漫画版’ギブン’を読み込んでいる人間にとって、真冬がどんなふうに歌うのかが、アニメ版の評価を決める最大の分岐点です。
だから原作者判断によって,OPとインスト担当のセンチミリメンタルのボーカルではなく、佐藤真冬のVoice Actorである矢野奨吾が、作中歌を担当することを聞いた時正直不安でした。
矢野奨吾には、いわゆる2次元アイドル系アニメで声優を努めてますから、歌えることは知ってます。
でも、この歌はただ上手に歌えばいいというものではない。
と、ついに真冬が歌い出す第9話が先週放映されました。
初めて、Crunchyroll(アメリカ最大のアニメストリーミングサービス)でこの第9話を視聴した時、正直私はただ圧倒されてしまい、
自分が見たものをうまく消化できませんでした。
私は、実はずーっと原作’Given’のあまり良い読者ではありませんでした。
漫画としてすごくレベルが高いのは明らかなのですが、BL漫画としてうまく消化できないのです。
ですから、漫画版2巻まで最初に読了した後、続巻に長い間手が伸びませんでした。以前書きましたように、続巻すべてを読んだのはアニメ化が発表された後です。
正直、一週間前に、サイマルキャストで最初にこのエピソードを見た直後も、どうしても今一入り込めませんでした。
それが、数日前ふと、このお話の主要人物が5人ではなく、実は6人であることにふと気づいたのです。
さらに、その6人は実は、3人ずつの不均等な三角形を形作っていることも。
ただし、これを2つの3角関係と解いてしまうと、違うのです。ではなんなのか、
やっとKey Wordが見つかったのは昨日でした。
この物語は、恋が焦点なのではなく、むしろ’失われた何かに’対する思い、そしてそこからの再生の物語だと気づいたのです。
いや、はっきり言ってしまいましょう。
’ギブン’は’喪失’の物語です。
死んでしまった幼馴染兼恋人、ゆきは単なるBackstoryではありません。ゆきの不在こそが、1つ目の三角形の、一番思い頂点なのです。
改めて、Crunchyrollで、第9話を視聴しました。
そして、どうやらかなりの反響が有ったらしく、Crunchyrollから、真冬の歌唱シーンが上げられていました。
英語と、他の外国語のコメントばかりですが、涙涙。さらに、BLは苦手とか、アニメはまだ見ていないと条件付このコメントも、この歌唱シーンのパワーに圧倒されて泣いてます。
真冬の歌声は、一番最初ほんの少しだけたどたどしさを残して始まります。でもその後あっという間に広がり、そしてサビへ、
あなたのすべてが
明日を失くして
永遠の中を彷徨っているよ
自分でも不思議なのですが、この物語を’喪失の物語’として受け入れた途端に涙腺が緩みました。昨日以来何度も何度も、くり返し聞いていますがいつも、最初のサビに来ると涙が抑えきれません。
さて、このCrunchyrollが上げたたった2:36のエピソード9からのシーンですが、歌が2番にかかるにつれて、ゆきと真冬の思い出のシーンが展開していきます。
1:36のゆきのアップを見い出す時、私達はどれほどゆきが真冬をすきだったのか思い知るのです。
心から愛する人と初めて一つになった幸せに上気するゆき。(この記事のサムネイルは漫画版を少しだけ加工したものです。)そして、こんなゆきを真冬が見ることはもう二度とない。
この後、真冬の独白が続き、インストがやみ、2度めのサビがかぶさっていく。
冷たい涙が空で凍てついて
優しい振りして舞い落ちる頃に
離れた誰かと誰かがいたこと
ただそれだけのはなし
そしてこの自分の歌声にかぶせるように真冬がつぶやくのです。
さみしいよ
と。
多分、文学みたいなものを考える上で最大のテーマの一つが喪失の物語です。
なぜなら、私達はいずれ死ぬ存在だから。
そしてかくある不在のなかでも、
死は最終的な不在
ところで、子供たちはいたって不器用で同時に残酷なもの。
だから、ほんの少しのすれ違い故に、
子供たちはあっけなく死んでしまう。
私にも、もう随分と昔の話ですが、必要以上に傷つき続けて消えたいと思ったことが、ある時期強くありました。
ゆきのあっけない脆さの根源がどこに有ったのかは知りませんし、そういうことをあれこれ説明することをこの作品が避けていることは正しいのです。
大事なことなんてひとつだけ。ゆきは真冬に自分がどれほど真冬を好きだか分かってほしかった。
いや、もっと子供って馬鹿げているものです。私も’死にたい’と思った時、それと同時に何を強く願っていたかよく覚えています。
僕を、覚えていて、
死んでしまった僕に涙して
僕を惜しんで、愛してくれ
ただ、それを確かめたいがために、
どこかが疲れすぎた時、
子供はあっけなく死んでしまう。
でも、’ギブン’は、そんな’喪失’を内在させながら、ゆきが薄っすらと残るやもしれない春を飛び越し、夏へと進む。
真冬が歌い始める時、彼の横にいるのは夏の象徴立夏。真冬は歌を見つけると同時に、やがてゆきを忘れてしまうであろう自分を、前へ進む決意をした自分をやっと受け入れるのです。
それは、才能のある人間の特権であり、宿命なのかもしれないと、この作品は指摘しているようです。
そして、漫画はこの後バンドの残りメンバー二人、中山春樹と梶秋彦、そして秋彦の元恋人の天才バイオリニスト村田雨月の3人が作る三角形に焦点をシフトしていきます。
アニメにも、それなりにこの三人の関係は描かれていますが、漫画の重きの置き方に比べるとかなりあっさりしてます。
きほん、このアニメはワンクールですからこの全体のまとめ方は正しいと思います。
実は、この2つ目の3角系のほうが、いわばBL漫画的なストーリーです。
ただ、ここにも’喪失’のテーマはつきまといます。死という不在にくらべると究極的な重さにはかけますが、やはり人の命に限りがあるからこそ決して避けることが許されない、
選択についてまわる、有ったかもしれない可能性の’喪失’
男4人の韜晦コントギャグがそれなりに満載されている漫画なのにも関わらず、ギブンは本質的にかなり重い作品です。
今はもう一度、真冬が歌う’冬のはなし’通しで聞いてみてください。
あなたも、涙することができますように。