私の場合、テクノロジーに対して結局かなり圧倒的に好意的です。

 

まあ、Mainframeで、昔々FortrunやCobolを習った大昔から、Computerに対する親和性は最初っからあります。

 

それが、こちらに来て大学時代そして大学院時代の前半は、Lunixベースで、数学の論文のFormattingが主な利用法とうい寂しい状態でしたが、(一応、選択でProgramming の基礎はとりましたが、そのころのMain言語は、Pascal. C+がまだでていなかったころです。)

 

テクノロジーとのかかわりが大幅に変わったのはもちろん、

 

Netの登場

 

Netによる、World Wide Webへのアクセスが可能になって何がよかったかというと、私の場合いろいろな情報、そしてコンテンツにアクセスすることでした。

 

それでも、私たちはまだ多かれ、少なかれ、パソコンに縛り付けられていた。

 

そのうちに、周りでBlackberryを使う人が目につきだして、メールを携帯で送るということが始まった。(Blackberryは、iPhoneが登場するまでは、一番人気のあったスマホ的機能も少しある、携帯です。何よりこれでメールを送るのが当時はInだったのです。)

 

iPhoneが登場したのは2007年初頭、娘はまだ4歳になっておらず、でも発達障害が確定したころは明らかで、2年続けて保育園から追い出されることになり、次にどこに預けるかおろおろしていたころでした。

 

結局、私立の小学一年未満の発達障害児預かってくれるところを見つけました。そこに週3日連れていくことになり、そこまで片道45分のドライブをせっせとすることになりました。

 

あの頃は、アパートの家賃以外の収入はかなり少なくて、さらにこの学校、結果的に付き40万以上かかりましたから、私は父からもらった財産をどんどん食いつぶしていく状態でした。

 

そんな中、2010年の4月に、初代iPadがリリースされたのです。

 

iPhoneには、それほどひかれずスルーした私でしたが、(あとiPhone4までは、使える携帯ネットが、AT&Tだけで、うちはVerizon.わざわざ変えてまで使いたいとはそのころ思わなかった。持っている普通の携帯で十分に感じていた。)

 

iPadを、モールのApple Storeで見て、本当に何度も迷って(初代結構高かったのです。)結局、リリースの約一か月後思い切って買ったのです。

 

もちろんWireless. あの頃はテザリング機能のあるスマホをもってませんでしたから、カードサイズのWifiホットスポットを契約し、持ち歩いてました。

 

で、そこからiPadでコンテンツをあれこれ消費するパターンが始まったのですが、ここで思いがけないことが起きました。

 

娘がiPadを離してくれない。

 

指で触っていろいろなことができる。ゲームとInteractiveな絵本とかが中心でしたが、本当に気に入ってしまい、結果私がアメリ使えなくなってしまったのです。

 

で、同じ年のクリスマスに、Bobのお姉さん(私と決して気が合うわけではないのですが、非常に責任感が強く、Bobの家族の家長的存在。)に半分出してもらって娘専用のiPadを買いました。

 

一番容量が少ないやつでしたが、まだ高かった。それでも後悔しないほど価値があった。

 

さて、娘をそのころ通わされていた特殊な学校で、金額のわりにあまり大したことをしてくれなかったのですが、たった一つだけとても幸運なことがありました。

 

振り返って見れば、そのことのためだけにでもあのバカ高い授業料を払った価値はあった。

 

娘が、スピーチセラピストの一人にとてもよく反応するようになったのです。

 

私たちは、娘がまだこの学校にいるうちに、いろいろなところに再検査をお願いしました。

 

あの学校では、このスピーチセラピスト以外は、娘の知能も遅れているとみなしていた人がほとんどでした。

 

何しろ、ほとんどしゃべらなかったので。

 

でも、結果二人の非常にタイプの違うお医者さんから、娘の場合サポートを受けながら普通の学校に戻したほうがいいと推薦されたのです。

 

一方、このスピーチセラピストの方には、週一回こちらでお願いして娘とのかかわりを続けてもらうことにしました。

 

