結局、iPadにはiPadなりの、iPhoneにはiPhoneなりの使い方があって、(そして最近はApple Watchも増えましたが、)少なくとも私にとっては、常にNetにつながっていることを前提としたデスクトップパソコンをそう簡単に置き換えられるものではないです。

 

さらに、本の数か月前に新調したばかりのデスクトップは、今までより一回り画面が大きく、あと、今更と思うかもしれませんが、KeyboardもMouseもWireless.

 

色々と使い勝手いいです。いつの間にかグラフィックはずいぶん綺麗になってるし。

 

私のパソコンは、HPのAll-IN-ONE型。Apple なんかに比べるとずいぶん安い。といっても同じ価格帯でレビューの良いものを選びはしましたが。アメリカの場合、廉価版(私のは7万5千円ぐらい)のAll-IN-Oneタイプは、HPがわりと好評。

 

ともかく、朝起きてから、夜電源を落とすまで、書斎化オフィスにいる限り、そして時にはノマド状態でも、私の日常はNetにつながっていることをすでに前提にしている。

 

あと、iPad買い換える必要があるかもしれません。まあ、買ってもう4年を過ぎましたし、Apple pencilは使えるものと、カバー型のApple Keyboardがもはやつながらない。もちろんApple Storeに行けば直るかもしれないけど。

 

あ、ここで何を言いたいかというと、長々とした文章を書くのは、

 

デスクトップで、Keyboardを打つのが一番

 

さらにこれがブログとなると、私の場合、内容によっては、いろいろなリンクを貼ったり、写真やイメージを挿入したりとあれこれやることがある。

 

こういうのは、iPadだと、至極面倒です。まあ、やればできるのですがついそういうスキルを今のところ身に着けようとしていないといのも事実です。

 

ただ、結局、長い文章を書く場合、私は

 

Blind TouchのKeyboardが一番しっくりきます。

 

私の場合、Financial Plannerの仕事は、100%英語ですので、もう30年以上、英語でBlind Touchする癖がついてます。

 

ですから、評判のわるい、Window や、Googleの IME入力も、それほど苦にはなりません。最近は、漢字の変換率が向上もしているし。

 

これが、Apple Watchを買ったこともあり、最近iPhoneの入力は、ほぼ音声入力に移行してます。

 

でも、個人的な長い文章を書くときやはり、何度も試した結果、

 

音声入力で、文学的なModeに入れない

 

という結論に達しました。

 

で、今回改めて、

 

Outputに、Net接続のパソコンが欠かせない

 

と身に染みたのです。

 

純粋なInputなら、確かにiPadは一番使い出がいい。ストリームビデオや、漫画なんてもうこれなしには読めない。

 

ただ同じInputというか、Blogなんかを書きながらの、リサーチというには大げさすぎるけど、簡単な資料情報を探す時は、やはりデスクトップでいくつもタブを開きながらの作業が一番さくさく進む。

 

こういう、複合Outputに関する限り、やはり

 

Net接続、大画面デスクトップに勝るものはまだない

 

そしてこれは正直なところ、日本語で文章を書く場合には、たぶん早々譲れない気がする。

 

例えば、勝間和代さんでも、ほかの情報やLifehack系のブロガーでも、ああいう人たちが文章を書く場合、いかにうまく情報を伝えるかということが先に来る。

 

だから、表現はフラットなほうがいいし、表示も標準が適している。

 

でも、もし書き手がほんの少しでも字ずらにこだわってしまうと、もうそうはいかない。

 

つまり、音声入力では、例えばしっくりくるような表記を探すなんてことはかえってやりにくい。

 

さらに、言葉が自分の中から生まれるほんの一瞬前は、なにか音のしない影のようなものが少しずつ指先から滲み出してくるような感覚がある。

 

そうなんです。いまさら親指シフトはいらない。

 

私にとって、英語まじりのKeyboardを打つ行為は、いわば文学脳と接続しているのだから。

 

というわけで、今回、Input以上に、自分にすでに染みついたOutputができずとても嫌な気分になったので、逆に、

 

書きたいものがブログ以外にもあることに気づきました。

 

実は今日の午後、またつい少し昼寝をした際に、Kindleunlimitedに入っていたので、あのベストセラーメイカー、幻冬舎社長、見城徹の本を読んでみた。

 

 

まあ、この本、どうやら’たった一人の熱狂’という本の焼き直しみたいなもので、あまり評判が良くないらしいのですが、いろいろの有名作家とにバブル時代の交友録として読むと面白い部分はある。

 

逆に言うと、学ぶものは本当にない。

 

教養のレベルが、所詮全共闘世代。

 

まったく、女がわからないおじさんだし、(林真理子と、山田詠美では、あまりに特殊すぎる。)たぶんGayも、テクノロジーもわからないのでしょうし。

 

編集者としては、とても優秀なのだと思う。たとえば岸恵子に小説を書かせてくれたことにはとても感謝してる。

 

でも、この人古い。

 

そういえば、今ふと思った。この本、

 

 

恋の物語というよりは、大人の性愛の物語だったんですね。恋に狂っていたのは男のほうだから。

 

女性が、女性の視点で恋に狂うさまを描いた恋が本当に減ってしまった。

 

最近の少女漫画は、とても理性的だし。

 

まあ、だからBL漫画読んでるわけだし。

 

ともあれ、この見城徹の本で、たった一つだけ心に引っかかったのが、彼が唯一取り上げて恋愛小説が、翻訳ものであったこと。

 

最近飛行機の中で見たビスコンティのSensoのような、’落ちてしまう恋’について、女性の側から書かれたものがない。

 

それも、身も心も焦がすような、少女漫画では取り扱えない恋。

 

なんで延々今こんなことを書いているのかというと、私さっき

 

小説家になろう

 

に、ユーザー登録してきました。私は女の視点からの恋愛小説が書きたい。で、それはこういうサイトで、ひっそりと始めればよいのだと今夜気が付いたから。

 

 

 

 

 

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