今回は、なんだか信じられない早さで、日本での日々が過ぎていきました。しかも、なにかがわだかまったまま、なんだかずいぶん疲れがたまってしまったのです。
昨夜で、妹の会社がらみの最後のSocial Eventが終わり、9時半には寝落ちしてそのまま朝の4時半まで爆睡。
肉体的には少し回復したものの、Bedから出る気にならず、Rentaでまたまた漫画チェック。今日の無料の一冊、今までタイトルだけは気になっていた「傘寿まり子」を手に取ったのです。
61歳の還暦、70歳の 古稀、77歳の喜寿とあって、80歳が傘寿。はい、一番最初にこの漫画のタイトルを見かけたときから傘寿が何であるか知ってました。
だからこそ、私は好奇心の反面この漫画を見る気になれなかった。それは私の中でAround 60の自分と、傘寿に当たる80歳の間に、はっきりとした
線を引きたかったから。
私は、やさしいお婆さんみたいなキャラを演じたくないと思っていたんですね。
肉体的には、ババアだし、
たった10年前に比べても、すごく体力落ちているし、
記憶力関係でほころびひどいけど、
ほんの少しだけ、人の心がわかるようになり、本のすこしだけ学んだことが増えていったことを除けば、今の私も20歳の私も、
そうそう違いはない。
私は、この漫画の扉絵を見かけるたびに、きっとこの漫画はこじゃれたほのぼのファッシナブル「お婆さんの知恵袋」てきエッセイ漫画だと、決めつけてました。だから読む気がしなかった。
なのに何で今朝、この漫画を開いたのだろう。
そういえば、転スラを読み始めるのにすごく時間がかかったのも、勝手に異世界漂流のギャグマンガだと決めつけていたからだったし。まあ、転スラ笑えるネーム楽しいのですが、本筋はすごくうまくできた異世界転生ものですし。
ともかく「傘寿まり子」、まず無料の2巻をベッドで読んで心にズーンと来ました。
老人が若い人にひどい対応されたり、理解されなかったりするパターンて、正直思春期の子供が、親の対応に傷つけられるのと、
全く同じパターン。
そして、家を出るまり子の冒険はなんと、
ネットカフェから始まる。
さて、やっと起きだして、昨日の残り物で朝食を済ませながら、しばらく残り7巻を大人買いすべきか考えてました。それでふと気が付いたのです。日本に来て以来、なぜかとても楽しめた時間がすくなかったと感じ始めていました。
ひとつには、Net経由で作った知人と今回はまったくリアルでの連絡が取れなかったこと。いまでは、二つのOnline Communityに参加してますが、最初のグループは、プラットフォームが何度も変わったこともあり、いまではかなり薄い関係になってしまいました。
ここを通じて2度、Zoomの集まりなどもしているので、かなり寂しい。
次に、今年に入ってから参加しているAbyssですが、こちらはもともと匿名Communityなので、オフ会をやりたい人は少ない。
ともあれ、月曜日の朝にはもう日本をたちますから、どうにかしたい。その気持ちのままに残りの7巻も即読むことにしました。
うーん、
そうか、私はそれこそ思春期と同相のIdentity Crisisに見舞われていたようなものだった。
それがこの漫画を読む過程ではっきりしてきました。
十代のころ、女としての自分と、ただの自分の間の隙間がものすごく苦しかったのです。だからこそ私の地獄めぐりがあったわけで、
私は何よりただ私としてあり、それを世界に受け入れてほしかった。
いま、その隙間は自分のジェンダーではなく、Ageなのです。
作者さん自身も語っていることですが、Life Shift時代にすでに突入し始めているいま、たかだか50や60、いえ傘寿まり子のように80になっても、もはや
シニアというロールで生きてはいけないのです。
例えば性別で、例えば人種で差別されたら苦しくなってしまうのと同じように、ただ年齢が言っているという理由だけで、個人としての尊厳を批判されていいはずがない。
でも、特に日本で進行しているのは、
敬老という名の差別です。
それで、93歳の恩師にあった時のエピソードを思い出しました。実際にお目にかかる本の少し前に、段取りをつけてくれたMさんと電話で少し遅れるむね伝えたですが、そのときMさんが、
先生はご自分でランチ代お支払いになるからって。
これに私すごく感動したのです。
大体、単に年齢が言っているからと言って、すべての人の体力が同じようにいつも弱っているわけではない。
だから私はお年寄りの優先席がきらい。
お年寄りだけ別扱いいらないでしょう。単に身体能力のテストで区別すればいいのに。欧米はそうです。はっきりしてて楽。
あと、Lifeshiftといっている、せいぜい30代、40代の人間は結構、今ここに存在する勝手の高齢者の枠にはまらないひとびとの実感をまるで見ようとしていない。
そもそも、私が髪を染めるのをやめたいと思った根本的理由は、
若く見せようとするのがいやになったから
それは完全にまだシニアに達していない年齢の大人たちに、若く思われようと媚びている、結局いまは、そうだったのではないかと感じています。
とても気分のいいことに、まり子を結果的に助ける存在は、辛辣極まりないごく若い世代と、彼らの一番の強みである
テクノロジーです。
この漫画を読んで、何度も泣きました。
だって、私だって若い世代に受け入れてもらおうと、ずいぶんと「優しいおばあちゃん」あるいは「物わかりの良いお年寄り」を演じてきましたから。
そういう時間がふえるごとに、私の中で大事に長年かかって培ってきたいろいろな記憶は、まるでほこりまみれのごみ屋敷のように、ただのガラクタのように本来の輝きをうしなっていったのではと今は思えます。
というわけで、まだうまく言えませんが、新生汚超腐人の誕生です。
もう一度、青春やり直すことにしました。