私は今言うところの、腐女子第一世代だと思います。
70年代の後半から、アメリカで人生の新ステージを開始した1984年の暮れまで、私が一番少女漫画を中心とする世界に浸り、そのころの数人の親友ととっかえひっかえ5時間越えはざらという長電話で延々と作品論をやってましたから。
そのころはBLという言葉もなく、ただ風と樹の詩が注目を浴びて、どうやら結構年増の女どもが訳の分からないものに耽溺しているらしいという情報は拡散していったのでしょう。
あ、それと思いがけなく早死にしてしまった栗本薫さんの大きなあとおしもあって、1978年に本邦初のBL雑誌JUNEが創刊され、さらにその二年あとにAlanも創刊されましたっけ。
私は実は両方の編集者に面識がありましたが、彼らは対照的でした。JUNEは基本女子向けのエロを格調高くやってお金儲けしたいという人たちで、そのころおもにPopteenやらGalsLifeのライター兼スタイリストをしていた私は、鼻であしらわれました。
逆にAlanの編集長は微妙なGay好きで、実は女、特にキャリアガール嫌い。
別にもっと軽くてマイナーなのりの私でしたが、こちらの方にもなぜかある意味全く逆の理由で何も仕事をもらえませんでした。その代りにここの助手をしていた、顔だけは美少年風の年下と少し付き合いましたが。
あと、私の場合、あのころ少女漫画の評論をパフという雑誌に一緒に書いたことがきっかけでGayの作家H.O.ともよく長電話して、彼の少女漫画評論の原稿化進以前のあれこれを聞かせてもらいましたっけ。
その加減もあって実はH.O.ファンクラブという訳の分からないところで、エロ抜きのイメクラみたいなことを自分のスタイリストとしての能力を使ってやってました。
あーそうそう、Galslifeではかなり過激なグラビアものもやりました。自分の企画もあれば、仲の良かった副編集長の漠然としたアイデアを絵にしていくこともありました。私が出した企画で’ユリ族の世界’なんてのがあり、これはしっかり青年誌に注目されました。
副編さんの企画で一番反響が大きかったのは、´中退記念写真’。確かにすごくインパクトのある写真が撮れたのですが、一人の女の子は泣いてました。別に嫌だっとかいうわけではなくて、借りてきたセーラ服を着てもらってカメラの前に立ってもらったら、感極まったみたいです。
でもね、私はショックでした。
この仕事続けるのは無理だと思いました。実はこの副編さんは、今では大作家のH.Mさんを最初に見出し売り出したひとです。彼に、次は君の売り方考えないとといわれたとき、それはいやだ逃げようと思いました。
それがいまではとりあえず換金化の仕組みなど無視して文章をかきはじめたのですから、やはり書くのは好きなのでしょう。
ただ、私の友人はBL同人誌とかやっている人もいましたし、一人は見事別冊小説JUNEに作品が掲載されました。
一方で私は小説は読むほうが好きであまり物語を書きたいという欲望がありませんでした。いわゆる純文学ぽいものは書いてみたいのですがね。でも読者がいるとは思えん、
実はあのころ高橋たか子がすごく好きで、(なぜか浅田彰がすごく嫌っていたけど、これもギャルズライフのコネで無理やりインタビューさせてもらいました。浅田さんあのころはかわいかったなあ。)
彼女の作品は女子高体質の妄想がそのまま洗練されたような感じが好きでした。高橋たか子嫌いって男性結構多いのよね。これ絶対BL退くという男性と同じ反応です。
で、個人的には彼女も年下の美少年、BL,そしてユリとかいう要素がでてくるので、私にとっては森茉莉とならんで、BL的お耽美に萌えることのできる数少ない世界作品でした。
BL擁護者である、栗本薫さんもいろいろ書いてて一応いくつか読んだけど、決定的に豪奢がにおわないのよねこの方の作品は。
なんかそこらのイケメン俳優が無理しているイメージになってしまって。あ、そうだ、彼女は熱狂的なジュリー(しってますもとタイガースの)ファンだったからそのイメージで限定されていたのですよね。
そのてん日本も世紀末になるとVisual系とかよかった。Gakktはいまでこそ厚化粧のおばさんぽくなってますが(それにくらべるとYoshikiはすごいね。私彼がBaltimore に来た時、しっかり握手してもらったのです。すごいラッキー。)マリスミゼルのころは、本当に人間離れしていたし、あの頃のHydeもすごくきれいでした。
アメリカに来て、日本の漫画を買う機会は年に一回か二回New Yorkの紀伊国屋にいったときぐらいで、さらにさすが大学院時代は勉強に時間をとられ、腐女子好みのInputは激減。
ただ、私としてはMartyn Mansonが実はつなぎだったのですね。私は基本SMとか化粧男子、Fetish大好きですから。
Baltimoreに移ったのが1999年春、そしてその夏にOtakonに出会ったのでした。と、長くなるのので続くは次回に。