最近、イケハヤさんのYoutubeを、家事をしてながらとかExerciseするとかに聞いているのですが、今日も’ブログはオワコン…’といういかにものタイトルなYoutubeをTreadmillに乗りながら聴いていたのです。
で、まあ最近みんな小説とか読まないという話になって、その先で確か俳句と和歌をいっしょに、まあ若い人に読まれるはずがないものとしてさらに論ってくださったのですが、私はそこで、
カリッとしました。
私俳句好きです。
日本の女学生だったころ古典とか苦手で好きじゃなかったのですが、その中で2つだけ気に入ったものがあって、両方とも半分世捨て人の爺さん。
一つは鴨長明の方丈記、もう目一杯暴徒から根暗な世界観で、天災やら飢饉の話とかもう暗い話ばかり続いて、凄く受けました。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中に住む人と住処とまたかくのごとし」
これいまだに暗唱できます。
そしてもうひとつが、こちらもまあ爺さんぽい。でもゲイの人みたいだからもっと生臭いのかも知れませんが、かの松尾芭蕉さんです。
私、’奥の細道’すごく好きなのよね。
この冒頭も未だに覚えている、
’月日は百代の過客にして、いきかう年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎うるものは、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅にしせるあり。’
旧仮名遣いでかけませんが、こんな感じです。
なんか私は、超大昔高校三年生の夏のはじめに突然家でして青森まで行った人間ですから、元祖ヒッピーみたいな感じがすきなのです。(あ、ヒッピーとか今の若い人な知らないかも、Googleしてみてね。)
ちなみに私が一番好きな句はこれ、
’象潟や 雨に西施が ねぶの花’
象潟はそのころまだ日本海側にあった、松島みたいな場所だったそうで、そういう失われた景色に対するあこがれもあってすごく印象に残りました。
大体高校の修学旅行で一番印象深かったのが東北旅行でした。
この本アメリカに来るときに持ってきました。そしてあの震災のニュースを聞いた夜、この本握りしめて泣きました。
俳句って結構Intense,つまり濃くて重いものですよ。
で、どういうわけかというかだからこそ、近代の自由律俳句に至っても、 俳人は変な人が多い。だから好き。で、一冊もうこの’俳人みんな変だ’的に人物紹介してくれるありがたい本があるのです。
私は20代でなにかの間違いでこの本にであって本当に良かった。
これ文庫でした。でももはや古本しかないみたい。どうしてこんないい本を残さないのだろう。でもまあ今アマゾンで買える値段でもあるのでよろしかったら。
作者は吉屋信子さん、彼女が近代の9人の俳人たちの壮絶な人生を愛情込めてまとめてます。
今でこそかなり有名になってきた尾崎放哉ですが、私はこの本で初めて知り、
Fell in love
’底の抜けた柄杓で水を飲もうとした’がタイトルの原本。
尾崎放哉に関してはあのあと神保町の大きな本屋に行ってあんまり安くなかった伝記本までかいました。まだアメリカに来る前の確か80年台の頭ぐらい。
俳句は今の私には関係ないと思っているあなた、放哉の作品で私の好きなものをいくつか挙げさせてください。
この人の生き方凄まじく早死しているのですが、でもこの人の作品がかかえる感情には素晴らし広がりがあり、あったかなもの、くすっとわらってしまうもの、シュールなものまでといろいろ。そして実存的というか禅的世界観を目の前に突きつけてくれるものまで。
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
一日物云はず蝶の影さす
山の夕陽の墓地の空海へかたぶく
柘榴が口あけたたはけた恋だ
たつた一人になりきつて夕空
空に白い陽を置き火葬場の太い煙突
むつつり木槿が咲く夕ベ他人の家にもどる
いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる
傘さしかけて心寄り添へる
心をまとめる鉛筆とがらす
雀のあたたかさを握るはなしてやる
破れた靴がばくばく口あけて今日も晴れる
一人分の米白々と洗ひあげたる
足のうら洗へば白くなる
あけがたとろりとした時の夢であつたよ
朝靄豚が出てくる人が出てくる
入れものが無い両手で受ける
せきをしてもひとり
春の山のうしろから烟が出だした
一応本も、
俳句面白いよ!!