はい、また東洋経済オンラインさんの記事からです。

「結婚する派・しない派」のあまりに強烈な分断、正しさという名の下での「分断と対立」の構造

 

この記事、まあ視点は正しいし、いいと思うのですが結果的にかなり極端な’相対論’になってしまっているのが惜しい。

 

’個人の正義はあなたの正義’ それは事実です。’正義’を振りかざしても、’正義’は時代や状況によって変わる’ それも事実です。

 

でも、そこでおしまいにしても仕方ないでしょう。要は、現実と個人の幸せとどうやって折り合いをつけていくかという問題だと思います。

 

結婚そのものが成り立ちにくくなっていく現象は、日本以外の先進国でも同じ様に置きています。

 

ただ、その原因に関していうと、ほかの先進国と共通の原因と、日本固有の原因があると思います。

 

共通の原因は、主に2つ。

経済的格差の拡大と、結婚に対する価値観の崩壊

 

経済的格差の拡大に関しては、とにか欧米のどこの国でも起こっていることです。もともとの中産階級の弱体化が進み、それがいわばかなり排他的なポピュリズムの台頭をも生んでいますので。

 

結婚の価値観については、まあなんといってもキリスト教的価値観が弱まったことが一番大きいですね。ですからこれはあくまで欧米的結婚価値観の弱まりです。

 

こういう状況に関して、基本国力という視点から見ると、現実問題として一番怖いのは結婚価値観の崩壊以上に、

少子化と、人口の老齢化です。

 

これに対して、アメリカの場合は、少子化を防いでいるのはなんといっても

 

移民の流入が大きい

 

さらに、日本と大きく違うのは養子制度というか、Adaption(養子縁組)が社会的にとても受け入れられていること。ですから、当たり前のように、人種の違う子供を育てています。

 

さらに、フランスや北欧の場合は、既婚、未婚に関わらず、妊娠、出産、子育てのサポートが進んでいます。フランスは特にカソリックで一度結婚すると事実上離婚できないので、逆に未婚のままでも、子育てがしやすく、さらに子供を持ちやすい政策をとってます。フランスは実際にこれで少子化を食い止めてますのですごいですね。

 

経済格差の問題は、これからどこの国でもこの先どうするか色々と試行錯誤するのだと思います。これについてはこれからも色々書きたいと思っています。

 

でも日本の場合、フランスのような政策をとっても少子化を止められるかと言うとやはり疑問です。一番大きな効果は、たぶん母子家庭の貧困化の減少にはつながると思うので、それだけでもやる価値はあると思います。

 

移民に関してはと言うと、おじさんが若い外国人と結構するパターン以外では、今のところあまり現実性は薄い。日本在住の外国人はかなりのスピードで増えてはいます。でも、そのひとたちが極当たり前に日本人として受け入れられる社会になるまでには、随分と時間がかかるでしょう。

 

でも、実は日本の場合これ以前に大きな問題があります。

 

今の日本はいつの間にか

 

現実の他者を疎む人々であふれるようになってしまった。

 

もともと、戦後の日本の男女関係は、’母親と息子’を理想とするような、いわば男性側が、成熟しないで済むような関係をひな形にする傾向が強い。

 

これは、高経済成長期の場合かなり都合が良かった。なんせ会社は男性社員の時間をひとりじめにし、育児は専業主婦に丸投げされたのですから。

 

一方で、’1億総中流社会’という幻想は、とにかくもともと日本文化の特徴として強かった’和’から派生したらしい、’空気を読み’そして’忖度’する同調圧力が極端に強い社会性を強要するようになっていった。

 

だから、基本他者とは

ひたすら疲れる存在である

 

と、まずは恐れてしまう。

 

確かに、心理学でも’ヤマアラシのジレンマ’という表現があるように、人と距離を縮めることは、自分が気づく可能性を高める行為です。その極一般的な例が、

失恋だったりします。

 

引きこもりの多さひとつとっても、ここまで他者を恐怖し、家の(つまり母親のふところ)から出ることを恐れる社会ないですよね。

 

引きこもりが減らないことと、少子化が進むことはまったく同根です。

 

社会からひきこもれば、当然男女関係からもひきこもってますから。

 

さらに、自分と同質な人間とのみつきあうのであれば、たとえ経済的に自立していても、’成熟’の過程という視点から見ると、やはり

引きこもってます。

 

いつも感じることですが、欧米の性差別問題が、キリスト教的価値観に裏打ちされたものであるのに比べると、日本の性差別の元は本当に異質です。

 

欧米の場合、とにかく家長として男は女と家族をリードし、そして妻はなによりも、母親である前に妻、つまり夫の女であるわけです。だから、カップル文化が強い。

 

これが日本ですと、一家総出で、家長である夫を盛り上げ、さらにまるで母親のように、夫をいぶすることが妻の第一の約目です。女として男である夫の気を引くのはほとんど必要とされない。だからカップル文化が少ない。

 

日本の男性をもろ悪しざまにステレオタイプとしてまとめると、

 

乳離ができず、無自覚で、奥さんは母親、性的対象は外でもとめる。

だから、

妻のいちばん大事な昨日は、自分の世話、育児は母親の責任、妻の仕事に価値はない。

 

一方、教育だけは男並みに受けて、もはや無知蒙昧ではなくなった現代女性は。

 

自分の仕事は、性別に関係なく社会人として重要な基盤、だから家事も育児も二人でやる

自分には普通に性欲があり、男性との性行為はお互いの欲望を受け入れ合うもの

 

これって、極当たり前でしょう。至ってまともです。

 

ただし、結婚絡みの話になると、まだまだ馬鹿な女とひどい女は少なくない。

 

馬鹿な女は、若いという価値や、性的魅力という価値を過大評価する。

ひどい女は、男を経済的に搾取することに特化する。

 

問題は、今のままですと、まともな女と男は向き合わず、ひどい女や馬鹿な女を男は求めると言うことです。

 

だって彼女たちは、男たちが求める女を演じるわけですから。というわけで、極普通の女は喪女とか行って排除されかねない。

 

これじゃ、

子育てまでとうてい到達しません。

 

私からすると、喪女と(腐女子を含めて)とオタク(社会的なMating ひきこもり)がCommunicationを始めると、日本の少子化が止まる可能性デてくると思うのですが。

 

そういえば、アメリカの場合はオタク同士結構仲良くなってくっつきますよ。

 

これからの私の大事な課題は、喪女とオタクがどうやったらお互いを発見できるか色々具体的な方法をかんがえていくことですね。

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