お金2.oは、まあまあ面白かったので、妹の会社に作った読書コーナー用のつもりで’未来に先回りする思考法’佐藤航陽を買っとくはずだったのですが、
間違えてKindle本を押してしまいました。仕方なくすぐ読んで、なんというかすでに自分の中で整理できていることが90%ぐらいだったので、2時間もかからずに読み終わり。
10%は、自分以外の人間に説明する場合のうまいとっかかりと、アメリカの4大IT企業のものの基本的Attitudeぐらいかな。
ちなみに、この4大起業、Amazon, Apple, Facebook, Googleに関しては、すでに The Fourなんで本も出てます。(翻訳はまだですが、紹介記事はこちら、ところで、この4は新約聖書の最後尾にでてくる、もっともオカルトチックでわけがわからないとされている黙示録ーRevelationにとうじょうするFour Horsemen Of Apocalypseのことです。)
ともかく、私が、拡張自己を身近なものとして最初にとらえたのは、映画’Minority Report’ でもなく、Pokemon Goでもなく、攻殻機動隊劇場版アニメ’イノセンス’ (2004年公開)がきっかけです。
このアニメの初頭、草薙素子が失踪してから3年という設定のもと、トグサとバトーのかなり長い会話があるのですが、この会話もう、死ぬほど知識過剰で、本を読んでいるような不自然さが大部分を占めるわけです。
で、何なんだこれと首を傾げていたのですが、と、そこで瞠目!!
あ、実際、読んでるんだわたしがサーチしてWikiとか読んでるように!!
確かにPCのまえで、私はGoogle Search をかけては一昔前の図書館とくらべると、スピードも規模も比べ物にならないレベルで自分が探している情報に到達できる。
さらにスマホの登場によってPCは手のひらサイズになってしまった。
もちろん、アニメに登場するテクノロジーはDirectなJack INだったりするので、また一つぬけてますが、拡張する自己をはっきりと現実のものとした点で、スマホほど、実は未来を先取りするテクノロジーはなかったと思う。
で、さらに私は考えてみました。今のところ拡張自分って、5つぐらいに分類できるのではないかと。
一番目は、集合知としてのNetは私の延長 (Google)
これは決して私だけのものではないけど、いまや誰もがあくせすできますから、やはり私の延長としてとらえることが出来ます。ただ、これとOpen sourceとか考えてみると、なんか私たちの知恵はだんだん共有化され融合化していくのが自然なのかもしれない気がしてきます。
これをExtraporateすると、基本教育の無償かが進んで当然でしょうということになってくる。
何らかの権威によるおすみつきさえきにしなければ、もはや無料で学べることは膨大な量と質に到達してます。
話はちょっとずれますが、ここで英語力というものがものすごく格差を生み出しかねない。無償の一流教授の講義Videoなんてものは圧倒的にアメリカ初がおおいですから。
2番目は、クラウド化されている個人のPCという私の外部記憶
そもそも、AppleがPersonal Computerを売り出した時点がまあ一種の拡張自分元年だったという気がします。
もちろん、WifiとNetがいまのレベルに到達するまでは、PCが自分の外部記憶とはいえても、拡張自己といえるほど使い勝手が良いものではありませんでした。
そのいみで、やはりEvernoteの功績は大きい。
ところで、Evernoteをいまだにツリー構造のママのみで使っているひとは、結局自分の脳がツリー構造ではないということを認識していない。
Wetwareであるところの、人間の脳のNetworkは厳密にいうとむしろリゾーム構造。一部ツリー構造から発達したところがあっても、ツリー構造の整然とした階層は、横断するコネクションによって、どんどん複雑化していく。
Evernoteを例に挙げれば、最初はNotebookそしてNoteというふうに、きれいに始めたものを、とにかくどんどんTagをふやすことによって、その構造に収まらない関係性をたしていくのですから。
だからこそ、自分であらかじめ予想していなかったクロスレファレンスを発見することもできたりするわけです。
3番目は SNSに蓄積されていく私 (Facebook)
これは、人とかかわる自分という情報が蓄積していきます。古いネット型の匿名のメッセージボードと違って、SNSは私に’本当の私’私をネットで代表しかねない実体を作り上げることを、いわば無意識のうちに強制しているわけです。
これを怖いととるか、面白いと取るか、さらに未来のための自分のハブととるかはあなた次第。
SNSが面白くかつ恐ろしいのは、自分以外の他人の評価にさらされている。
’評価’という新しいCurrencyは、それこそ私にとって命取りになることもあるけど、やはりこれからは、まめにこのCurrencyを貯めていくしかないでしょう。
だから’評価経済’といわれるわけで。
私がこの言葉を最初に効いたのはやはりオタクコンテンツがらみ、オタキングこと岡田斗司夫さんの同名の書物より。2011年出版だからずいぶんはやかったです。
ちなみに、シェアエコノミーの定番本’Share’ by レイチェル・ボッツマン & ルー ロジャースが出たのがその一年前、で初代のiPhoneが出たのが2007年。ただアメリカの場合iPhoneが爆発的にのびたのは2011年にキャリヤーの縛りが取れたとき。
この2011年前後っていやゆるTipping Pointな気がします。
4番目は E-commerce Siteが蓄積するBig Dataとしての私 (Amazon)
そして、Amazonを代表とする、私のまだ気が付いていない私をどうにかしてよそうしようとしているのが、BigDataとして蓄積された私です。
ただ、これは過去の私がすべてだし、まだほかのアメリカ人ほど正直個人的にはアマゾンに依存してません。
ただし少なくともアメリカではこのトレンド進む一方です。
たとえば、アメリカで一年で最高の売上高を誇る日は、クリスマス商戦の幕開け、感謝差の翌日のBlack Fridayでした。おととしまでは。でも、去年E-CommerceのPeakその直後のCyber Monday がついにBlack Friday の売り上げを抜きましかから。
さらに大きなトレンドは、いままでE-Commerceの対象外だった生鮮食料品などの宅配。Amazonが高級かつHealth志向でうる食料品スーパーWholefoodを買収したことで、このトレンドはさらに進みました。
5番目は Mobile DeviceでLogとして蓄積される私 (Apple を筆頭に)
さて、最後はスマホを手にした私たちが、思いがけなく日常的にやり始めたある行動パターン。
Life Logです。それはもうアプリの数だけありそう。
まずは、LifeHackのための、自分の行動のTracking
身体関係も多い。エクササイズの量、睡眠、様々なBiometric
EventだってLogにのこせる
これだけで一つのマーケットになっているDiet 関連、単純に痩せたいから、各種食事療法関連まで、
もちろん、お金関係も全部
さらに、Mindfulness ブームもあって、自分のEmotionの記録なんてこともある。
これらは自分のために記録し、その日その日のデータだけでは、たとえ何の意味もなさなくとも、蓄積することによって自分が意識していなかった自分のパターンを知識として獲得でき、さらにそれを使って自分を教育、あるいは訓練することが可能になる。
たぶん、まだ生まれてきたのが少し早すぎたけど、私は本当に草薙素子になりたかった。それは脆弱な人間の肉体を義体、あるいはサイボーグとして強化することだけではなく、もっと全人的な自分の拡張。
私の体はあと数十年で朽ちるけど、私の拡張自己は、たとえばクラウドの記憶として蓄積されるのなら、それは私の一部がNetの一部として生き続けるということなのだろうか。