Rule2は、Rule1と少しかぶりますね。
つまりコト消費が大事であるように、たとえモノ消費でも、それに何かしら特別な意味が付与されていると、とたんにモノは単なるモノではなくなる。
だからこそ、断捨離だ、お片付けだと言っても、たとえばアメリカの場合年の終わりの感謝祭明け(Thanksgiving)になると、Holiday Shopping Seasonが始まり、いまだせっせと多くのひとはShoppingに勤しむ訳です。(まあ、買うものの内容を変えることは、このシリーズの内容に沿わせることで可能ですが。)
伝統的なLife Styleが得てして魅力的に映る最大の理由は、日々の雑事がとてもSpecialなできごとに変貌してしまうから。生活のただなかで幸せを感じるのはこういうときだと思います。
私なりに、子供時代の季節の行事を振り返ってみると。
お正月は、普段は食べないちょっとした贅沢品も足して、おせち料理とお雑煮。
如月の豆まきには豆をまく。
弥生、ひな祭りは、五目寿司とひな祭り用のキレイなお菓子が楽しみ。
卯月、もちろんお花見は欠かせません。
皐月、男の子がいなくても、ちまきと菖蒲湯は楽しめます。(ちなみに私は菖蒲湯大好きでした。)
水無月 梅雨には、梅酒をつけてました。
文月 海開き、山開き、子供にとっては夏休みのはじまり。
葉月 お盆です。あと土用のうなぎをお忘れなく。
長月 夏休みの後の新学期のはじまり、日本は残暑がきついので、夏の食べ物が続きます。
神無月 すすきを飾ってお月見。
霜月 やはり、鍋ですよ。
師走 クリスマスに、忘年会、そして一年で一番美味しく感じる年越しそば(私はそもそもお蕎麦それほど好きではなかったので)
中高と、古文は苦手科目でしたが、12ヶ月の和名だけはすごく好きでしたっけ。
すべては、
Turn Ordinary intou Extrodinary
というマジックですね。
振り返ってアメリカだって、日本といろいろ違いますが、伝統的な暦に基づいたLifeStyleあるのです。もともと農業立国でキリスト教国ですから、それに根付いた行事が多いのです。
日本人にとってただちょっと寂しいのは、新年から復活祭まではあまりなにもない。それでもちょっと商業ベースの踊らされているとはいえ、やはりSpecialなことは楽しい。
1月は本当になにもない。新年も元旦以外はすぐ仕事に戻るのです。
2月は、St.Valentine’s Day でも、日本と違って男性が女性にお花とチョコレートとぬいぐるみのくまの3点セットを送るのが定番。
3月は、St. Patrick’sDayというアイルランド系の行事が大きい。アイルランド系の移民のパレードがあるし、後New England Boild Dinnerという、塩漬けの豚とキャベツがメインのポトフのバリエーションみたいなお料理を作ります。
4月は、なんといってもイースター、子供たちのためにイースターバスケットを用意します。もちろん娘は大好き。
5月の最後の月曜日がアメリカにとっての夏の始まりを告げる、Memorial Day。屋外でのBarbecue料理の解禁日という感じです。
6、7,8月は、アメリカは完全に夏モード。つまり子供の夏休みは日本の倍以上になるのでそのために生活パターンが変わらざる負えないのです。子供は楽しそうですが、親にとってはSummer Campを始めとして、いろいろとお金がかかります。でも、子供にとってぴったりのCampを選んであげるとまあ、ほんとうに楽しそうですよ。
9月は、アメリカの新学期です。夏の間に子供が飛躍的に成長したりしますので、制服を買い替えたりと大変。
10月、いまやクリスマスと並んで大きな行事になってHalloweenです。飾り付けもいろいろします。
11月、最後の木曜日がThanksgivingで、金曜日と合わせて4連休。故郷へ戻る人も多いので基本水曜日から大移動がはじまります。
12月、そしてクリスマスに向けて、街はきれいに飾られ、我が家もせっせとクリスマスの飾り付けをします。昔はほぼ一人でやってましたが、いまでは娘も一緒。
こういうの面倒くさいと感じますか?
確かに、義務感だけでやったら面倒くさいだけ疲れるだけです。
でも、子供だった頃のことを思い浮かべてください。こういう行事っていい思い出になってませんか?
私自身、かなり異様な子供時代を過ごしていますが、それでも楽しかった思い出はあります。
よく普通の生活といいますよね。
多分普通の生活といった場合、ある種の理想形でイメージできるのは、こういう、
スローライフでしょう。
これからの時代、確かにいろいろな側面からどうにか機能してきた市場資本主義も、かなり末期的な段階に入ってきています。
だから、日本はオワコンと煽り、とにかくお金を稼ごうという気持ちもわかります。
でも、お金がないと、いろいろと困りますが、
お金で幸せは買えません。
幸福論になってしまうと、あまりに哲学的で私の手には負えません。でも、お金とどう関わるかによって人生のクオリティはずいぶん違ってくるものだと思います。
子供時代の欠落、そしてものすごい量で私達の視聴野を満たすイメージの氾濫が、私達を’普通の生活’からどんどん遠ざけていく。
世界規模で見た場合、人類はすでに必要な量よりはるかに多い産業製品生産に成功しているというのに。
富はますます偏り、必要なものはどんどんへっていくのに、生産が止まらず、挙句の果てに
ゴミばかりが増える。
昨日のアメリカのアニメトップ140で、どうどう9位に輝いたこのアニメご存知ですか?政策は2008年ですが、今逆に現実感が増している、ある意味子供向けとしては、バックストーリーがとても怖いアニメです。
幸せなモノの情景を一つあげましょう。
毎年我が家では、ここに最初に越してきた1999年に買った、安いけどやたら背が高い(2.5m)クリスマスツリーを組み立て飾ります。
組み立てが終わり、さて飾り付けとなり、少しずつ買いためたオーナメントをテーブルの上に広げると、娘が満を持して手伝いにやってきます。
娘は物覚えが良いので、自分が選んで買ったオーナメントをよく覚えていて、そこに満足と思い出とに彩られた’幸せな時間’が現出するのです。
もちろん、私にとって娘の笑顔は、
Priceless ですよね。