アメリカで発達障害の娘と暗中模索した、小学校一年生までの試行錯誤をここに書き留めます。

アメリカの日常

もともとは、昨夜のうちに萌え系のコンテンツを書くつもりが、ノルウェー制作のNetflixオリジナルにはまってしまいました。

 

で、今朝コロナウイルスの発症状況を調べながら、Netの定点チェックしてたら、東洋経済オンラインで、こんな記事を見つけてしまったのです。

 

発達障害の「診断名」に振り回される親子の悲劇、その子の興味関心すら「症状化」してしまう

 

この記事は、とても重要で、でも今までほとんど取り上げては来られなかった視点を含んでます。

 

娘の場合、アメリカ生まれで、アメリカ育ち。ですからある意味で、’発達障害対応システム’の先進国です。

 

ただし、ここに一つ大きな問題があって、基本5歳で、公立の教育システムのスタート地点であるKindergarten(一年間の幼稚園)に入学できるまでは、娘の小さいころほとんどサポートがありませんでした。

 

娘がほかの赤ん坊と少し違うと気づきだしたのは、まだ一歳に満たないころでした。少しずつ連れ出すようになって、時々、

 

’あら、あなたの赤ちゃんあまり泣かないでいい子ね’

 

と、時々言われるようになりました。

 

娘の生後3か月ぐらいから、週二日はPart-Timeの乳母さんを雇い働きだしました。家に仕事を持ち帰ることができたのは幸いでしたが、まあ私のほうの稼ぎの多くはこの乳母さんへの支払いに消えました。それでも、正直なところ私自身の精神衛生上はよかったと思ってます。

 

娘は4月生まれで、年明けの1月末から朝から午後3時ごろまでの保育園に入れることができました。

 

アメリカの場合、日本と同じように保育園探しは大変です。ただ、大企業やそれ以外の大きな組織に勤める人間には、そういう組織が保育園などを用意していることがとても多いのです。有名大企業だけでなく、たとえば病院、大学などが典型的な例です。

 

我が家の場合、前々から話し合って娘が乳児院に預かってもらえるようになった年齢で、Bobが大学に成人入学することを計画しており、その結果娘は大学関係者と、生徒(アメリカは日本よりずっと成人学生が多い。)枠のある乳児を預かれる保育園に入れることができたのです。

 

と、そこまでは良かったのですが、その約一年半弱後に、最初の大きなショックが待ち構えてました。

 

本来なら、5歳で幼稚園に進学するまで預かってもらえるはずだったのが、夏休みと、次の年の更新を控えて、いつもより早くDirectorに呼び出されました。

 

発達障害の疑いがあるので、うちでは預かれない

 

と、宣告されました。

 

目の前が真っ暗になりました。娘の場合、空間把握などは明らかに標準児以上に発達(三歳児むけの、立体パズルとか一歳にならないうちからやってました。)しているようでしたが、まさかほかの面での遅れがそこまで深刻なものとは思っていませんでした。

 

結局、もう一年、いろいろとつてを探して、軽度の発達障害児なら受け入れてくれるという別の私立の保育園に入れてもらいました。

 

そして、そのころから、幼稚園とはべつにスピーチセラピストを探して、放課後につけました。仲良くしてくれる同級生の可愛い女の子も一人いて、このまま大丈夫なのではと自分に言い聞かせていました。

 

私が、それまでやっていたPart-Timeのアナリストとは別に、今のキャリアの一歩を踏み出したのは、この夏でした。

 

でも、状況は悪化するばかりでした。一番の問題は、

 

基本3歳レベルで、娘はほとんどしゃべらなかったのです。

 

結局、

 

2つ目の保育園からも、追い出されることになりました。

 

前のDirectorよりはよほど同情的な女性の校長先生に、発達障害専門の教育施設を探して入れたほうがいいとはっきり諭されました。

 

