70歳の私が、30歳旅立ちを迎えた私につたえたかったこと、あるいは学問のすすめ

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1984年12月8日、私は成田空港から日本の外へと向かった。30歳だった。留学まだのいきさつはまた別のところに書くけれど、最大のモチベは、

もう一回きちんと勉強したい

この一言につきる。

まあ、私の世代は、紛争最終世代とか呼ばれるそうで、受験校かつ、いわゆるお嬢さん学校に居ながら、高校生でデモにでて、前歯を失ったりして、挙句の果ては、受験のための勉強が全くできず、そのまま自分のイメージしていた20代とは全く違った時間がすぎていった。

でも、そんな嵐みたいな時期が始まる直前までは、学校が好きだった。

これを言うと、ほとんどの人に不思議がられるが、小学校時代から、結構学校の勉強が好きだ。試験勉強とかが本来は今一得意ではないので、まあ成績にはむらがあったけど、兎に角本がすきで、教科書がものたりなかったら、お気に入りの参考書にはまったりしていた。

小説もすきだけど、いわゆる教養書なんて楽しんで読んでいた。中二の時に読んだ、Life Science Library で知った現代数学のとあるジャンル、Topology (位相幾何)に、とにかく魅せられてしまって、最終的に私のアメリカの大学院での担当教授はTopologistだったりした。

アメリカに行って、初めて大学一年生から始めて、まあ、英語でついていかなくてはいけないので、大変と言えば大変だったけど、基本、どのクラスもそれなりに楽しくて仕方がなかった、

それと、大学で特に教養科目をとることで、英語でいうところのBig Wordを、あれこれ拾っていくことに気づいた。

そういう言葉は、ある意味本一冊分になりそうな背景をしょっていて、それをまあ2-3行の定義とやらと覚えるけど、実際に含む意味は、それなりに

勉強したから、理解できた

翻って、今の私たちは、量だけの情報量に溺れきっていて、かくいう私も、日本語版とキンドルを10年前に手に入れてから、あっという間に読みやすすぎるラノベ(異世界転生物大好きです。)中毒に、なってしまった。固い本をきちんと読む時間がもちろん、ものすごく減った。

難解な、消化し理解するのに時間のかかる概念を、やっと理解したときの、

あの、透き通った気持ちよさ

そんな瞬間を大切にしなくなってから、ずいぶん時間がたった。

一度は、実はそういう努力を、それなりにするために、兎に角自分が考えていることを、きちんと整理して文章に残しておくという作業を自分に強制するために、このブログの前身となる、ごった煮ブログ’紅蓮としてのRPG’を始めた。

3年ほど毎日更新したのだけど、2021年の春それもやめ、その後さらに、脳作業の劣化が進んだ。

まあ、日本でのBusinessを手伝ったりし始めたことを言い訳にもしていたけど、ああ、

私、今バカになりつつある

と、とうとう認めた

もちろん、今、日本も世界も、流れとしてみんなでバカの渦に飲み込まれようとしていると思う。

というわけで、このブログでは、この前身であるブログのテーマと、被る部分多いと思うけど、色々、分かりにくいこと、でも大事だと私が思うことを、あれこれ伝えていきます。

Hertopos より アメリカ東海岸にて