今朝は、頭の中で二つの記事が結びついた。これってそもそもこのカテゴリー名のテーマともすごく関連してる。

 

一つは、もはや東洋経済オンライン以上に、玉石混合のPresident Onlineのこの記事、

 

「子育て負担」から逃れてきた50代男性の落ち目「スキルとやる気」で女性に大負け

 

タイトルと違い、内容は子育てを終えた、50歳女性の強みが中心で、非常に力づけられる記事ですね。

 

もう一つはこちら、日経ビジネスの、ほぼ紅一点として頑張っている河合薫さんの記事。(いまだ紅一点は情けないけど、それでも彼女がいることで、男だけだと見落とす記事が登場するのは価値がある。)

 

複雑化する「老老介護」と90歳認知症医師の孤独

 

とにかく、今後超高齢化社会が進行するのは明らかで、それに伴ってすでに大きな重荷である介護問題が悪化するのも本当に目に見えている。

 

まずは、ふたつめの記事を読んで一番印象的だったのは、90歳の認知症を発症し始めた、そもそも認知症の研究をしていた医師のエピソード。(これはTVドキュメンタリーとして放映された。)

 

かれは、ある日妻の負担を軽減すべく、そもそも自分がデザインしたグループホームに試験的に2泊3日で参加することにした。

 

自分がデザインしたのに、いざ参加してみると、

 

一日で逃げ出している

 

’カメラに映し出される長谷川先生のまなざしは、悲しくて、つまらなくて、さみしそうで。みんなで歌ったり、輪投げをしたりするときの表情は気の毒なほどだった。’

 

とある。そしてこの医師は、一日で逃げ出した後すぐ、自分の書斎へ駆け込んだのだと。

 

でしょう、でしょうよ。私はとにかく、

 

老人ホームだけには行きたくない。

 

老人ホームって、なんでみんなあんなに

 

保育所みたいなヒエラルキーと、内容なんですか?

 

老化によって、どんどんいろいろな身体能力は衰えてくる。

 

目はしょぼつくし、
耳は遠くなるし、
声は低くなるし
内臓器官が、全体として弱ってくるし
筋肉も硬くなり、弱ってくる

 

でも、だから年寄りらしくふるまうかといえば、もちろんそんな気はない。

 

この後、娘がこうこうを卒業したら、私は日本とアメリカの滞在時間を半々にする予定。

 

さらに、娘が大学を卒業したら、基本日本に戻る。アメリカで死ぬのは嫌だと、東日本大震災の後思い知ったから。

 

日本では、妹の会社の相談役としての役割はどんどんむしろ増えていく。

 

2015年に、母が逝って日本に定期的に訪れるようになり、これまでは役割としては監査役というタイトルで妹の相談にのったり、会社で研修会をやったりしてきた。

 

で、今回妹のほうから、もう一段階進めて副社長になるように言われ、それはやはりとても嬉しかった。

 

でも、娘が大学を卒業するころにはもう、アラシスではなく、Around 70’sなんだよね。

 

私には私なりに、理想のシニアのライフスタイル、死に方がある。

 

なんだ、かんだといってっも彼女を超える女性デザイナーはまだでてきていない、あの

 

Coco Chanelなんです。

 

彼女のシニア時代はすごいです。まあ、21世紀になって情報公開されてから、彼女とナチの将校との関係は、単なる恋愛関係だけじゃなくかなりシリアスな諜報活動を行ってきたということが明らかになり騒ぎになってますが。

まあ、この活動の一つは、英国につながりをつけて平和交渉をしようとしていたという話なのですべてが真っ黒というのとは違いますが。

 

それにしても彼女、生まれが1883年ですから、第二次大戦中って、50代ですよね。国に敵対してまでの熱い恋をするなんてやはりさすがと私なぞは思ってしまうのです。

 

そして、この戦時中の活動のせいで、戦後しばらくはスイスで亡命生活を送ってましたが、一番大事なポイントは、なんと

 

1954年、70歳でカムバック

 

あのころは、Diorとかを中心に、パリコレがやたら’何々ルック’を発表して、それを世界中が追いかけるという状況だったので、相変わらずのシャネルスタイルは当初酷評されました。

 

でも、アメリカはシャネルに飛びついたのですね。

 

