さてアメリカにつき、学部の一年生から始めた私は、正直しばらくの間は一人ぼっちで娯楽も限られた極限状態が続きました。
私の場合アメリカ本来の新学期である9月からではなく、冬学期の一月から始めたこと、さらに高校新卒ではなく日本でフリーとして働いた後でしたので、アメリカではNon-Traditonal Studentというくくり方をされ、仲間らしきものもできませんでした。
正直ひたすらがり勉してましたよ。もう、ほかによりどころなかったし。
最初の夏休みが来て、両親とNew York 旅行などに連れて行ってもらい、そこでほぼ半年ぶりに、紀伊国屋 New York 支店で日本語本の爆買いをしましたっけ。もちろん漫画も。でも、雑誌を定期購読するのはあきらめてましたから一気に情報度が落ちたと思います。
この後大学院に進み、卒業するころになってやっとWebというものを初体験しました。
あの頃はNetscape どころかその前身のMosaicという原始的なでも一応GUI版のブラウザーを使ったことを覚えてます。Internet connection はまだダイヤルUpでしたよ。
まあ腐的もしくはヤンデレ的趣味を掻き立てる存在としてMarilyn Mansonを知ったことぐらいで、つくづくばっとしなかった。
あ、今のHusbandの前のEx BoyfriendはかなりBL向きの美形でした。いまFacebookをチェックしたらさすがに中年化してた。
と、ずっと恵まれない腐女子人生をアメリカに来て十年以上送っていたわけですが、それが1999年にすべて変わります。
本当に出会いっておそろしい。
実は子供のころから夢だったお化けの出そうな大きない家がバカみたいな値段で買えるということで、私は後先のこと考えずにBaltimoreに家をかい今のHusbandと移ってきたのですが、
その夏私の腐女子パワーがリセットされます。
1999年の夏から、今ではこの手のアニメをはじめとする主に日本が発信地であるサブカルの祭典としては、東海岸最大の規模に成長したOtakonが、Baltmore Convention Centerで開催されたのです。
Otakon そのものがStartしたのはこれよりさらに数年さかのぼりそもそもペンシルバニア州で生まれたそうです。
でもコンベンションセンターを借りての規模はこれが最初でした。
私実は最初あまり乗り気ではなかったのですね。というのはアニメというのは少女漫画中心の私にとっては幾分ダサいと下に見ていた男のオタクたちが夢中になるものと正直決めつけてましたから。
でも、最初の年に見たカードキャプターさくらと漫画原作のアニメ化版の封神演義を見て、完全にはまりました。
ちなみに私は封神演義の原作をもちろん日本語訳ですが読んでます。これ余談ですが死ぬほど面白いですよ。
Otakonには結局1999年から2016年まで毎年通いました。
2003年からは娘ずれで。娘はゼロ歳からのOtakon育ちなのですね。もっとも彼女の場合ゲームが興味のすべてですが。あいにくBaltimore Convention Center が改装のため閉まってしまったので今年からOtakonはWashinton DCに移ってしまいました。
まあ、私は2015年から日本に毎年何度か帰ることになったので、もはやOtakonの必要度はかなり低くなってしまいましたが。
でも、Otakonゆえに私の腐女子というか女オタクライフはアメリカで花開いたのです。Otakon様様でした、
というわけで次回は私のOtakon 時代について、そしてアメリカの女オタクたちについて私が観察したことをぶちゃけます。