この時点で、一番最初にBaltimore市によるEvaluationと、スピーチセラピストによるテストを受けてましたが、とにかくほとんどしゃべらないのでテストそのものもやりにくかったのです。

 

ただ、厳密には、ASD(自閉症スペクトラム障害)ではなく、PDD(広汎性発達障害)との診断でした。早い話が発達障害ではあるが、ASDでもADHDでもない。そして知能に関しても未定ということでした。

 

まあ、何もわからないということです。ただとにかくしゃべらない。

 

どちらかというとASD的な要素がある。でもASDではない。

 

この後、入れてくれそうな就学前向けのいろいろな施設を探したのですが、基本知能が遅れているとみられるか、重い症状の児童が優先でなかなか見つからないのです。

 

結局、そうやって行く先が見つからない子供の親あてに送られてきた案内の一つが、内容的に会いそうだったので、そこに週5日連れていくことにしました。

 

このプログラムは、もともと全米最大のこの手の児童の教育を手掛けるKKというNPOで地域Directorだったひとと、重度のASDの息子を持つお金持ちの女性が新たに開いた施設でした。

 

ASDに焦点を合わせてますが、症状によって4つのレベルに分けられており、娘は下から2番目に入ることになりました。ただ、しばらくして、とにかくお高いこともあり、娘のレベルのクラスの生徒は彼女一人となり、集団時間は一つ上のクラスと行動を共にすることになりました。

 

そして、そのクラスの子供たちやその親御さんたちと少しずつ話をしながら、娘とほかの子供たちとの違いにも気づいていきました。

 

今なら、はっきり宣言できますが、言語能力を別にすると、娘のほうが印象がずっと健常児に近いのです。

 

それと、こういう施設にいれたことで、我が家のFinanceはいろいろな意味でめちゃめちゃになりましたが、娘の将来にどう対応していくかその心構えを確立するいい機会になりました。

 

まず、ここにいた一年間の間に、3人の違うスペシャリストに、評価をお願いしました。

 

3人ともASDではないと。何かしらのシビアな言語能力の遅れであると、そして脳内に特別な以上はないと。あと、そのうちの一人は最初知能の遅れを疑っていましたが、最終的にそれは認められず、3人ともに、知能は正常評価されました。

 

これは、すごく大きかったのです。というのは、この施設にいたころ娘の知能は遅れてないと言い張ってくれたのはたった一人のSpeech Therapistだけでしたので。

 

さらに、3人のうち二人は、娘の場合通常の教育システムの中でサポートを受けたほうがいいといわれました。

 

で、夏の間だけ、ご近所の保育園の娘と同年代ではなく、一つ下の子たちと一緒のクラスに入れてもらい、

 

歩いて行ける距離にある公立のCharter Schoolに進学しました。

 

Charter Schoolというのは日本には全くないシステムで、公立ですがそもそも、地域の親たちが申請して小さな学校を起こし、そこを公立の教育システムから財務サポートをある程度まで受けるという形です。ですから、基本学校側で、親たち自身が中心になって足りないお金の寄付を集めるということが多いのです。

 

さらに、大した金額ではありませんが、設備料などの名目で、月1万円ぐらいまでお金を取られることもあります。

 

でも、その代わりに得られる環境のすばらしさ。娘が通ったMidtown Academyというところのばあい、一学年一クラスだけで、クラスサイズはなんと20人のみ、幼稚園から、日本でいう中二までありますが、全体が家族みたいで、みな顔みしり。

 

さらに、公立学校なので、正式に娘担当のIEPチームが作られ、娘個人用の、サポートプログラムが作られ、セラピスト、カウンセラー、特殊教育担当教師などがいます。

 

これに加えて、娘の様子と私の実感から、元の施設のスピーチセラピストとの関係がいかに大切か身に染みてましたから、彼女に週二回家に寄ってもらうことにし、そのうえで学校のほうのIEPチームと密に連絡を取ってもらうことにしました。

