Candy Crushをとにかく完全にやめた後で、やっぱり禁断症状めいたものが出て、その結果は行きがかりでおとといからしばらくはまったのが、
Youtubeドメスティックトラブルビデオ
例えばこんなやつ、
えっと、いまもう平成も終わって令和だよね。
なんなんだ、この平成どころが、私が子供だった昭和時代まんまの、
姑、舅、小姑、嫁 というアーキタイプのどろどろ
モラハラ、亭主関白、時代錯誤、マザコン夫
で、そういう私もなんでこんなVideoを、いくらCandy Crushの禁断症状があるからってはまってしまったのかしら。
実は、冬休み前から娘が読み始めた課題読書がらみで、私は今彼女の英語のProjectの手伝いをしてます。
で、その内容に絡んで、私、私が小さかったころの、祖母との関係について少しずつ話をしています。
娘が読まされた本は、メキシコ人作家によるベストセラーの英訳版、
’Like Water for Chocolate’
映画は’赤い薔薇ソースの伝説’というかなりおかしなタイトルで公開されてます。
翻訳も昔一度されてます。
私が大学院生だったころにハリウッドでも映画化され、私自身見てます。(かなり描写が直截的で、異様なストーリーだったと記憶してます。)
娘の読書を助けるためもあり、冬休み中に家族三人でNetflixでまた見ましたが、まあ、性的に赤裸々なシーンとかは娘は割と淡々と見てました。
ただ、娘がすごく怖がり嫌がったのは、実の母親が主人公の末娘Titaを殴るところ。
私だって、娘が10歳になるまでは、お尻ひっぱたいたこともあったのですが、それはどうやら傷にはなっていないようでほっとした。まあ、私なんて大した母親じゃないですし。
で、この本がらみの最後のProjectというのが、身近にいる人だれかにInterviewして、いわばTitaのような話を記録してまとめるというかなりすごい代物。
Titaの悲劇というのは、まず第一にFamily Traditionとかで、息子のいない家族では一番末の娘が家に残って親の面倒を死ぬまで見続けるというしろもの。
で、なによりもそのTitaが、Pedroという青年と恋に落ちてしまったことで、生涯かけて何もかもよじれてしまうのですね。
そんなTitaの生涯のなかで、唯一の救いであり輝きであったのが、彼女が幼いころから料理番の女性にしこまれ、そして大人になってからは作り続けた料理。
私にとってこの映画が強く印象に残ったもう一つの理由は、食べ物や料理がらみのシーンの魅力でした。
このお話の背景は、1900年のメキシコ独立戦争期、そしてそれは私の祖母が生まれたころとも重なります。
最初はこんなこと娘に話して良かったのかというためらいも少し残ってましたが、なぜか娘はすごく興味を持ってくれました。
で、不思議な話ですが、私にとって勉強癖と読書が、いわばTitaにとっての料理に近いものであったことに気づかされたのです。
私は、母ではなく祖母に育てられています。だから祖母のペットのように連れまわされ、着せ替え人形のように彼女の子のみの格好をさせられ、さらに彼女の好みの習い事をさせられました。
そして、ほんの些細なことでひどく折檻されました。
逆に、私は折檻の内容をはっきりと覚えていません。後、私の中には祖母=おそろしいというイメージが定着しており、それをずーっと大人になってから幼稚園の先生をやっている知人から’それはかなり怖い’といわれたことをよく覚えてます。
祖母に育てられたので、母はほとんど私のことが嫌いでした。妹たちは、私ほどではないもののやはり祖母に折檻されたので、いわば戦友みたいな感じ。そして父は私たちが子供だった頃、基本仕事と遊びでいわば不在でしたが、落ち着くにつれそれなりに何かを償おうとしてくれたと思います。
そうだ、私が、’祖母の自慢の子’が高三で突然家出をし、受験もだめになってしまったから祖母の支配力が実家で衰えてしまったんだ。ああ、そのあと自殺未遂ではでに左手首切ったし、ずいぶんいろんなことがあった。
なんとなく、それでも心のどこかで
祖母がしてくれた中にもいいことはある
と、なぜか思い込もうとしていたところがあったのですが、
娘に話しているうちに、何かが変化していきました。
そうだ、Youtubeで延々と、ひどい姑やら、ひどいSexist男やら、いじわるな小姑やら、姉やら、妹やらをみながら、彼らがいつも墓穴をほって、かならず
主人公が最後に勝利する
で、私だってアメリカに来て、数学でPh.Dを取った時点で、一応’勝利確定’みたいなもんだったけど、でも人生ってそこで終わらない。
そのあと、超高齢出産で娘を生んで、私にやっといわば’普通の人生’が始まったのだと思う。
なんかずいぶん遅くなってからだけど、それでもたぶん思いがけなく早死した父の後ひとりになってしまった母よりは幸運だと思う。
そういえば、私は母がどうしても心から好きになれなかった。それはたぶん母が私をどうしても好きになれなかったことの裏返しでもある。ただ、それをそのまま受け入れて、最終的に自分の中の母とは和解したのだと思う。母には死の一か月前にちゃんとあっているし、死に目も、Facetime越しだけど’そこにいた’。
それに対して、私がずっと祖母に抱いていた感情は何だったのだろう。というか何かを抱え込み続けたままにしてきたことを、今娘に対して話し出したことで思いだした。
なんで私は執拗に、こういうYoutubeビデオのHappy Endを求めるのだろう。
いや、これHappy Endというよりすべて、
勧善懲悪で、罰当たりでしょ
私は祖母の死に目に会っていない。それどころか彼女の死を知ったのは、死後何か月もたってからだった。祖母は父より母より長生きした。実際父は祖母より先に死んでしまったし。母が死んだのは彼女が83歳の時。でも祖母は90半ばまで生きていた。
養老院にはいってからも、持ち前のあくの強さでいろいろと仕切っていたと聞く。
’赤い薔薇ソースの伝説’は、日本の普通の道徳観からすると、いまいちグレイな部分がかなり多い。いや、はっきりと何がどうなったとは書かれていない。それどころかTitaが意識的にどれほどいろいろな行動をとったのかもはっきりしないのだ。
だからもういろいろなことをはっきりさせなくても大丈夫なのだろうと思う。
もう、変な言い方だけど、
自分の好きにしていいのだと思う。
娘はただただ、私の話を聞いて大変だったんだというのだから。