ちょうど先週末ぐらいから、今度は日本が暑く、しかも毎日娘の日本語学校の送り迎えをバスでしなくてはならないので結構きつい日が続いてますが、その割には基本、

元気です。

 

で、その最大の理由は、本がスラスラ読めること。

日本に来て購入した本のうち、伊藤計劃トリビュート以外の本は全ての本を読み終わっただけでなく、この本

 

 

を読んだ後、すぐこちらの三冊を注文しました。

 

 

で、届いた順に、まず

フラジャイルな闘い、日本の行方’ を読み、

神仏たちの秘密ー日本の面影’も読了し、今

´侘び、数寄、余白、アートにひそむ負の想像力

を読み始めたところです。

 

松岡正剛の本で一番最初にものすごく感動したが、いまは中古でしか手に入らないこの本。

 

 

そして、今回の3部作は、実は連塾という松岡正剛による8回連続の講義の記録で、ないようてきには、’日本という方法’を深堀りしかつ、より広げたものといった感じです。

参加者の顔ぶれが、なんとも異様なまでに多彩でそれも正直私の野次馬根性を満足させてくれました。

 

ともあれ、たぶん松岡正剛が今すごく面白いのは、ぶっちゃけ彼のベストワークはこれからだと思うから。

私は、’日本という方法’を読むまで、松岡正剛の出す本をまともに読んだことはない。簡単に言ってしまうと、私の好みからすると、ちょっとぺだんちっく(衒学的)がすぎる、これが印象でした。

 

なんせ、私の読書に唯一モットーがあるとしたら、それは‘転んでもただは起きない‘。

 

どんな本も実用書として読む。

 

これでしたから。

 

昔々、あの頃は新進作家兼評論家だった今は亡き中島梓さんに、仕事がらみでお話を伺ったことがあって、その時20代であるにもかかわらず、お互い本が好きで、色々‘Compare Notes‘したのです。

で、彼女のモットーはすべてを、物語として読むということで、私はこれだったわけです。私は、金瓶梅を訳書とはいえ全部読んだという中島さんに感心し、一方中島さんに一番気味悪がられたのは、私が高1の時にダンテの新曲を全部読んだことでした。

 

おたがい、何であんなもの読了できるのという感じ。

 

そもそも、アメリカに来て以来、いわゆる知的好奇心を一番刺激してくれる著者は、2人いて、それは

 

超英文学者 高山宏

戦後最深の文芸評論家 柄谷行人

 

なのです。

 

二人の著者との出会い方は私らしく、偶然とミーハー精神のたまもの。

 

柄谷行人は、そもそも昔々この本と、著者の浅田彰の天才少年風ビジュアルがきっかけでニューアカブームというのがあったのですね。

 

コンセプトレベルの微積分がピンとくれば、やたら多いカタカナ以外それほど読みにくいわけではないのですが、なぜか世の中では結構難解扱いされましたっけ。

 

ともあれ、逆に何かすごく今までと違う感じということで、他にもニューアカとひとくくりされて、何人かの著者が注目を浴びたのです。

 

で、そのひとりが中沢新一であり、結果的に長い付き合いとなった柄谷行人でした。

 

柄谷行人というひとは、一口で言うと、

不機嫌な文章を書く

で、その不機嫌さは、誰よりも夏目漱石がロンドン留学で悩まされた憂鬱と通底してます。

 

まあ、ぶっちゃけ日本語という、よく考えるとかなり奇跡な言語の中で育った人間が感じる、特にインドヨーロッパ語族系の言語でCommunicationをしなくてはならない時に感じる焦燥です。

 

で、柄谷行人の場合、本質的には文芸評論家でありながら、まるで数理論理学者とまごうような文体で、たとえばフーコーとか、デリダ、とかド マンが持ちだした、いわゆるPost 構造主義系の話を進めていくのです。それはさらに、経済そして資本主義の宿痾 への取り組みとつながっていくのですが。

 

全く個人的には突然実用にとりつかれて、アソシエーションとLocal 通貨みたいな実験をはじめたところで、私は離れました。いまだに自分の持っている本を読み返しますが。

