さあ、次のGameを ロードしましょ

人生100年時代

ああ、これからまだ生き続ける時間はもう今まで生きてきた時間よりずっと短いんだ。そう改めて気が付いたのは、やはり2年前の母の死がきっかけでした。

 

父が、1994年に思いがけなく逝ってしまった時、もう私を無条件に守ってくれる存在は無くなったのだと思い知ったわけですが、

でもあの時は年老いたというより、子供という人格の破片を残り一つ手放さなくてはならない。そんな寂しさと心細さがつのるぐらいで、今思い返すとまだ、若さという都合のいい心持にしがみついていたのでしょう。

年老いることも、年老いることへの怖さも、アメリカでのみ可能な超高年齢で実の娘を得た後、呆れるぐらい忘れ果てていました。

自分より二回りは若い母親やら、娘の学校の先生やら、カウンセラーやらと、とにかくつきあっていかなくてはならない。

娘には発達障害があり、その対応策にはっきりとした未来の可能性が描けるようになったのは、紆余曲折の後、娘が、人並みに小学校に入学したころでした。

その次にやってきたのは、娘にかかりっきりになっていた間に悪化していた、経済状態をはじめとする、娘以外のほったらかしにしてしまった家庭と家族を維持していくためのすべてのつけ。

私が中心になってやるしかありませんでした。年老いたというより、たぶんこれで初めて私が大人らしく、自分にとって大切な他人を守るために生き始めたのだと思う。

 

 

そして、母の葬儀に追われた2年前の日本滞在中、ほぼ十年ぶりに一人になって、突然疲労感が私のすぐ後ろに迫っていたことに気づき、足が竦んだのです。

 

死が恐ろしいというより母の人生の虚しさにばかり当初圧倒され、しばらくは月並みな人生の無意味さなどという当たり前な設定に見事に飲み込まれましした。

 

そう、まさしくGame Overという自己認識。

 

通夜からもどり、眠れず、翌日の告別式という義務にもすでにうんざりしていたNegative Stageは、が、1枚の写真でいとも簡単にひっくり返されたのです。

 

たった一つのKey ItemがGameのStageを絶体絶命から、勝利へと切り替えるように、

 

眠れないまま、父の死後に取ったらしい母の写真のなかに、どうやら知り合いの美容師のモデルになって、何かのコンテストに参加していたらしきものを見つけました。母はとても誇らしげで、若くて、美しかった。

 

その時すでに、母は60代も後半に差し掛かっていたと思う。

 

以降、妹がやっとの思いで義弟から取り戻した父の作り上げたビジネスにも関わるようになり、アメリカに来て以来31年目にして、日本に意味のあるしがらみも生まれました。

今の私は、春に半月、夏は娘を連れてまるまる1か月日本に戻る。それは正直嬉しい。

日本に戻るたびに、私は自分がもう年老いたと形容されるべき年齢に達していることを自覚しますが、それは決して嫌な感じではない。

 

 

Cloudという常に増殖し続ける集合外部記憶によって、

思いはたやすく具現化され、

それは祈りたくなるほどの、

繋がりを派生させていく。

たぶん、これが、

いま、第三次世界大戦前夜のきな臭い世界の真っただ中で、

生き残るための、

Key Item

 

さっそく、次のGameをロードしましょ。

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