そもそも、この記事を今朝プレジデントオンラインを見つけたことが、この記事のきっかけです。

なぜ日本は75年間も「無謀な戦争を仕掛けた敗戦国」のままなのか

 

基本、最近上梓されたこの本の抜粋、紹介です。

 

 

基本的にこれは、いわゆる、

 

WGIP (ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)

 

確かこの言葉、そして実態はともかくこのプログラムの存在は、右寄りの文芸評論家(日本はなぜか鋭い思索家は、皆文芸評論家として公には存在することがほとんど。例えば私が傾倒している、柄谷行人とか。)江藤淳が、最初に広めてその後、さらに右寄りの評論家がどんどん広げていった感じです。

 

私が読んだのは確か、ケントギルバートの本、こちら、

 

 

ケントギルバートは、なぜか日本の右寄りと親和力が強く、アメリカ政治に関してはなんと、

 

トランプサポーターです。

 

で、私はいま還暦ですから、’紛争最終世代’なんて言われている世代。TVで、60年代後半の学生運動やら、新左翼の盛り上がりを見て、

 

左寄りにあこがれを持って育った世代です。

 

だから、日本の新左翼運動の盛り上がりとともにやたら売れていた、

 

朝日の本多勝一による南京の話を立ち読みし、

 

一方

 

日教組の影響で赤旗に掲載されたベトナムの話も読んだ。

 

もちろんその後も、

 

慰安婦の話、そして石井部隊の話なども、どんどん読んでいった。

 

歴史が好きではないけど、枢軸国のやった戦争犯罪については、日本でもドイツのでもずいぶん積極的に、手に入る本を読んだと思う。

 

個人的に、’戦争’がどうしてもいやという基本的な感情が芽生えたのは、やっと物心ついたときに、新聞に紛れて入っていた、写真入りの

 

映画 ’夜と霧’のパンフレットだった。

 

これは、なんせアウシュビッツを題材にした、ドキュメンタリーなので正直子供の目に触れされるものではなかったと思う。

 

私は今でも覚えている。

 

箱のようなものに入った、まるでゴムのような死体たち、石鹸を作るために脂肪を絞ったのだという。

 

そして

 

人間の皮でつくったランプシェード

 

まあ、この原体験で、私の反戦信仰ができたと思う。

 

ただそれは今思うと、’戦うこと、やられたらやり返すこと’そのものへの嫌悪感につながっていたのだと思う。

 

そして、私のなかの戦後感と、反戦信仰がそれなりにより複雑(個人的には洗練と思いたい)になっていたきっかけは、

 

アメリカの大学で反原爆の自主講座に参加したことだった。

 

講義をしていたのは、私が取っていた化学の教授で、彼にはマンハッタン計画(つまり原爆開発計画)に参加していたという過去があった。

 

私が彼から学んだ一番大きな事実は、どれほど100歩譲っても、

 

長崎の原爆は人体実験だった。

 

という話だった。これは誰でも知っているべきことだけど、そもそもヒロシマに落とされた原爆と、長崎に落とされた原爆は、種類が違う。さらに間隔が異様に短い。

 

だから、原爆投下に賛成をしていても、長崎への投下に疑問を抱いた人は当初から多かった。

 

そして、私がまだ学部で勉強していた1985年は、ちょうど終戦から40年。この年Public Televisionという視聴者からの寄付で成り立っているTV Network (あの頃は、こういうTVに対する関心は大きかった、なんせCable News の時代は始まっていなかったので。)で、原爆についての確か2時間か3時間にわたる特別番組が放映されたのだ。

 

なぜ、この番組がそれほど重要だったかというと、それまでリリースされてなかったアメリカ軍による撮影映像がすべて解禁になったから。

 

私は初めて、カラーで広島を追体験した。

 

白黒だった怖い。でもカラー映像は本当に正視に堪えなかった。

 

ちなみに、私が原爆の悪夢を見るようになったのは、小学生のころ買ってもらったいろいろな世界を学ぶ前週にはいっていた日本の歴史の巻を読んでからだ。キノコ雲の写真も怖かったけど、なにより、そこに載っていた、

 

原爆で死んだ女の子の詩がふにおちてしまったから。

 

なんでこんなことを長々と書くかというと、私はそもそも、

 

基本的にはいわゆるリベラルで、トランプ大嫌い

 

それでも、今や私にとっての戦後感は、かなり

 

捩れてしまっている

 

私はこの後本屋で、この’日本人はなぜ自虐的になったのか’を買うつもりです。

 

実は、さすがにまたケントギルバートみたいな言説は勘弁してほしいので、このひとのほかの著書を見てみました。

 

この人の書いていることは、あまり右とか左というより、メディアが、いかに世論や世間的共通認識を操作していくかという話が多い。例えば、アメリカが捜査して被爆国である日本にどうやって原発をうけいれさせていったかとか、ディズニーのイメージ操作の話とかが目につく。

 

後、基本英語の資料にどんどん当たる人らしい。原爆の映像でもわかるように、1985年まで、戦中、戦後すぐの資料が凍結されていて、それが一定の年月を経て公開されたのは事実だが。

 

あと、原爆記念館が、なぜ平和記念館と呼ばれているのにおかしいと思わないのかという指摘は、確かに私も虚を突かれました。

 

大体、第二次大戦中も、ハリウッドとナチスは多岐にわたってプロパガンダ作戦を展開していたし、アメリカのメディア戦略は巨大ビジネスだし、アメリカほど心理学と統計が現実で利用されている国もない。

 

長くなってしまったので、本を読んだ後、ほかの大きな日本の戦争犯罪についても触れていこうと思います。

 

 

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