 

と、私としてはそれなりに万全を期したつもりでしたが、Charter School一年目は、

 

散々でした

 

ほぼ一週間おきぐらいに、学校に呼ばれてました。幾度となく娘を引き取ることがありました。癇癪を起して泣き止まなくなると、呼ばれますし。ほかにも、細かいことでいろいろと問題行動が多かったのです。

 

学期の初頭、IEPチームのメンバー全員、結構楽観的だったのですが、娘の問題行動と一年間やりあった結果、このIEPチームはこういったのです。

 

大きい公立の特殊学級に入れなさい

 

その時点では、半分は親の欲目扱いでしたが、私としてはどうしてもうちの娘が知能や感情面で問題のある子供たちと一緒に勉強する環境が最適だとは思えなかったのです。

 

娘の場合、1対1で、そして相手を選びますが、たとえば算数やお絵かき、工作などにかなりよく反応してましたから。

 

あともう一つは、このKeyサポーターであるセラピストが、何度か娘のクラスを観察した結果、

 

今の先生のアプローチとは多分相性最悪かもしれない

 

その、一年目のIEPサポートチームとの最後の話し合いは、まるで悪夢のようでした。それまでは、いろいろと娘の良い面に触れていた人も口を揃えて悲観的なことしか言わなかったので。

 

私にしてみれは、ほぼ100%の普通クラスさんから、逆に100%特殊クラスへの移行は極端すぎると指摘したのですが、公立の場合その中間はない。

 

Meetingの後、Bobはまるで気を失うようになぜか昼寝をしてしまい、私はWire状態で、Netで調べたり、人に電話したりでその日一日中、かなりお先真っ暗になった状態でもがきました。

 

とにかくどうにか気を取り直して、この2極端の中間になってくれそうなところということで、公立で複数のASDタイプの発達障害児を受け入れ、いわゆる特殊学級とは別のASDタイプの知能の遅延のない発達障害児用のプログラムのあるところをいくつか当たることになりました。

 

問題は、学区でしたが、それはもう最悪別にアパートを借りて娘の私の住所を移すことで対応すると覚悟を決めました。

 

そして、夏が始まってしばらくして、Midtown Academyから、思いがけない知らせがありました。それまで全く存在しなかったOptionでした。

 

このOptionの肝は三つ

 

  1. Kindergartenをもう一度繰り返す。
  2. Kindegardenの先生の入れ替え
  3. IEPチームは全員入れ替え、さらに娘のクラスにアシスタントを加える

 

しいて言えば、もう一度繰り返すことに多少の抵抗はありましたが、そもそも娘は春生まれで、アメリカの学校は9月が始業。人によってはわざわざ就学を次に繰り下げることもある国ですので、先になるほど問題なし。

 

何より、2、と3は願ってもないことです。

 

実際、たまに問題を起こすことはありましたが、1年目に比べると、信じられないぐらい行動が改善しました。さらに、娘のクラス参加をサポートするアシスタントが加わったことで、娘がほぼクラスメイトと同じように授業に参加することが可能になりました。

 

これは、娘にとってとても大事なことだったらしく、このころから一緒に宿題をやるのが習慣になりました。

 

2に関してですが、一年目の先生は、頭のいい子に非常に有効な、自主性を重んじるMontessori法を取り入れており、これが全く娘が必要とするクラス運営とは真逆だったのです。

 

で、Repeatの新しい幼稚園の先生は、見かけからどっしりした感じでクラスも細かくやることが決められている。だから、クラスがとても規律よく進行しているのです。

 

実際、ここが底で、この後娘は、得意不得意合わせて、スピードに違いはあるものの、順調に改善していきます。(で、今現在公立の理科系高校の2年生、英語つまり国語以外は、コミュニーケーションのサポートを除き、自力で結構いい成績取ってます。さらにすでにComputer Scienceのクラスを始めており、Codingはとても得意。)

 

