最近ひきこもりとノマドワーカーのかぶりあいについてよく考えるのです。
合理的に、お金を稼ぐことだけでサバイバルすることが人生の大半を占めるという考え方にやはり疑問を感じますから。
端的に言ってそれは幸せではないと思います。
と、思いを巡らせていた矢先にこの東洋経済オンラインの記事です。
孤独死した40代女性「社会的孤立」が招いた悲劇、人との縁が薄れた孤独者をどう救えばいいか
東洋経済オンラインって、もはやSPA化していて、’貧困’と’孤独死’と’婚活困難’の話が毎週でてきます。さらにSPAや、ほかのオンラインマガジンと違って、コメントがオープンしているので、前にも言いましたが温度はかるのに具合がいいのです。
さて、今回の孤独死は今までの例と決定的な違いがあります。亡くなった方はまだ40代であっただけでなく。
経済的に’成功’していた。
何故か記事ではノマドワーカーという言葉を使ってますが、ネットビジネスで成功していたようです。
部屋には、彼女のビジネスがらみらしい顧客リストやら、郵送する予定らしき販促物がたくさんあったそうです。
そして、(どうやって調べたとまあコメントで突っ込まれてますが)貯金は十分にあり、さらに通販で購入したらしいブランド物もごろごろしていたそうです。
その一方で食事はほとんどカップラーメンの類で済ませていた様子がうかがえるようです。
記事では、買い物依存みたいな言い方をしてますが、それはいわゆる買い物依存とはちょっと違うと思います。
この方は、経済的には自立し成功したにもかかわらず、
その成功を味わう術を身に着けてこなかった。
だから、食べ物はカップラーメンしか思いつかなかった半面、お金があるという実感の確認のごとく、ブランド物を買ったのではと思います。
これって、とても悲しいですよね。だってブランド物ほと、人にみせびらかすほどその存在価値の増すものないですから。
100万円のケリーも、1980円のノーブランドのトートバッグも、実用性だけだったらほとんどちがわないのですから。
高いブランド物を買っても、たとえ大したことのない人間関係でさえ、それに反応してくれる人がいないとうのは、とても恐ろしい状況だと思います。
平成という時間が流れていくうちに、どうやら他人はとても怖いものになってしまったらしい。そしてNetやSNSという仕組みは、人とじかにぶつかることなく疑似イベントのように
世間に参加している感覚だけは提供してくれる。
ただし、こういう’参加’は、自分を隠している分、向こう側の誰かもすっかり隠れている。
人間関係の基本問題として、
ヤマアラシのジレンマ
があります。人間というのは、基本近づけば近づくほど、お互いをちょうど二匹のヤマアラシが針で刺しあうように、傷つけあってしまう。
それでも、それを乗り越えて人と人とがつながりあうとき、痛みを受け入れることで生まれる成熟への道が開けると思います。
まったく月並みなのですが、自分のことを振り返った場合、しょせん現代医学の力を借りて無理をして生んだ娘との関係こそが、私にとってより成熟へと近づく一番力強い道だったと断言できます。
よく勘違いしている人が多いのですが、無償の愛、というか無条件の愛をもちえるのは、親にたいする子供だけです。
生物学的に親になったからといって、親が子供に無償の愛を抱くなんていうのは全くの幻想です。
ただ、幸いこんな世の中になっても、私を含め親になりたいという欲望を持つ人間はまだ十分います。
親が子供をどれだけ愛せるかは、それはただただ親次第、親の意志です。
私自身、祖母に育てられたこともあり、母とは結局きちんとした関係は築けませんでした。ただ、父はいろいろ突っ込みどころが多く、若い時はあまりまわりにいませんでしたが、それでも父のほうから私たちを守ろう、私たちのために何かしなくてはという意志を最終的に受け止めることができました。その分、最終的に私は幸運だったと今は、素直に思えます。
何度も書きますが、生後2歳を待たずして、娘は発達障害と診断され、あれ以来最初の6年ぐらいまでは、本当につらいことのほうが多かったかもしれません。
それでも、娘が何かしらの理由でとても幸せな時が、
私にとって本当に幸せな時間でした。
もちろん、今となっては娘は、かなり個性的ではあるし、いまだに言語によるコミュニケーションに関する限り洗練されてませんが、でも基本すくすくと成長しています。
私自身は、この年になってやっとやりたいことがはっきりしてきて、そのために毎日悪戦苦闘している状況です。
が、そんななか、例えば一日の終わり、あるいは週末ののんびりとした昼下がり、ああこういうのが幸せという感じなのだなあと正直感動するのです。
私の場合、どうしようもなく抱き続けて飢餓感、あるいは空洞のようなものが、娘との関係を通じて癒されましたから。
幸せって、たぶんかなり月並みなのです。
でも、今ほどこの月並みな幸せが見えにくくなっている時代はないのかもしれません。バブルが砕け、経済の低迷が続き、いまだにデフレ傾向を引きづっているわけですが、今の日本では、戦後最大多数の人々が、物質的な意味で満ち足りているのではないでしょうか。
でも、その一方でとにかくお互いを恐れる心ばかりが繁殖し続けてきました。
孤独死というのは、究極的に愛されていない状態。
愛の反対語は憎しみではなく、無関心ですから。
どうしてこんなにも、自分以外の他人の存在を自分の中から追い出すようになってしまったのか。
正直、いまその理由をあれこれ詮索しても、何の足しにもなりません。
それよりも、
もっと愛を、
この世界に愛を
愛することは意志です。
誰かを愛するということは、その誰かを理解し、理解できない部分を受け入れ受け止めることです。
最後にちょっと俗っぽいコメントをいくつか。
私がなんだかんだいっても、イケハヤさんを絶対嫌いにはならないのは、このかたがれっきとした家族持ちで、家族を愛しているのが明白だから。
立花岳志さんの、二度目の離婚の経過を横でみているとこの方はむしろ奥さんだけでなく、家族が必要なのではとふと思う。
セレブでありながら、中村江里子さんのブログが良いのは、正直お子さんへの愛に満ち満ちていて読んでついうるっとしてしまう。
勝間さんは第二のカップル人生でお幸せそう。
そして、Manabuさんの成功を読みながら、やはりどんどん怖くなってくる。
ホリエモンみたいになるのでしょうか。
怖い。