年以上前の姿。当然表通りはほとんどびるばかり。
ちょうど浜町中の橋の角に、かなりの高層ビルがあり、そこの2階のガストで、ブランチにしましたが、もう10時を過ぎていたので朝食メニューはおしまいでした。
なんというのでしょうか、正直ガストのブランディングのポイントわからない。スカイラークグループって、そこそこだと思っていたのですが、とにかく
メニューが今一でした。
明日は、ジョナサンに行くつもりなので、比べてみます。昔実家の近くで割とスカイラークがすきだったのと、後錦糸町のパルコにできたしゃぶしゃぶやサンが、かなり気に入っていたのでイメージが良かったのですが。ファミレスの話はまた明日書きます。ほら、ファミレスもコンビニも、日本にしかないビジネス形態なので、正直アメリカからくるとはまる。
さて、浜町中の橋の交差点で左折して、明治座を目指します。浜町のランドマークというとここなので。日本独自の新派という演劇を基本やる舞台なのと、その和ていすとの建物やのぼりがすごく印象に残っていました。
が、なんとここも高層ビルになり、その一番下にちんまりと収まっていて、なんだかさびしくなりました。
ここから、浜町公園まで、並木道が続いています。確か私が20代で、スタイリストをやっていたころに、この近くに服を借りに来る事務所があったはずで、都営新宿線の浜町駅に時々来ていた時期があるのです。この並木道は、浜町駅の開設とともにできた新しいものだったので、植えたばかりの樹木は、細くてその分、
空がひろかった。
それが今は、かなり鬱蒼としてました。そうか、私60代だものね。
浜町公園もほとんど昔の面影はなく、というかこんなに大きくなかったし施設なんてなかったし。広場で幼稚園ぐらいの子供たちが遊んでいて、ちょっとコロナを忘れました。
たぶん、この小さなお寺だけは昔からあった。
さて、お師匠さんのおうちがあった通りにたどり着いてなんだかびっくり。もちろんしもた屋はほとんど残っていませんでしたが、とにかく
道が狭い
まあ、アメリカからもどると日本の道路がすごく狭く感じられるのも事実なのですが、それにしても狭い。子供のころはこれでも普通の裏通りという感覚だったはずなのに。
さて、私のお師匠さんは、私がお稽古に通っていたころすでに40を過ぎてましたので、とっくに鬼籍に入ってらっしゃいます。ああ、もうなにも昔を思い出させるものはないのかとおもってたら、一つだけ見つかりました。
行きは、逆側から渡ったので気づかなかったのですが、中の橋の交差点のところにお花屋さんがあったのですが、え、これもしかして私が知っている同じお花屋さんなのかしら。
花蝶さんといいます。
今は雑居ビルの一階に収まって入るけど、昔は一軒家。でもこの名前覚えがあります。
で、そそくさとより、質問しましたら、
本当にここで60年長、お店をやっていたそうです。
店主の奥様は、私の少し下、今日はお出かけだった旦那様は私の少し上。都電のこともしっかり覚えてらっしゃいました。
正直、昔の私の実家当たりから日本橋までをよく覚えている方にあったのは、家族以外では本当に久しぶりです。懐かしかったです。
ホテル滞在なので、花瓶一つありません。で、ヒマワリを短く切っていただいて5本買いました。
花っていいですね。コップに行けただけなのに、とても華やいでくれました。