媚びと韜晦 2 女子供という底辺、日本語という卑下

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結局今となっては、長い間の習い性となってしまった、自分で自分にはめた枷と向き合おうと思う。

私は本来しゃべるのが特別好きではない。基本、コミュニケーションということに関して極端にNegativeだ。

私が生きてきた経験からすると人は、他人のことを分かりたいとは思わないし、果たして自分のことを分かってほしいと思うっているかどうかさえ怪しい。

人が人に求めるのは、

お互い敵ではないという確認、そのうえで共通点の有無をチェック

といったところだろうか。

確かに私にも友達はいるし、恋愛もあった。でも、基本この’分かりあえない感覚’はいまだにそれほど癒されてない感じがする。

ただ、ここまでは至って基本的な話。これに昭和生まれの女性として育ったという過去がかさなってくると、あ、そしてもちろん日本人であって、日本語でしゃべるということになると、

自己卑下は、日常であり習い性になるべく育てられた。

まあ、一応は私にとっての毒親である祖母が、極端に

見栄っ張りになるな、謙虚であれととにかく嫌なタイミングで言い続けた。

つまり、一方で、優等生であり、まあ祖母の優秀なペットでもあった私は、結果いろいろできる子に育つ。

でも一方で、女だからという強調もあって、とにかく自分が何かしら成功した際に、それを

誇っていはいけないと、いつも台無しにされた。

まあ、アメリカに来てから、少なくとも娘に対しては、何か達成するたびに、もう張り切って今は、

Be pround, そして I am very proud of you.

といいまくっているけど、

私はいまだ、

自分の成功体験を心から味わえない。

自分の成し遂げたことは、すべて大したことじゃないとしか感じられない。

だから、客観的に振り返ると知識も経験もずーっと劣る人間に、あれこれ言われて落ち込む。

正直、私の言いたいことが伝わらないのは、単に相手がものを知らなかったり、想像力がかけていたりするだけだったりするのにと、後で気づいても遅い。

相手に、語彙も概念も圧倒的に劣る男を相手にして、でも頑張って説明をはさみながらするので、結構長ったらしくなって分かりにくくなって、もちろん相手はその場その場で足していった説明を吸収できるほどの脳力はないから、

すべて、私の説明が下手ということになる。

その場では年下のオジサンや、妙に偉そうなさらに若い男にバカにされる。

これ、せめて相手が女性だと、分からないことは分からないと認めてくれるのでずーっと話しやすい。

でも男って、

女の私が、男である自分に自分の理解を超えるような話を、できるはずがないと思い込んでいる。

ああ、もう老女でしょ、いい加減に

これをやめたい。

どうすればいいのだろう。

英語だとフラットでもう少し楽だし。基本友人や知人との話題は、Current Affairかオタクネタが多いし。

いい加減に変えたい。

あ、でもこれ私だけじゃない。周りの有能な日本人の女も同じようなことし続けるから、男つけあがるな。

さっきまで、Youtubeで、アメリカの女性セレブが、Sexist Interviewにやり返しているシーンのまとめがあってみてた。

ああ、Frozenの’Let it go’日本語の歌詞は、肝心のフェミニスト宣言が弱められてしまっているけど。

そうか、自分より能力の劣る男には、それをはっきりと思い知らせよう。無理にいちいち、かみ砕いて説明するのをやめりことからはじめよう。

あと、丁寧語以外はもう使うのやめよう。