今朝3時半頃目が覚めて、最初は仕事絡みのAnxietyで目が冴えてしまった。で最近就眠ように読み返している、伊藤計劃記録IIを手にとったのが多分まずかった。
飛ばし飛ばしで、彼の死にいたるまでのブログポストやエッセイを読み返す。
’虐殺器官’で衝撃を受けた私が、さらに不思議なぐらいこの稀有な作家に惹かれたのにはかなり個人的な理由がある。
この人の大好きなSF作家と、映画監督画かぶりすぎなのです。
映画監督に関してはまずリドリー・スコット。この監督を好きな人はずいぶんいる。私にとってのリドリースコットが他の監督に比べて突出して好きな理由は2つ。
とにかくスケールが大きい映像が得意。一番最初に彼の名前を覚えたのは月次にBlade Runnerからだけど、私が日本で劇場公開で見た時はまだPhilip K Dickの名前はそれほど有名ではなかった。
逆に多分この映画のおかげで日本でもアメリカでも、Dickが注目されるようになったのでしょうね。今やDickの世界観は何故かアメリカでそこらじゅうに蔓延してます。
アメリカのAmazon Primeで今現在Dick原作のアマゾンオリジナルが2つも継続中だということだけでもわかる。
で、リドリーがエイリアンの第一作を監督していたということは逆に後で知った。
さて、私から見てリドリーが他の作家と違って見えるもう一つの理由は、
自分とは異質な存在をRespectして撮っているとしか思えない。
リドリーはあの’Thelma & Louise’をとっているんです。これもはやFeminist 映画のクラッシックでしょう。
で、911以降の世界で、もう右よりアメリカ人の神経を逆なでするような’Kingdom of heaven’とってるんですよ。
私はこの興行的にはアメリカでまずかった映画のMaking of本間で買いましたから。そのくらいこの中に登場する異文化がかっこよすぎたのです。
さて、私にはもうひとり偏愛する映画作家がいます。それがデビッド・クローネンバーグ。
この二人を別々に好きな人というのは結構いますが、二人一緒に好きという人にまだお目にかかったことがないのでびっくりしました。
ちなみにデビッド・クローネンバーグはやはり何故か映画作家に好まれだした、少し前になくなったSpeculative Fiction作家、J.G. バラードの非SF小説Crashを映画化しています。
なんというか、Sexが寒々しくて車の事故後の傷だらけの肢体が官能的という倒錯仕切った映像が忘れられない。
で、バラードの話が出てきたところでSFの好みのかぶり比較しましょう。
このひとは、さすがお若いのでSF初体験がサイバーパンクのウィリアムギブソンです。そこからバラードとかブルース・スターリングに惹かれていっている。
私は、逆にバラードがSF初体験(同時に、レイ・ブラッドベリとフレデリック・ブラウンも買ったけど結局バラードにのめり込みます。)ギブソンはずっとあとになります。
ただ、ギブソン以上にブルース・スターリングが好きで、Heavy WeatherとかHoly Fireとか英語で読んでいます。
確か短編集もいくつか読んでるけど思い出せない。
さて、問題はもうひとりの作家ジョン・ヴァーリイです。
この人の’残像’を日本を経つ数年前に読んで、さらに’へびつかい座ホットライン’を読んでぶっ飛びました。
だから、Steel Beachをアメリカで見つけた時は嬉しくて英語ですぐ読みました。これもまたぶっ飛びました。
ジョン・ヴァーリイの身体感覚は、変な言い方ですがとても男とは思えない。基本他にこういう作家アメリカのSFで知りません。いや女性の有名作家だって、こういう書き方はできていない。
あまりSFとかほとんど読まないあの頃の女性の友人に残像を読ませたところ、’子の人本当に男なのかと’しっかりコメントしてくれましたから。
私としては、’虐殺器官’の特異さ(日本SF史上で今のところSingularityでしょう。)はその身体感覚です。
別に体育会的なことを言っているわけではなく、
女が強姦によって気付かされる身体、あるいは男が戦闘の中で気付かされる身体。
そしてまた、妊娠や出産、病などで気付かされる身体でもあります。
確かに、SFとして’ハーモニー’のほうが評価されやすいのはわかるけど、ハーモニーの文体は彼でなくとも良かったと思えてします。でも’虐殺器官’は彼の身体の延長なのです。
かれはエッセイ’人という物語’をこんなふうに結んでいます。
これがわたし。
これが、私というフィクション。
わたしはあなたの身体にやどりたい。
あなたの口によって更に他社に語り継がれたい。
これを呼んだ時私が思い起こしたのは、私がまだ小学生だった頃初めて原爆というものを学んで、そのときに読んだ詩でした。
女の子が灰になってしまってもうアメが食べられないという叙情。
この叙情はその頃の私にとって死ぬほど恐ろしい感情として飲み込まれました。
たぶんこの連想はふさわしいでしょう。
彼がなくなったあと、ギブソンが最初のハッカー世代の作家とよんだニール・スティーヴンスンが登場し、テクノロジーの進化は伊藤計劃の死後、さらに2世代進み、その2世代目も終わりになろうとしている今。
私自身、これから生きる時間がまず確実に、今まで生きていた時間より短くなりました。
このブログを書いていて、毎日書き続けるからこそ、どんどん色々なものが言語化していきます。
ふと、この人の円城塔との対談を読んでいて、あれもしかして私SFは書けるかも、書きたいかもと思いました。
極端に分析的な人間なのでものを考え言説化することは大好きです。ただ、小説家になりたいと思ったことはなく、基本物語を作りたいという欲望はなかったのです。
’7つ闇’というロリータ幻想ホラーを書いて、友人にウケたことはありますが、あれは全く考えないで勢いだけで書いていました。だからそれだけだと思い封印しました。だいたい物語をもはやゲームとして読んでいるので、自分で物語を作りたいという欲望はないです。
ただ、この会談で、伊藤計劃が’装飾’で乗り切るという解説をしていて、それはありなんだ分かると思ってしまいました。
伊藤計劃は、男性でありながら稀な非常に明晰かつ論理的な存在です。で、普通こういう思考のあり方って小説を書くのには向いていないのですが、かれは自分を残す必然性があり、時間制限があった。(ちなみに、私が男性を非論理的と感じる最大の理由は、彼らが往々にして無自覚だからです。まあ、今の若い人たちはかなり違ってきてますが。ただ若いと明晰さのほうがまだたりていなかったりします。)
で、私がかきたいものがたりは、そもそも草薙素子が母になるとはどういうことなのかというExtrapolationがきっかけになると思います。
Holy Fireを読み直そう。あ、考えてみるとこの話老女が主人公です。読んだのは大学時代だったからずいぶんと前だけど。
多分あと数年はかかりそう。でも、こういう予感は必ず具体化するので。書き留めておきます。どうせいま考えていることと全く違ったものになるだろうけど。
ただ、そのノートのためにそもそも’草薙素子になりたい’というカテゴリーが生まれたのだと今朝気が付きました。
次にやりたいことが見えてきたのは凄く嬉しくて興奮したので、書き留めておきます。