こんな、娘にとってほぼ最高のOptionが可能になったかげには、その時の校長の尽力がありました。

 

実は我が家、娘の問題行動の一つがBaltimore 市に報告された結果、市の児童福祉課から、捜査される羽目になったことがあるのです。結構こじれて、(私たちの弁護側の一人の対応がかなりまずかったらしい。)最終的には、友人に弁護士を紹介してもらい解決する羽目になりました。

 

私は、この件で校長に詰め寄り、ぶっちゃけ激高し、実は泣かせました。(まあ、捜査がいろいろ続いたときは、私もう半狂乱でしたし。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ)

 

ただ、アメリカの面白いというか、よいところは、この結果以前友人と思っていた人の一部には敬遠されるようになった反面、私がじかに付き合う教育関係者からは、一種尊敬されるようになったのです。

 

英語で、Advocateという言葉があります。

 

擁護者というのかな。

 

日本語で一番ぴんと来るのは、

 

味方という言葉

 

まあ、お金はどんどんなくなるし、娘の未来は全く五里霧中だし、別に発達障害の専門家ではないし、でも、自分なりにいつも娘のありようをそのまま受け止めてました。だからできることは全部するつもりでした。

 

でも、まあ少し切れやすいのと、声が大きくなりがちなので、あとで反省したり、意見を聞いたりしたこともありました。

 

そんな時に、たしかSocial Workerだった人が言ってくれたのです。

 

でも、あなたがAdvocateにならなくちゃ誰がなるのですか

 

と、

 

そうなんです。

 

耐えられないこと、辛すぎること、どうしていいかわからないとき、お先真っ暗な時たくさんあります。

 

でも、お父さん、お母さん、あなたが最後の砦、最後の味方、Advocateなのです。

 

まあ、子供にレベルはりしてそれで良しとするような、医療関係者や、サポーターはこちらから願い下げです。

 

さて、お父さん、お母さんと言ったものの、片親が逃げ出してしまうことも多々あります。

 

私の友人の息子さんはADHDですが、かなり早い時期にお父さんが投げてしまいました。(私から見ると、その影響はぬぐえない。)私なんて、大した親じゃないし、夫婦という意味ではもうかなり薄くなってますが、こと娘のことに関しては二人で協力してきました。

 

でもね、つらくても、それに値するものはあります。健常児に比べて、やはりずっと親子関係濃密ではないかと思います。

 

私は娘がすごく好きです。喧嘩したり、逆に励ましたり、一緒に遊んだり、何かを教えたり。一緒にやることがそう簡単には尽きません。

 

ただ、私が死ぬまでに、一人でも生きていけるように、そのことだけはいつも念頭に置いてます。

 

踏ん張ってみてください、人間自分のため以上に、自分の大切な存在のためには踏みとどまれるものです。そして、踏みとどまってさえいれば、やがて何らかの形でサポートの手がかりが具現化すると思います。

 

ここまで読んで、私の子供の症状はもっと重いから、なんの参考にならないと思われたかともいると思います。

 

でも、違いはあっても、そもそも娘のためにそこら中から基本善意で投げつけられる、いろいろなレベルの提案のなかから、娘ときちっと対峙することによっていわば時には大胆といわれる選択をしてきているのです。

 

娘の幼児期のことをよく知っている人たちに、今の娘の状況を知らせる機会があると、ほぼ信じられないという反応をされますし。

 

大体、Midtown Academyでの一年目に関しては、それ見たことかという受け止め方をした人たちもいましたから。

 

ずーっと、あとになって娘の高校を選ぶ時も、直前までずいぶん迷いました。でも、いまIEPのお世話になりながら、娘は基本かなり楽しそうに学校に通ってます。

 

 

あと、月並みですが。私は娘の発達障害とともに生きてきたおかげで、正直少し大人になった気はします。

 

あ、今夜は二人で音ゲーの土曜日ですね。

 

 

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