このスピーチセラピストには、学校側のIEPチームとも話してもらったりして、娘の状況を事細かにアップデートしてもらいました。

 

そうか、こうやって振り返ると私とBobはずいぶんと頑張ったんだ。

 

ともあれ、このスピーチセラピストも、娘とiPad、いや発達障害児(主に、ASD)とiPad、の相性の良さに注目してました。

 

これは、割と知られていないことですが、初代iPadで、一番売上高の高かったアプリは、

Autism用の、Communication Tool アプリなのです。

 

まるで、iPadの完成によって自分の役割が終わったかのように、Steve Jobbsがなくなったのは、2011年10月5日。

 

さて、その直後に彼の死に関連して、(アメリカのTV番組のなかで、たぶん最も尊敬されかつ長続きしている、CBSネットワークの看板ニュースショウ)、60Minutesで特集があったのです。

 

その特集は、Steve Jobbsのお決まりのプロファイルではなく、iPadように開発された一つのアプリがどれほど多くの人の人生を変えたかというレポートでした。

 

こちらが、放映されたレポートの映像。

 

 

私の娘は、個人でこのバカ高いアプリを買わずに済ませることができましたが、スピーチセラピストはこのアプリを自分用のiPadに入れてました。

 

このレポートには、’Apps for Autism’によって、完全に閉ざされた世界から解き放たれて、ほかの人間とコミュニケートが可能になった、重度の発達障害児の様子も紹介されています。

 

こういう子供たちは、それまでかつての娘と同様知能の発達も遅れているとみなされていたのです。

 

私はこのVideoを見ると涙が出てきます。

 

Jobbsが亡くなって、すぐの週末近くのモールのApple Storeの外観の写真を撮りました。それがこの記事のサムネイルです。

 

娘はこれを見て何とても感銘を受けたらしく、(娘にはSteveは、iPadを作った人と教えました。)こんな絵をかいてくれたので、いまも簡単な額に入れて取ってあります。

 

(実は、当時はこの絵の周りに、娘はさらに紙の花を作ってお供えしてました。彼女は言語による表現にいまだ苦労している反面、それ以外ではのびのびと自己表現する傾向があります。)

 

 

あれから、またずいぶん経ちました。

 

 

昨晩娘は、Javaで、スマホのアプリらしきものCodingを、クラウド上の宿題サイトでせっせとやってましたっけ。

 

 

私は、少しずつですが、Apple Watchそして音声入力に慣れてきています。

 

お休みに、家のWifiをアップグレードしたので、そのあといろいろなものの初期設定をやり直し、Alexaもまた普通に使えるようになりました。

 

娘は、スマホを片時も離さず、(ということは、かなり重い充電バッテリーも持ち歩くことが多い。)移動中や、歩いているときはたいていPokemon Goをチェック。

後、最近知り合った同じPolyの下級生と、最近はときどきTextすることを覚えました。そうそう口頭で、うまくコミュニケートできなくても、娘にとってTextはもう少し気楽な言葉を使った自己表現です。

 

あ、私はさっさとFoursquareを設定しないといけません。

 

時々、脈拍をチェックするのにも慣れました。

 

もちろん、睡眠の内容も。

 

そういえば、アメリカの場合、余裕のあるシニアが今一番Apple Watchに飛びついているのです。週日の昼間にたまたまMeetingの後なぞにApple Storeを除くと、本当にシニアが多い。

 

発達障害でも、老化にともなういろいろな問題でも、テクノロジーは、拡張現実として、私たちに有益な情報、そしてその操作を供給し続けます。

 

ふと思うのですが、iPad、iPhone、Apple Watchと並べてみると、むしろiPadとApple Watchのほうが本質的なモバイルデバイスだという気がします。

 

そして、モバイルデバイスの登場によってこそ、私たちは、拡張現実、ARの恩恵をうけ始めたといえます。

 

だから私は、いわば’草薙素子’を目指してテクノロジーに適応し続けるのです。

 

それこそ死ぬ日まで。

 

 

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