連載 Profile  超高年齢出産までの道は、正直人生が一度終わってしまった感120%でした。

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実は、大学院卒業の同じ年の早春、父が逝きました。正直卒業式の写真を見てもらえなかったのは本当に心残りでした。

さて、日本の相続では、配偶者が50%を無税で相続し、残りを子で分配することになってます。これだけは不思議がられるのですが、私達3人の娘がまったくもめないので、逆に弁護士さんが疑心暗鬼になり余計な書類に署名させられたり下覚えがあります。

私は、自分の黒歴史を恥じたことはありません。が、この後Technologyのちからを借りて超高齢で出産するまでの私を正直あまり好きじゃない。

ものすごい大金ではないものの、普通に暮らして、時々ちょっとした贅沢をするくらいならそれなりに運用すると、あまり働かないでも暮らしていけるぐらいの金額がありました。

さらに、いつの間にか嫌に成長してしまったStarbucksの株、大学院時代から時々買いたしていた投資信託、そして父が私名義で投資を兼ねて買っていたその当時住んでいたタウンハウスも、私の手元に残りました。

それでも、学部時代から続いていたBFと簡単な結婚式をあげ、Green Cardを取りKPMGという6大コンサルにどうにか潜り込みました。

もっともコンサルの仕事形態はまったく私には合わず、2年立たないうちにBigDataのStart Upに潜り込んだのです。

肝心のBFはなんとPortugalのPost Docに消えてしまい疎遠になり、これで仮Green CardからFullのGreen Cardへと許可を受けるプロセスに齟齬をきたしたのです。

そのころ、今のHusbandであるBobとも出会い、Green Cardの申請中ということもあり、一旦仕事もやめました。ほぼ紙だけの2度めの結婚は何の問題もなく解消し、Bobと今度はいわば普通の結婚をしたのです。

Baltimore の古いRow Houseに魅入られたのは、こんな時期でした。父が買ってくれた郊外のタウンハウスを売ったお金でお釣りがくるような値段でそのRow Houseを購入しBaltimore に引っ越しました。中はかなりボロボロ、そして昔はともかく今となっては周りもかなり問題があるご近所に囲まれてもいました。

それでもこの家は、私が子供の頃から夢に見ていた、やたら天井の高い洋館。ボロな部分もずいぶんあったけど古いマントルピース、オリジナルの寄せ木細工の床、天井のすぐ下を縁取るクラウンモールディング。

あの頃の私にとって多分一番大きく心を占めていたのはこの古い家でした。私はさらにリタイアでBaltimoreを離れる同じ持ち主から、もう一軒、こちらは6Unitのアパートに改造された古い邸宅のような家も購入しました。

Bobの方は、社内公募のIntranetの仕事に応募し見事合格、お給料も倍増。あの頃が金銭的には一番裕福でした。もっともBobはあまりお金を使わないし、私はともかく一人でした。

そして

死ぬほど退屈してしまったのです。

家のリノベや、アパートの大家としての仕事はとてもではないですが、フルタイムの仕事ほどのウエイトはありません。

だからこそ、無理を承知でBob(16歳年下)の家族を持ちたいという希望を受け入れ、不妊治療、いや超高年齢で、Reproductive Technologyの助けを借りて子供を生むことを目指したのです。