さっき見終わって最初の感想からしてネタバレなのでタイトルで警告したわけです。後、これはあくまでアニメ版のレビュー、アニメを見てつくづく原作を読み返してきちっとしたレビューを書かなくてはと思いましたよ。

このアニメは、評価としてはかなり典型的な星3つ(満点5つとして)の出来栄え。

原作の世界観はしっかり書き込んであるものの、作品全体のできはそこそこ感がありすぎ。というわけで、まず気に入らないところから始めましょう。

 

1.Ending、原作の終わりまで描いていないじゃない。

第二作’ハーモニー’は、一応続編のようなものでしょう。これじゃ’虐殺文法’が先進諸国にひろまって、世界中で内戦が起こるというEnding、アニメしか見ていない人には伝わりにくいでしょう。

見ようによっては、先進国の良心が勝利して世界中で虐殺がストップしたなんて、死にたくなるような解釈が成り立ちそうなEndingでもありましたから。

そういうことを一生懸命いっていた、John Paulの愛人ルツィアは、しっかり射殺されていたりするのです。ストーリーテリングの常套から言っても、この作品は予定調和を選べない。

実現するかどうかはっきりしなくなった、かの’オールド・ボーイ’のパク・チャヌク監督が実写化だって、こんな情けない曖昧なEndingは絶対やらない。

なんでここまであいまいにする必要があったか知りたい。

 

2. ’不条理’ 先進国のぬるい悪夢

よく聞いていると、きちっとこの線のセリフを言っているのだけど、たぶんアニメだけ見ると逆に受け取られそう。

端的に言って、出られなかった城の外では、宗教戦争で凄まじい殺し合いが荒れ狂っていたっというパターンを強調しているのだから。

ベケットが出てくるのも、まあ閉塞感と救いの無さそして、日本の諺でいうところの、

’板子一枚下は地獄’

という感覚が、戦場の兵士たちの感覚と重ね合わされているわけだけれども。

ただ、この作品の兵士たちはARや人工筋肉、そして綿密なMental Healthコントロール体制によって、幾重にも隔離されていたりするのです。

 

3. アニメは’Zero Dark Thirty’を見ていて混乱していた感情をはっきりさせてくれた。

 

そういえば、伊藤計劃は結構この映画の監督 Kathryn Bigelow結構好きなのよね。そして私はまた、この監督が好き、’Zero Dark Thirty’のリリースは2012年、後アカデミーをとった’The Hurt Locker’はアメリカでは2008年の封切りだったけど、日本リリースは2009年の6月。彼が同年の3月に亡くなっているので、この2つの映画は見ていない。

 

’The Hurt Locker’はまだ絶賛されたものの、(イラク戦争の爆発物処理班の話)’Zero Dark Thirty’は優れた作品でありながら、アメリカ人にとっては楽しめない映画になってしまった。

’Zero Dark Thirty’は、基本オサマ・ビン・ラディンの暗殺成功にいたるまでの’実話’に基づいたとされるお話なのです。

映画のメインは、オサマの隠れ家を探し出したとされる一人の女性情報員の軌跡をたどっていくのですが、なんというかこの映画ものすごく淡々と容赦がないのです。

彼女が駐留するポストはアメリカ国外にありますから、同僚は捉えたテロリストから情報を引き出すために、お仕事として’尋問’というプロセルの中で’より効果的とされる拷問’も使用します。

一方、ポストそのものもいろいろな形でテロにさらされているのです。

そして映画の終盤アメリカ軍の特殊部隊がオサマ暗殺のために送り込まれますが、この任務は完全にアメリカ側の侵略行為です。

さすが、子供を画面で撃ち殺すシーンはありませんでしたが、こと成人男性に関する限り淡々と撃ち殺していきます。

 

つまり虐殺器官的にまとめるのなら、私達のよく知っているこの世界を守るために、私達の世界の外で何が起こり続けているのか、そして9-11のような外の世界からの侵食を防ぐために、アメリカの兵士たちが、情報局員たちがどんなことをしなければならないのか、させられているのか、それを何の感情も込めずに描いていく。

 

感情をこめないからこそ、彼らは任務を全うできるのだし。

 

Zero Dark Thirtyの暗殺任務遂行シーンは、事細かにフォローされたプロセス管理とともに遂行されました。

’虐殺器官’で、インド内乱と虐殺を停止するための任務を見ているとき、このオサマ暗殺任務を見たときの感覚が重なりました。

ものすごく怖いことが起こっているのに、私はどういうわけか’怖い、そして嫌だ’と思う感情にたどり着けないでいる。

この乖離感そのものも、’虐殺器官’の重要な要素の一つです。

さて、アニメの方は、主人公クラヴィス・シェパードという人間にはっきりとした輪郭を与えることに成功していません。

逆に、’Zero Dark Thirty’の方は、主人公を演じる女優 Jessica Chastainが、全ての道徳的曖昧さを、重いままにまとわりつかせています。

まあ、はっきり言ってしまうと主人公クラヴィスはアニメのキャラとしてはどうしてもない立たない人格存在なのかも知れません。

小説世界では、効果的に働いていたこの男の内面吐露や、文学青年めいた会話内容は、やはりアニメとなると完全に浮いてしまいます。

さらに話をややこしくしているのは、そもそもこの作品は日本人によって日本語で書かれているものの登場人物はすべてアメリカ人を初めてとして、英語で話しているのが暗黙の設定でもあります。

その意味で、この作品は配役によっては、英語で台本化されたほうが作品の世界観を消化しやすいのかも知れないと私なんぞは思ってしまいます。

昨夜は、日本語版を英語字幕でみていましたが、正直英語の吹替版を見てみようかと今考えています。

さて、ここまでは、基本このアニメの欠点、弱いところに焦点を当ててきました。

でもそればかりでしたら、星3つでなくひとつですよね。

原作を読んだものとして、このDVDやはり、結論はおすすめなのです。

それは、このアニメを言語化しつつ見たものではなく、非言語状態のまま、見てしまったもののに尽きるのです。

 

 

 

 

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