昨日家族と久しぶりにSunday Brunchにでかけたのですが、ふと思ったのです。
このブログはGameについて、そしてGame的世界観について、Gameというフレームを使ってメタレベルの視点から世界をとらえなおすことが、私のすでに生きてきた人生の中でどんな役割を果たしてきたか。それを書き留めることが最大のフレームワークになってます。
でも、究極の無理ゲーである人生のステージに気を取られ過ぎて、Gameそのものの、現実を目の前で書き換えてしまう効力について忘れてました。
私は、ゲーマーと自分を呼べるほど、プレイしてきたわけでもないし、やってきたゲームも偏っています。
それでも、人生ゲームの時々にそれなりにはまったゲームがあり、それぞれ違った恩恵を受けていたことを、今思い返すとはっきり思い出せるのです。
一番最初にはまったゲームは、全くの行きがかりで出会った、日本に最初に入ってきた第一世代のPC版RPG, Wizardryです。日本をたった1984年夏の初めから、出発直前の12月までプレイし続けました。
アップルIIeの互換機を、安いTVに繋げてもらい、ひととおり説明してもらった後、毎夜毎夜ひとりでやり続けました。
私は、そのころTVゲームといっていたアクション型のゲームにはなじめず、はまりもしませんでした。
スペースインベーダーとか、パックマンとか、知り合いがテーブル式のマシンに座り込んで熱中しているのを横で見ていただけ。
娘を持つことになってだいぶ改善しましたが、私は極度の緊張型で、しかも他人がいる場所でこういうワンコインで競うものを楽しむなんてことはできなかったのです。
RPGの場合、最近の瞬時のアクションを要求されるものでない限り、(そういうゲームでも、画面切り替えとかで息継ぎができる。これに気が付いてからZeldaの戦闘がらみで死ぬことがずいぶん減りました。)例えばモンスターへの対応はゲーム時間であり、リアル時間にはない’考える隙間時間が与えられています’。
そしてもちろん、一人で黙々とやるのはやはりリラックスできた。
もう、根暗設定で決まりという感じですが、下手なうちは今だって一人でプレイするのが一番です。
私がプレイしたWizardryは、そのころまだ日本語に翻訳されておらず英語のまま(多分今思うと海賊版だったと思います)。
グラフィックはといえば、もう信じられないぐらい原始的でしたが、今ゼルダ ブレスオブザワイルドをやっているのと同じぐらい、ある意味それ以上興奮しました。
地図もありませんから、方眼紙に一つひとつ書いていきます。
隠しドアとか落とし穴とかありますからそれも忘れず。
基本ひとマス分しか表示されませんので、モンスターはいつも突然現れます。
逃げるときも大変ですよ。とにかく迷いやすいから。
さらに、Wizardryのダンジョンの場合、古典的な階層型の地下ダンジョンなので、Gameが進めば進むほど、逃げるのが結構大変になってきます。
基本ダンジョンをでるまでは、いつ敵があらわれるかわかりませんから。
思い出してみると、同じ年の春先に付き合っていた年下のBFに、よく考えてみるとどうでもいいことで一方的に振られ、(結構小柄で、童顔、ちょっとジャニーズ系が入っていた大学院生でした。)落ち込んでもいたはずなのですが、Wizardryをやっていた時はすべて忘れました。
こうやって振り返るとはっきりと見えてくるのですが、たった一人で、限られたグラフィック以外はすべて断片的な英語情報だけが頼りの世界だったわけですから。
これ完全にこれから突き進んでいく英語ベースの世界の先行体験だったわけです。
恋愛関係がらみで情緒不安定になり、感情をすりへらし、取り返しのつかない焦燥感と何度も対自してきましたが、Restart可能なゲームのなんと対照的な救い。
そういえば数年前にアニメ化された’RE:ゼロから始める異世界新生活’という話の主人公の場合、たった一つの特殊能力というのが、まるでゲームのように異世界での自分の人生をリスタートできることでした。
それ以外には、この異世界に放り出されてから身に着けたマイナーなスペルだけで、まあいろいろほかはお決まりの異世界漂流もの内容が多いのですが。それでもこのお話は異彩を放ちました。
この物語のリスタート能力はつまりは主人公が死ぬことでしか発動されず、それはさらに多くの場合死に至るまでの肉体的苦痛と一緒です。さらに主人公が死ぬような状況とは、本人の肉体的痛みに限らず、友人や愛する者に降りかかった厄災、そしてそれを目撃ししかも止めることのできなかった悔恨をも伴うものです。
そこまでしても、リスタートしてやり直せたらと思うのが人の願いであり、私だって何度そう思ったことか。
私は、日本でのWizardryのPlayをあとにして、1984年12月、アメリカに向けて立ちました。
人生最大のリセットを敢行したのです。
ところで、やっと進化が螺旋形である理由が分かりました。なん度も人生のステージをリセットしているから、当然やり直しつつ以前とは違った結果にたどり着くことを目指しているのですから。