連載 Profile 数学者の卵らしくなり、でも結局数学者の道は諦めました。

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私の大好きなの仏小説作家Marguerite Durasの’L’amant’にこういう一説があります。

Très vite dans ma vie il a été trop tard. ……. A dix-huit ans j’ai vieilli.”

ギャル風に意訳すると、’もう最初っから全部終わってたよ、18歳で、人生ほとんど終わっちゃった。’

一度だめになった人生を、もう一度やり直したのが私の人生だったりするので、やっと再出発する頃にはかなりの年になっているわけです。それでも基本後悔はしないのですが、

こと数学に関する限り、とにかく後悔先立たずの連続でした。

というわけで、今回は多分かなり意味不明かもしれませんが、これも私の大事な一部なので書き留めておきます。

1970年代に一世を風靡した、Differential Topology (微分位相幾何学)は、私が大学院に進む頃には、Dynamical Systemとして別の形に発展し、それ以外ではReal Algeblaic Geomatry(ベースが実数の代数幾何、位相幾何学からのアプローチがある。)が伸びていました。

でも、どちらも微妙に私がやりたい感じと違う。

まあ、それ以前に私は博士課程に進むための試験で、壁にぶつかりました。

解析(Real Analysis, Complex Analysis)に、苦手意識を持ってしまったのです。

で、Qualifying Examで代数と位相幾何学は一度で受かったのですが、解析だけ二度落ちて、その段階でまわりじゅうに見放されました。

なにせ、非公式に担当教授になってもらおうとしたひとに、突き放されてしまったのです。で、結果的に変人で通っている代数位相幾何学の教授に拾ってもらい、気を取り直してギリギリパス。

しかも、パスのスコアは結構ギリギリ(一科目だけなので普通より高い。)でしたが、この試験はたまたま平均点がいつもより低かったので助かったのです。で、その理由というのが同じ解析でも、関数解析の問題があり、これ普通の解析が得意なひとの正答率がすごく悪かったのです。でも、私から見るとこのてのアプローチはホモロジー代数でなれているので、簡単だった。

ずっーと後で、実に数学を諦める直前の年に、学部の実解析のクラスを教える羽目になったのです。で、それを教えながら突然、私があれほど苦手意識をもっていた実解析の典型的な証明のパターンが見切れてしまったのです。

’え、なにこれってすごく簡単じゃない’と思いました。

こと、解析に関しては、もっといい先生に習っていたら、ずいぶん時間を無駄にしなかったのにと思いました。でも、後悔の大きな種はもう一つありました。

線形代数の基礎、これも大学時代にきちっとしたクラスを取っていなかったので、たとえばDifferential TopologyやGeometryのクラスで、すごく苦労しました。

線形代数に関しては、Bobが大学でとったクラスの宿題を全部解いてあげていたうちに、(Bobの取った線形代数の教授は、数学専攻むけにふさわしい証明問題を毎週出題したのでした。)あ、これがわかっていれば、Differential Topology の問題、ローカルで特の別に難しくないじゃないと気がつく始末。

数学を勉強するにあたって、学部でいくつかきちんとしたクラスを取っていなかった結果が、後でこれだけひびいたのは、本当に悲しかった。

多分私は、一部の先生の目に映っているよりは、ほんの少しだけど数学的センスはあったのかもしれないと思う。でも、特別な天才をのぞいて、どんな基礎をきちんとマスターしているかによって、後々の伸びが違うのだと思います。

この辺の感じは、数学って、バレエとか、クラッシッカルミュージックの演奏にとてもにています。

ともあれ、私の担当になってくれた変人の教授、Dr. Greenがやっていたのは、実は超弦論に関連した、数学と数理物理学がまじわるかなり不思議なエリアではありました。

私は結果的に、複素空間の代数幾何に、代数位相幾何学的アプローチで立ち向かうという、よく考えると、かなり大掛かりなToolを使う分野に足を突っ込んだのです。

今振り返っても、すごく面白い分野だっただと思うし、それなりのセンスは多少あったと思う。でも、私には基礎体力がなかった。複素解析(実解析とは違うけど、やはり基礎計算が多い。)そしてごく当たり前の線形代数がしっかり身についていれば、具体的な計算で気軽にチェックすることがいくらでもできたのに…

数学と同じように、趣味で十分だったから小さいときからやってみたかったバレエとピアノ。そういえば、子供時代に好きだからとやらせてもらえたお稽古ごとはなかったっけ。

ともあれ、私が卒業した年は、アメリカの大学進学人口が底だったので、私の友人もすべて2-3年のPost Doc Positionの後、アカデミアを諦めました。

もちろん私も、たった一年のPostDocを、2つ取ったのが限界で、大学院卒業後満2年で、数学の世界を離れました。