時々結構考えてしまうのが、いまだ薄れることのないポケモンの人気。確かにPokemon Goのヒットは大きかったと思うけど、それ以前から日本のポケモンショップはどこもはやっているし、任天度3DSの定番といえば各種ポケモンのゲームだし。

ともかく、アメリカにいるうちから結構楽しみにしていた新作’劇場版ポケットモンスター、みんなの物語’です。

7月13日、封切り日の金曜日のマチネー、シッカリ行ってきましたよ。

実は、日本の夏に娘と一緒にポケモンの劇場版アニメを見るのはこれが二度目。

去年も、’劇場版ポケットモンスター 君に決めた’を見に行きましたので。

ここで、確認しておきますが、娘は日本語ほとんどわかりません。さすが片言の単語やら短い挨拶は少しずつ覚えだしましたが、日本語の映画なんてまるで無理です。

2016年夏に、シンゴジラに連れて行ったときは、前半完全に退屈してましたから。

でも、ポケモン映画を見ている時は、ほとんど気が散ることがありません。

でもいいわけです。

ポケモンは人間の言葉を話さないから。

これって、ポケモンの誕生以来、本当にいろいろな日本製の子供向けヒットアニメ、ゲーム生み出されてますが、私が知る限りはユニークですよね。

 

日本にいたわけではないので、そういくつも知っているわけではありませんが、一時期私もはまったデジモンは本当に盛大なおしゃべりたちでしたよね。妖怪ウオッチの妖怪たちに至っては、人間よりうんちくが多い感じです。

 

あと、いまだに手を変え品を変え人気が衰えない遊戯王シリーズですが、こちらの場合、カードから繰り出されるモンスターとプレイヤーの少年少女たちとの間には、感情的繋がりらしきものは殆ど見られない。

 

そういえば、娘がまだ小さいとき、ハローキティとその仲間たちのアニメビデオがかなりのお気に入りでした。あれも、人間の言葉は話さず、ナレーション以外では、いわゆるオノマトピアを、がやがやとつぶやくのみです。

まあ、実のところコミュニケーションというのは、非言語的要素のほうが言語によるものよりずっと多いので、確かにこれでいいのでしょう。

 

もう一つ突っ込むと、やはりポケモンとトレイナーの関係は、子供と飼い犬に関係に一番近いと思います。ただし、大人が飼い主の場合とはかなり感情的なつながり方がちがう。

 

孤独な子供にとって、ポケモンそして子犬時代からよく知っている飼い犬は、かけがえのない友達でしょう。

 

大体、どのトレーナーも、一番のお気に入りのポケモンを持っており、そのポケモンはポケボールにはとどまらず、トレーナーと一緒に行動します。

 

2016年7月にPokemon Goがリリースされた後、二作続けて劇場版アニメのお話は、フツーのポケモンワールドの延長線上でのお話が展開されてます。

 

だからこそ、ひとりひとりのトレーナーと、そのポケモンのペアの関係性がすごく大事になってきています。

なんて言うのかな、ポケモン映画って、これだけコマーシャルでありながら、ある種臆面なく道徳的なのです。大きな敵と戦うのが最終目的ではなく、いわば一種の自己実現が実は最終目的みたいな不思議さがあるのです。

 

このテーマは、去年のアニメでもかなり露骨になってましたが、今回のアニメで完全に正面に出てきた感があるのです。

だって、引っ込み思案のポケモン学者トリトと、ラッキーとか、限りなく虚言癖に近く、話をおおげさにしてしまうカガチとウソッキーとかって、いわゆるトレイナーとポケモンとの関係ですらなく、まるでシャドウのよう。

 

ポケモンとともにそれぞれが自己実現を目指す時、世界に訪れる予定調和はあまりに非現実的で美しい。

 

今あらゆるコンテンツ世界で破滅と残虐の影が濃くなりつつあります。

私だって、いつもはそういう世界観に親近感を覚え、それを受け入れ、そのうえで描かれていく物語に心惹かれるのです。

 

でも、子供たちには絶対忠実なポケモンみたいな存在が欠かせないのです。

 

そして、私だって時として、自分のいまだ柔らかさの残る心のかけらを癒したいのでしょうね。

 

少し感傷的になりましたが、(しっかり映画の最後のほうでウルっとしましたし。)鑑賞後はしっかり限定グッズをあさりまくりました。

三連チェーンと、メタルキーチェーン2種、そしてiPhone用のカバー可愛いのがありましたよ。

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