 

まあ、通貨に関しては、むしろ岩井克人のほうがおもしろいし、特にこの方のコーポレーションの分析は面白い。

 

ともかく、時代は仮想通貨を生み、Bit Coinのバブルそのものはあまりいみがありませんでしたが、より革命的なのはBlockChainという、まったく中心のないNetworkがこれからどうやって世の中を底から変えていくのか凄く興味がある。

 

ところで今のところ、これに関する分析で、瞠目するようなものはありません。未来の話をするひとたちの一般教養のレベルがあまりに低いのでたぶん大したこと書けないのだと思います。

 

みんな、結局金もうけが先に来てるんでしょうね。

 

 

さて、もう一人の高山宏さんですが、こちらは、

お祭りです。もう狂騒、狂想状態です。

 

高山宏の本は、昔々‘アリス狩り I`をそのころあった文芸系小出版社の高橋さんという女性編集者の方から何気にいただいたのが実はきっかけです。

この本は、かなり面白かったのでたしかNew York の紀伊国屋書店で、‘アリス狩り II 目の中の劇場‘

これが死ぬほど面白かった。

 

もう古本しかないのですね。

 

もしあなたが高山宏ファンだとおしゃるなら、この本買ってみましょう。

いまだに、文学をテクノロジーとしてオープンに取り扱った異人ポーの‘アッシャー家の崩壊‘冒頭の訳と、解析、これを読んだ時の興奮は忘れられません。

 

まあ、高山宏の解析をフォローしていなかったら、なんで例えば‘ゼルダの伝説、ブレスオブザワイルド ‘‘が、あそこまで気持ちいいか、実はものすごく特殊な世界観であるかわからなかったと思います。

で、このかたは東大の大学院生時代に、伝説を作ったひとで、(クロスリファレンスのメイズとしての書庫目録を手書きで作ってます。)その時点ですでに、片目が見えなくなっている。

 

で、色々持病が多そうな方で、で家族関係もかなり複雑。

 

このかたは、とにかく露悪的で、野卑な物言いがお好きです。で一応英文学者ということですが、日本の学者がおきれいに奉っているヨーロッパ世界を、香具師顔負けの手つきでたたき売って見せる。

 

結果、たぶん日本のこの世代の文学者のなかで、ごく普通に産業や工業の発達が、どう文学に影をおとすか、初めて解析して見せた。

 

まるで、明治の偉人達のように、読むほうに特化した語学力凄いです。

 

でも、いまは日本回帰なのですよね。

 

日本が相手になると、今一狂想状態がうかがえず、最近の本に手が伸びないのです。

 

だから、振り返ってみるとここ数年、特にRentaで漫画が読め、Kindleで軽めの本がバンバン読めるようになった反面、

 

脳が興奮する読書が途絶えていた。

 

で、今回の松岡正剛本につながるのです。

 

で、デビッドアトキンソンの‘日本の勝算‘は、結果的にとてもまともな本だったけど、まだたりないものを満たすべく、

 

今松岡正剛なのです。

 

この人は、英語の中で苦しんだ柄谷行人とも、読解力にほぼ特化した、凄まじい語学力の高山宏とも違い、外国語習得を放棄している。この辺はいかにも早大仏文科中退ポイ。

 

その代わりといってはなんだけど、ものすごく私が死ぬほど苦手な漢文とか、古文の原書をさらさらと読んでいる。

 

それこそ、日本の古代人のように、漢文の原書、白文を、中国語など知らずに、自分で例の記号を頭のなかでちゃんとつけながら読んでいる感じです。

 

だからこそ、私はこれからこの人の本をしばらく読み続けると思う。

 

ちなみに、また一冊注文、それはこちら、

 

 

この本を読んだら、次にどの本を読むかMapできそうですから。

 

あ、サムネイルは私の心の底で愛している日本人的健気さの象徴です。何か、私の日本的な写真を探していてこれに来ました。アメリカでたまに日本犬を買っている人を見かけるとすごくうれしい。

彼らは、実は変な日本びいきよりずっと、日本的な何かを愛している感じがするので。

 

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