実は今朝、内田樹のブログで興味深いポストを読みました。
外国語学習について
私が最初から強調している、会話力なんてどうでもいい、いちばん大事なのは読む力。内田さんも、私とは少し異なった文脈から読む力の重要性を強調し、会話力を向上を推し進める日本政府のやりかたに意を唱えている。
一番印象に残ったのは、今の政府が考える英語力のゴールは、平田オリザさんが言ったというユニクロのシンガポール支店長だろうというところ。
それっていかにも、日本のおじさんが考えるグローバル人間の雛形ぽいです。
でも、これ明らかにリーダー像ではないし、いわば都合のいい有能な中間管理職でしょう。何が悲しくて中間管理職になるために嫌な英語を習わなくてはならないのか。
それとも、未だに続く日本人の英会話信仰って、本当にこういうレベルなのか。
では、翻って私はどうなのか。
私は基本に極端に強制と緊張を強いられるような育ち方をしてきました。
その中で、英語はいい逃げ場所でした。
中学に入って、英語を習い始めると、英語に関わっているというだけでそれまで多めに見てはもらえなかったことも少しは多めに見てもらえるようになった。
何より、中2の夏休みに主に父親の思い込みで、私はサンフランシスコに駐留していた彼の友人宅にHomeStay したのですから。
後にも先にも、その後大学受験がらみで完全にいちど壊れるまで、あんなにひとりで誰の監視も受けずに過ごした時間はありませんでした。
たった一ヶ月半だったので、そんなに英語力が伸びたわけではありませんでしたが、さすがアメリカ英語の発音はかなり身につき、後何より外国という環境が、そのまま閉塞感からの開放をイコールするようになりました。
父の友人の奥さんが、たまたまかなり放任主義でわりとアメリカナイズされていたこともあり、本当に楽だった。あのときどうしてあんなことが可能だったのかわかりませんが、何故か私は2週間ほど、高校のSummer Schoolに通わせてもらいました。
肝心のクラスは何を言っているのか、
全くわかりませんでした。
それでも、なんだかすごく面白かった。さらに、通学が楽しかった。単にひとりで路面電車に乗っているだけでしたが、それがすごく面白かった。
後、カフェテリアでセルフサービスのランチを買うのも楽しかった。
あの頃は、サンフランシスコにはヒッピーがたくさんいて、サイケデリックなビラやらポスターが溢れていて、それを見るのも楽しみの一つでした。
何度か、アメリカ人家族に招かれて、子供たちとも接しましたが、ひたすら覚えているのは
みんなお気楽だなあ、これでした。
あれから、再び日本から脱出するまでに十年以上の年月が必要だったのだけど、その間私にとってのアメリカとは、誰も私を押し込めない開かれた場所でした。
それは、たぶん希望の地だったのだと思う。あのときの感覚を一番良く再現しているのが村上龍の短編集。
リセットはいくらでも可能なのです。で、私にとってのリセットは英語とアメリカでした。
あれからもう30年以上も立って、私には高校生の娘さえいて、アメリカは私が最初に憧れたような、なんだかんだいっても気前のいい大盤振る舞いの国ではなくなってしまって久しいのです。
ただ、Netによって、英語は誰が嫌がっても、もはやどう仕様もなくDefaultの世界言語になってしまった。
外国人Viewerを可能性として計算に入れているサイトなら、どんな国のサイトでも英訳バージョンはある。後、英語から他言語への翻訳はまずいただけないけど、逆は割合使える。
だから、物理的に海外へ行くのは無理でも、本当に英語さえ読めればかなりのレベルまで、今のそして生の’Event’そして’Voice’をたどることができる。
というわけで、次回からどうしてもアメリカが中心になりますが、私の生活に密着した英語世界をNet上でお届けします。
できるだけ、重要表現とか語彙を入れて解説しますので、サイトそのものも必ずチェックしてみてくださいね。