たぶん、アメリカが憧れる分かりやすいシックさは、むしろChanelのほうにあったのでしょう。

 

このChanelは、晩年かなり怖い感じだったらしいですが、でも、男だったら暴君のイノベーターなんて、多いですよね。例のSteve Jobbsだってずいぶんひどかったそうだし。

 

ともあれ彼女は87歳で、ここが重要なのですが

 

日曜日に亡くなっている。

 

あと、シャネルは誕生日を何年かサバ読んでいるという説もあって、すでに90歳だったという人もいます。ともあれ、週日は、次のコレクションのために相変わらず仕事をしていたそうで、そのあと土曜日にはなんとドライブにいって、その帰り少し体の具合が悪いとこぼしていた、その直後だそうです。

 

日曜日の朝、起きてこないのを心配したHotelの係員が冷たくなっていた彼女を発見した。(彼女は、死ぬまでの30年間をRitz Hotelで過ごしていた。)

 

以前から、私が死ぬのは絶対日曜日だからと言っていたそうです。

 

すごい、私のこんな風に死にたい。ホテルは高そうだから、週末と週一回に通いのメイドさんを雇えるよう頑張ろう。

 

絶対、老人学級とか拒否します。

 

あともう一人、よく思い浮かべるロールモデルは、もはや世界の

 

草間彌生様

 

1929年生まれで、去年90歳の誕生日を迎えてますが、2016年に文化勲章を取った時のお写真がこちら、

 

 

奇しくも87歳。私も70過ぎたら、とにかく今よりもっと派手になろう。今は一応Chicなマダム風を人前では目指しているけど。

 

この方も、普通のひとの何人分もの人生を生きてますよね。

 

1970年代に、そのころ一番近しかったPartner(確かGAyの方)を亡くして、日本に帰国後かなり長い間、主に精神病院で暮らしていたといいます。

 

それが1990年代に入ってから、また活発化してるのです。

 

これ、一つには、閉経と、そのあとのTransitionの後、とてもホルモン的には落ち着いたということもあるのではないかと私は思います。

 

娘も、生理だけは嫌だといつもこぼします。

 

女に生まれてきて、一番良かったのはやはり娘を妊娠できたとき。まあその付けが焼く40年超にわたる、生理とのお付き合いだったせいですが。

 

ともあれ、そのあともたまにYoutubeなので、比較的最近の彼女のドキュメンタリー見てますが、

 

つくづく精力的に仕事してますね。

 

私は、昔々祖母が毎週買っていた週刊新潮を、こそこそ読んでいたので(黒い報告書とか、大好きでしたね。)草間さんの、NYCでもハップニングとかの写真をすごくよく覚えてます。ただひたすらすごいと思ったっけ。

 

物書きでは、この方も長寿ですよね。おもしろいことにこの方もほかの長寿の物書き女性の先達のお話をかなり書いてます。(それがつい好きで、結構昔の作品は読んでます。)

 

瀬戸内寂聴さん、彼女は97歳!!

 

でも、一番感心するのは、大小説家でありながら、2008年からは、Netでの活動も始めてますね。

 

この、瀬戸内寂聴さんが、うらやましがるフランス作家(彼女は早死??で81歳)マルグリット・デュラスがなんといってもすごいのは、38歳年下の当時大学生だった青年と、そのあと16年にわたって付き合っているのです。

 

この男性ヤンアンドレアは、Gayだったそうですがそれはほとんど関係ないでしょう。

 

私だって、30ぐらい年下の頭のすごくいいひとと恋愛まだしてみたいけど、さすがに肉体関係には興味ない。

 

ともあれ、こういうのは一言でいえば、

 

たぶん、生命力のレベルなんでしょうね。

 

そういえば、少し前にこの本についても書きました。これはもうこれからのシニアにとっての必読書です。

 

 

国際線ヨーロッパ便のFirst classという舞台にさすがにちょっと引けますが、それでも私にとっては元気が出る作品でした。

 

実際に肉体関係を結ぶところまで突っ込んで描かれているのがとても潔かったです。

 

なんだか、ずいぶんと飛びましたが、

 

女性は50歳からですよ

 

大体、私娘を生んだの、40代で彼女はいまだに高校生。私の人生も長くなりそう。だから認知症の心配する代わりに、いつも明日の心配をしてますね。

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