’凍牌’の主人公高校生ケイは、絶対零度の地平から生存を賭けて戦うのです。

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週末のまとめ視聴で、’銀と金’ドラマバージョンを見た後、前から書こうと思っていた漫画’凍牌’について触れました。

昨日の続きですね。いわゆるストーリー展開として面白い部分をバラす必要はないのですが、とにかくこの漫画の主人公の高校生麻雀打ち、ケイについてかくためには、いろいろとネタバレがあります。

最初のシリーズ『裏レート麻雀闘牌録 凍牌』の内容だけでなく、その続編の『『麻雀死闘黙死譚 凍牌 〜人柱篇〜』内容にもいくつか触れますので、まだ読んでいない方はそのおつもりでお願いします。

私は何の先入観もなく、ただある日たまたま電子貸し漫画サイトRentaで、一巻無料だったのを読んでびっくりして、結果全て買いました。

なんでケイはこういう人格なのか、そしてこの子はどこへ行くのかただただそれが気になって読み続けたのですね。

これは、おじさんのギャンブルロマンとは無縁の、追い詰められた子どもたちの壮絶なサバイバルストーリーです。その舞台に選ばれたのが麻雀というのは、ある種皮肉ですが、子供が大きなお金を稼がなくてはならない時、ギャンブルが選ばれるのは仕方ないでしょう。

子供が生存を抱えて大人たちに戦いを挑むお話としては、もう一つとても気にいってるのがこの作品。

原作は、冲方丁さんのSF小説ですが、漫画でも読めます。

ケイが、かくまっている少女を思い出させる娼婦以下の消耗品扱いされていた少女娼婦の再生の物語です。彼女の大きなバトルの舞台が実はカジノなのですね。

さて、高校生ケイが、氷のKと呼ばれる冷酷無比の麻雀打ち生まれ変わったきっかけなのですが、それがフィリピン人の少女アミナとの邂逅です。

明晰な頭脳と、驚異的な記憶力を持って入るもののまあまあ普通の高校生(実はそうとも言えない闇を抱えてますが)だったケイは、ネット麻雀にはまり、その延長で初めてリアルでの賭けマージャンに参加するのですが、実はその相手が問題でした。

普通の遊び人風の若い男についていった先のマンションは、ケイが普段当たり前に暮らしていた日本の生活圏からはおよそかけ離れた、裏世界への入り口だったのです。

部屋の主であり、賭けマージャンの主催者でもある’まっちゃん’は、入れ墨の多い全裸姿で、さらに首に鎖のついた全裸の少女二人を連れて登場したのですから。

これを荒唐無稽ととるか、間違った場所に行ってしまったら、たとえ日本国内でも今は怖いところがたくさんあると取るかで、この漫画の受け止め方は全く違ってきます。

もしこれが昭和だったら、私は荒唐無稽ととったでしょう。でも今は平成の終わり。

私達は情報として、例えば途上国でいかに人の命が安いかを知っている。

そしてそれは、日本が海外からの労働力なしにやっていけなくなった今、より酷薄な闇社会の侵入によって、私達が’平和に暮らしていた’この国の中でさえ、現実のものになりつつある。

アミナは、まっちゃんが’飼っていた’少女たちの中で、唯一生気のある瞳の持ち主でした。そして彼女のちょっとした捨て身のヒントが、ケイにこの絶体絶命の状況から抜け出すすべを与えてくれたのです。

まっちゃんが、この上なく気持ち悪くそしてケイにとって恐怖だったのは、(まあ腐女子の私がいうのもなんですが、)この男が、ケイが、裏ビデオの売り物になるという脅しでした。

非合法の売春、性的虐待がいい商売になるという現在

この窮地は、いわば’まっちゃん’の上司に応る関が、麻雀を最後まで完了させることでケイの勝利として終了しますが、その精算に望んで、ケイは掛け金の代わりに、

アミナを身請けするのです。

これによって、普通の高校生としてのケイは終わり、氷のKとしての自分とアミナのサバイバルを賭けての日々が始まります。

なんで、ケイはアミナを引き取ったのでしょう。

もちろん、アミナはケイを助けてくれた。でも、私は思うのです。ケイにはそうせずにはおれなかった理由があることを。

’凍牌’第二シリーズ人柱編では、荒唐無稽かつ、荒みきった設定の賭けが登場します。

ケイが負けるたびに、人質が絞首されるのです。その人質の中にはケイの両親がいます。

でも、ケイの両親は、決してケイの見方ではない。彼らはこんなケイの絶望的状況の最中にケイを裏切り、ほんの少しでケイを殺しかねなかった。

でも、それはケイにとって裏切りですらなかったのです。それこそ想定の範囲内。実にケイはその裏切りを見抜くことによって、窮地を乗り越えるきっかけを掴んだのですから。

ケイは知っているのです。

ケイの弟は、保険金目当てで実の両親に殺された。

ここが、ケイの本当のスタート地点です。

実の親が、実の弟を、ただ金のために殺し、しかも自分は何もできなかったという絶対零度の地平です。

だから、ケイはアミナを助けなくてはならなかった。

そして、アミナとの生存を賭けて戦わなくてはならない。

家族が毀れ、子供たちを守るものが消滅する時、

人間の皮をかぶった気味の悪い’大人たち’が子供を食い物にする。

ケイが社会のそこに落ちていく年上の敗残者たちに、この上なく冷たいのはフェアでしょう。

だって、ケイはまだ子供で、そしてたった一人で戦わなくてはならないのだから。

繰り返します。このお話はそれほど荒唐無稽でしょうか。フィクションとは、時代の空気を移すものではないですか?